小さな花屋
梅雨に入って、小雨が楽しそうにじゃれ合っている季節。
「傘、持って来ればよかったな。」
私が放った宛先の無い台詞も、雨に濡れてしょげているような、そんないつも通りの帰り道。
交差点を渡り、小洒落た喫茶店を過ぎた辺り。
そこには、優しそうなおじいさんがやってる小さなお花屋さんがある。
普段なら綺麗だなぁと思いながらも通り過ぎてしまうところだったけど、看板に書いてあった"閉店セール"の文字を見て、立ち寄ることにした。
久々の寄り道。
「あぁ、いらっしゃい。」
おじいさんは見かけ通りの優しい声で私に話しかけた。
「こんにちは。いつも綺麗なお花が並んでるなぁって気になってたんですけど、お店畳んじゃうんですね。」
思ったことをそのまま口にした。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。実は妻が急病で倒れてしまってね。」
おじいさんが顔を少し曇らせた。
いけない。気分悪くさせちゃったかな。
「そうだったんですね…」
つられて私も暗い返事をしてしまった。
「元々この花屋はね、私の妻が始めたんだ。若い頃から綺麗な花が大好きでね。」
「あぁ、奥さんがお花好きだったんですね。」
「そう。妻が綺麗な花を見ている時、嬉しそうな、けれど少し切なそうな、そんな顔をするんだ。
私はそんな妻に惚れてね。あれから何十年も経つけど、妻が喜ぶ綺麗な花を育てたい。そんな一心で続けてきたのさ。」
その言葉を聞いて、倦怠感の溢れる日常に燻んでしまった私の心が、なんだか洗われたような気がして、つい笑みを零してしまった。
「ふふっ。なんか…素敵です。奥さんも喜んでいらっしゃると思いますよ。」
「だといいんだがね。妻の魅力は私が一番分かっているつもりだけど、それに見合った魅力を私が持っているのか、老いぼれになった今でも不安になることがあるよ。
さ、話が長くなったね。どれでも好きな花を持っておいき。」
「ありがとうございます!」
私は、小さい頃に好きだったガーベラと、アルストロメリアという凛々しい花、あとはおじいさんのおすすめで花束を作ってもらった。
きっとこの人の奥さんも素敵な人なんだろうな。
「幸せそうなご夫婦で、私も元気が出ました。奥さん、体調治るといいですね。」
「ありがとう。なんとかなるような気がするよ。」
「私も応援しています。ありがとうございました。」
将来、好きな人にそんな風に思ってもらえるような素敵な人に私もなりたい。
疲れ切っていたはずの心が、なんだかやる気を取り戻してくれたみたいだ。
気がつくと辺りは少し暗くなり、雨は上がっていた。