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 車内はとにかく広かった。

 贅沢なレザーシートに艶やかな木目の内装。溜息しか出てこない。

 車が静かに発進すると同時に、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタが流れてくる。

 スピーカーとアンプもすごい。最高質のサウンドが全身を包み込むように響いてくる。

 

 紅様は私の顔を眺め、くすりと笑った。


「真白は可愛いな」


 はいはい、嫌味をどうもありがとう。

 車に乗り込んでからというもの、ポカンと口を開けたままだった私のどこが可愛いんだ。

 慌てて唇を引き結び、ふん、と鼻を鳴らす。


「どうせ庶民丸出しですよ。そんな私が可愛いなんて、悪趣味!」

「自分でもそう思う」


 負けじと言い返した後、紅様は優雅に足を組み替え、紺ちゃんに話しかけた。


「さて、ランチはどうしよう。いつものところでいいの?」

「私にじゃなくて、ましろちゃんに聞いて。彼女が優しいから良かったものの、非常識過ぎるわ」

「それは……。悪かったよ。この間会えなかったから、ちょうどいいと思って」


 紺ちゃんはまだ怒っている。

 流石の紅さまも、困った顔をしている。

 見慣れない表情に、新鮮さを感じた。

 いや、あえて言おう。スカっとした。


「……真白も怒ってる?」


 蒼くんが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 澄んだ瞳ですがるように見上げてくるのは、ずるい。


「……玄田との約束に割り込んだの、ほんとにごめん。でも最近、ずっと会えてなかったから」


 そうなんだよね。

 天気の悪い日が続いたものだから、歩道橋で会えなくなったし、たまに会えても家に呼ぶことは出来なかった。洗濯物が占領しているリビングを思い浮かべ、首を振る。


「怒ってないよ。でも、これっきりにしてね」

「分かった。ありがと、真白」


 蒼くんはパァッと瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んだ。

 ワンコ属性全開だ。

 将来、蒼くんだって俺様になるはずなのに、その片鱗はどこにもない。

 私が彼の方向性を捻じ曲げてしまったじゃないかと、最近心配している。


「お昼ご飯は、モールの中で食べようと思ってたんだけど、いつものところってどこ?」


 話を戻すと、紺ちゃんがとある高級ホテルの名前を挙げた。

 うわ~。小学生の子供4人で行くところじゃない気がする。


「いいよ、俺達はどこでも。とりあえず、ショッピングモールに行けばいいんだな」


 紅様の言葉を受け、水沢さんがウィンカーを出す。

 目的地まではあっという間だった。

 駅が見えてきたところで、紅様は水沢さんに声をかけた。


「この辺りでいい」

「かしこまりました」


 水沢さんは見事なハンドルさばきで大きな車体を動かし、狭い路肩の駐車スペースにピタリと停めた。

 歩道を行く人たちが、ぎょっとした表情でこちらを振り返る。

 衆人環視の中、蒼くんにエスコートされながら、車を降りた。

 紺ちゃんがいそいそと私の隣に並んでくる。


「ましろちゃんの服って、いっつも可愛いよね。自分で選んでるの?」


 今日は七分袖のドット柄のチュニックに、ショートパンツ。

 足首をリボンで結ぶタイプのミュールというカジュアルな自分の格好を見下ろし、首をかしげる。

 普通だと思うけどな。

 一つ言えるのは、ロールスロイスには全く似合ってないってこと。


「ううん、殆どお姉ちゃんのお下がりだよ。前に話したよね。9つ上の花香お姉ちゃん」

「……うん。すごく優しいって言ってたね」

「そうそう! でもね、もうすぐ身長追いつきそうなんだ。そしたら、お姉ちゃんと共有で買うことになりそう」


 154センチで身長が止まったお姉ちゃんは、ぐんぐんと伸びていく私の背を非常に羨ましがっている。

 『もうその服着られるの? いいなぁ。ましろは足も長いよね、ずるくない?』と今朝もブーブー言っていた。


「そっか。お洋服を共有できるって、楽しそう」

「うん! でも、同じ服でもお姉ちゃんが着た方が可愛かったりするんだよね。あれ、不思議」

「真白だって可愛いよ。どんな服着てても、すっごく可愛い」


 蒼くんが、真顔で口を挟んでくる。

 この子の将来が恐ろしくてしょうがない。ホストになったらどうしよう。


「俺も真白の恰好、嫌いじゃないよ。元気いっぱいって感じで」


 紅様の微妙な褒め言葉で、気が楽になった。

 自分より見た目の良い人たちに外見を褒められるのって、かなり居心地が悪い。


 

 お昼ご飯は和食のお店で食べることにした。

 値段が高めの店の方が静かでいい、と紅さまが主張したからだ。

 和食は好きだけど、お財布大丈夫かな。

 メニュー表をガン見してる私に向かって、紅さまは肩をすくめた。


「また値段の心配? いい加減学習して、素直に奢られたら」

「やだよ。あの時成田くんに奢ってもらったこと、しばらく引き摺ったんだからね」

「紅でいいよ。お前に苗字で呼ばれるの、なんか気持ち悪い」


 紅様が名前呼びを許可したことに、不満を表したのは蒼くんだった。


「真白が好きなように呼べばいいよ。むしろ、ずっと苗字で呼んだ方がいい。……あと、何? 奢ってもらったって。俺、その話聞いてないんだけど」

「俺と真白の話に、蒼は関係ないんじゃない?」

「は? ふざけんなよ」


 紺ちゃんはうんざりした表情を隠そうともせず、溜息をついた。

 

 いつの間に、私の取り合い状態になったんだろう。

 紅様をじっと観察してみる。

 私と目が合うなり、彼は悪戯っぽくウィンクを飛ばしてきた。


 はぁ。これどうみても、からかいモードじゃん……。

 からかう対象が私から蒼くんに変わっているだけ。


「じゃあ、紅くんって呼ばせてもらうね。あと、蒼くん。私、前に紅くんに偶然会って、紅茶を奢ってもらったことがあるんだ。今日は自分で払うから」


 なんとか仲裁に入ろうと試みたものの、私の口出しは蒼くんを苛立たせただけだった。


「真白には聞いてない。どういうつもり、紅。真白にはこれっぽっちも興味ないって、言ってただろ?」

 

 これっぽっちも興味ない、という下りには地味に傷ついた。

 私がいないところで、2人で話したことがあるんだろうな。

 紅様とも、友達くらいにはなれたかと思ってたのに。

 これだから嫌なんだよ。

 

 紅様は私と蒼くんを見比べ、余裕たっぷりに微笑んだ。


「あの時は、こんなに面白いことになるとは思わなかったんだ。ごめんね、蒼」

「面白がってるだけなら、真白に関わるな。どうせ暇つぶしの玩具が欲しいだけだろ?」


 蒼くんの台詞が気に入らなかったらしく、紅様はすっと表情を消した。

 彼の周りの温度が一気に下がる。


「それこそ、余計なお世話だ。お前だって、こいつに代わりを求めてるだけだろ?」


 今度は蒼君の顔色が変わった。

 2人は一歩も引かずに睨みあっている。


「代わりなんかじゃない。取り消せよ」

「さあ、どうしようか」


 一触即発な空気に驚き、紺ちゃんは食後のお茶を片手に固まっている。

 

 これは、私を取り合ってるわけじゃない。

 彼らにしか分からない、トラウマのつつき合いだ。

 喧嘩するのは勝手だけど、時と場所を選んで欲しい。


「ご馳走様でした」


 私はパチンと手を合わせ、立ち上がった。


「紺ちゃん、行こっか。――2人とも、喧嘩ならよそでやって。正直、不愉快」


 彼らを冷ややかに見下ろしながら言い放つ。

 私と紺ちゃんのお出かけを邪魔した挙句、せっかくの美味しい御飯を味わってる時に喧嘩し始めるなんて、言語道断!


「ごめん、ましろ」

「悪かったよ」


 彼らは素直に謝ってきた。

 悪ノリし過ぎたと反省しているのだろう。

 紅様まで神妙な顔をしている。

 しょんぼりしている姿を見せられたら、長くは怒っていられない。


「次から気を付けてね。紅くんも蒼くんも、私の友達! どっちが上とかないの」

「……分かったよ」


 蒼くんは神妙に頷いたが、紅様は華やかな笑みを浮かべた。


「真白のそういうとこなんだよな」

「そういうとこ? どういう意味?」

「普段はポンコツなのに、時々すごく大人びたこと言うだろ。だからますます知りたくなる、って意味」


 紅様以外の人に言われたら、グーで殴っていただろう。

 顔が良いって、ほんとずるい。イケメン無罪なんてクソ喰らえって言いたいところだけど、あの顔は殴れない。


「紅のそういうとこ、ほんとムカつく。俺は何でも分かってる、って余裕ぶるとこ」


 私の気持ちは蒼くんが代弁してくれた。



 先生への差し入れは、フルーツの香りのハンドクリームとバスソルトに決めた。

 どっちも容器のデザインがすごく洒落ている。

 先生、喜んでくれるといいな。

 家があんなにお金持ちなのに、紺ちゃんの金銭感覚は私に近いことが分かった。

 100円違いの商品を手に取り、真剣な表情で考え込んでいるのを見て、ホッとする。


 散々、ショップ巡りに付き合わされた紅様と蒼くんは、最後はぐったりとしていた。

 こんなに長くかかるとは思わなかったんだろう。

 気の毒だけど、自業自得だ。


「ましろちゃん、今日はすごく楽しかった! ありがとう」

 

 ロールスロイスの窓からぴょんと顔を出した紺ちゃんが、手を振る。

 満面の笑みに、私まで頬が緩んだ。紺ちゃんは本当に人懐っこくて可愛い。

 いろいろあったけど、私も楽しかったな。

 あの2人はさておき、紺ちゃんといると私もホッとする。


 翌日、ゴミ捨てに出た母さんは、ご近所の奥様達から「お宅のましろちゃんの交友関係って、どうなってるの!?」と質問責めにされたらしい。

 間違いなく、存在感が凄すぎるあの車のせいだ。



 

 じめじめした梅雨がようやく終わり、太陽の容赦ない直射日光に晒される毎日が始まった。

 

「ましろーん。あついー」


 絵里ちゃん、それ挨拶じゃなくなってるよ。

 でも気持ちは分かる。

 ランドセルを背負うと、汗でぺったりTシャツが張り付いてうんざりする。


「おはよー。エリちゃん。頑張ろ、もうちょっとで夏休みだよ」

「その前に、林間学校あるじゃん。行き先、海に変わらないかなぁ。泳ぎたい。水! 水!」


 絵里ちゃんは河童みたいになっている。

 夏休み直前に行われる林間学校は、一泊二日のバス旅行だ。

 班でコテージに泊まって、カレーを作ったり、オリエンテーリングをしたり、夜にはキャンプファイアーをしたりする。

 私も実は行きたくない。

 旅行の間、一度もピアノに触れないのが嫌なのだ。

 絵里ちゃんとうだうだ文句を言いながら登校し、退屈な授業をこなして家に帰る。

 代わり映えのしない日常の中、今一番楽しみなのは、亜由美先生のコンサートだった。


 学校から帰って、まっさきにTVをつける。

 ちょうど流れていたのはワイドショー。

 今週末に行われる音楽祭の話題に移ったので、洗濯物を畳みながらボリュームを上げた。

 音楽祭の目玉であるコンサートは、【真夏の夜の夢~若手ピアニストの競演~】と銘打たれ、大々的に宣伝されている。亜由美先生が出演するコンサートだ。

 

 スポンサー一覧にはずらりと大企業が並んでいる。

 そこには、蒼くんの家の名前もあった。

 最近知ったんだけど、蒼くんの実家は、国内で一、二を争う楽器メーカーだった。

 シロヤマという楽器メーカーはもちろん私も知ってる。うちのアイネも、シロヤマ製だし。

 だけど、まさか蒼くんの家だとは思いもしなかった。

 シロヤマは蒼くんのお父さんである現社長の代から、グループを広げ、事業をヨーロッパ中心に移している。

 彼の父親がドイツにいるのは、仕事の為らしい。

 日本の会社は蒼くんの叔父さんにあたる副社長が束ねているということだった。

 今度のコンサートは、シロヤマの最新モデルのお披露目会も兼ねている、という話を私はTVで知った。


『土曜日は、管弦楽。そして日曜日はオーケストラとピアニストの競演、ということで、クラシックファンにはたまらないお祭りですね。当日券も僅かですが準備されているそうです。皆さまも足を運んでみてはいかがでしょうか』


 女性キャスターが明るく締めくくるのを見届け、TVを消した。

 手早く宿題を済ませてから19時までピアノを弾き、夕食を食べた後、お風呂に入る。それから21時までまたピアノを弾く。

 その後軽く勉強して就寝。

 朝は早めに起きて、不足しがちな勉強時間に当てている。


 毎日決まった生活をしていても、時々これでいいのか無性に不安になった。


 努力は足りているだろうか。

 私はちゃんと青鸞に入学できる?


 音楽の道に進みたい気持ちは、年を重ねるごとに真剣なものに変わっている。

 私はピアノが好き。もっともっと上手くなりたいし、専門的に学んでみたい。


 

 ベッドに入る前、前回のレッスンで貰った音楽祭のパンフレットを広げてみた。

 演目のところにある先生の名前をじっと見つめる。


 松島 亜由美――演目:チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第一番


 有名過ぎるほど有名な、壮大な序奏。ホルンから始まるシンフォニックな楽曲だ。

 下降するホルンとは対照的にオクターブで上昇するピアノが強烈な印象を残す導入部は、本当にドラマティック。短調から長調に切り替わる時の高揚感や、主題の華やかさも素晴らしい。

 ピアノコンチェルトの中でも、特に好きな一曲だった。

 亜由美先生は、どんな風に聴かせてくれるんだろう。

 先生のピアノを聞くのは、実はこれが初めてだったりする。

 レッスン中にお手本として軽く弾いてくれる時でも、先生の音はすごく深みがあって、私をやすやすと陶酔させた。


 家族全員でのお出かけも久しぶりだ。

 なんと先生は、四人分の招待チケットをくれたんです。


 招待券には値段が載っていない。

 最初はありがたいわねえ、なんて呑気に構えていた母さんだったが、新聞広告でコンサートの概要を見つけて悲鳴をあげた。


「ま、ましろ! 先生のコンサートのS席って、2万8千円もするって知ってた!?」

「うん。それくらいはするだろうね。あの楽団で、しかもフルオケだから」

「そうなの!? 貰ったのは4人分だから、えーっと、……11万超えてるじゃない!」

「そう考えると、大金だよね。でも先生の実家が協賛会社に入ってるし、亜由美先生が実際にお金を立て替えたわけじゃないと思うよ」

「もうっ! なんでそんなに真白は落ち着いてるの!? お父さーんっ」


 大騒ぎする両親を宥めたのは、先週のことだ。

 亜由美先生のお父さんが重役を務めてる会社の名前を聞いて、父さんは倒れそうになっていた。

 青褪める二人を見ていたら、紺ちゃんと紅様のお家はあの玄田グループで、蒼くんはシロヤマピアノの後継者なんだよ、とは言えなくなった。


 クラシック音楽自体、お金がかかる貴族の遊びみたいなところある。

 楽器だって高いし、コンサートホールを借り切るのにもお金がかかる。


 ……来年の発表会、どうなるんだろう。

 いくらかチケットを売らないといけないんじゃないかな。

 チケット代っていくらなんだろ。当日の衣装ってどうするんだろう。


 考え出すと、キリがない。

 これ以上、両親に負担はかけられない。

 私は分不相応な道を目指しているんじゃないだろうか。

 

 襲ってくる睡魔に身を委ねながら、私は将来に不安を覚えた。




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