閑話・約束(紺視点)
「お嬢様。大丈夫ですか?」
咳き込む私を心配そうに見つめる使用人に、軽く首を振る。
「心配ないわ。いつものやつだから」
身体が弱いわけではない。
時々、こうして咳が出て、続けて熱が出るのだ。
初めて症状が現れた時は、驚き慌てる両親によって多くの病院に連れていかれ、様々な検査を受けさせられた。結局、原因は分からずじまい。
医者は首を捻っていたが、私には分かっている。
――これは、警告だ
忘れるな、という警告。
金色の髪をなびかせ、あの日現れたかの人が告げた言葉の全てを、私は覚えている。
忘れるはずがない。
――……ちゃん。
今はもういないあの子の名前を、心の中でそっと呼ぶ。
ねえ、笑って。
今度こそ、生きて幸せになって。
その為なら、私はどんな茨の道も行ける。
真夜中、ふと目覚めると、枕元に金髪の麗人が立っていた。
「なに? ……リミットはまだ先のはずよ」
無機質で美しい宝石を思わせる碧色の瞳が、薄暗い寝室の中、キラリと光る。
「もちろん分かってる。ワタシはただ、忠告に来たんだよ、コン」
どうやら話があるらしい。珍しいことだ。
私は体を起こし、サイドテーブル上のテーブルランプを点けた。
確かな灯りに晒された後も、彼の実在は揺らがない。
「話して」
「マシロの前世の記憶は、削除されたよ」
「……え?」
まだ半分眠っていた脳が、一気に覚醒する。
シーツを握りしめた手に力がこもり、シルクの表面に傷が出来た。
「どうして!? 彼女には関わらない約束だったでしょう!?」
激しく問い詰めると、男は上機嫌で頷いた。
「そうだね。でも先に約束を破ったのは、キミだ。コンがきちんとイベントをこなさなかったから、世界がエラーを吐くことになった」
――マシロは自由だ。でも君は違うよ、コン。
交わした契約は忘れていない。
でもダメだった。
この男そっくりのトビーを目の前にした瞬間、すうっと腹の底が冷えてしまった。
恋する乙女を演じ切ることが出来なかったのは、痛恨のミスだ。
「さあ、どうするの、コン。君の願いの一つは、消えてしまったね」
嬉しそうに男は笑った。
約束を破ったと口では詰りながらも、男は私の逸脱した行為を歓迎している節がある。
真白ちゃんの前世の記憶は、失われてしまった。
私が誰なのか、彼女に思い出して貰える機会は、もう来ない。
「……それがなに? そんなの、些細な願いだったわ」
「へぇ~。それ、本心から言ってるといいな。じゃないとあまりにも」
――――君が哀れだ。
高らかな笑い声を立て、男は煙のように消えた。
今夜はもう眠れそうにない。