最初の第一歩 その2
先ほどまでいた広場らしき開けた場所から移動する事数分、人々や馬車などが目まぐるしく行き交う、おそらく王都の主要通りの一つであろう大通り。その脇を固める大小さまざまな店舗の一角に、目的の店は在った。
近所の店舗とは異なる、宿屋も兼用している為か大きめの店構え。石と木製の外観からは清潔さを醸し出しながらも、店先からは食欲を刺激する匂いが漂ってくる。一刻も早くこの匂いのもとを胃袋に届けたい。
焦る気持ちを抑えつつ、現在までに様々な匂いを吸収してきたであろう木製のドアを開け店内へと足を踏み入れると。木で統一された店内は、昼間だからであろうか閑散としていた。
剣と魔法の世界の酒場であろうから昼間でも賑やかなものかと思ったが、どうやら自身の勝手なイメージとは違っていたらしい。
「いらっしゃいませ」
しかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。今は一刻も早く、一層訴えの激しくなった腹の虫を収めなければならない。
店内の一角に在る酒瓶や干し肉が並べられたカウンター。その奥で営業スマイルを浮かべている清潔感に溢れた衣服を身に纏った、おそらく酒場のマスターであろう口髭が似合う初老の男性がいた。
「おや? 見かけないお顔ですね。旅のお方ですか?」
「え、えぇ。そんなところです。あの、それよりも注文、いいですか」
そんなマスターとの挨拶もそこそこに、カウンター席へと腰を掛けると料理の注文を催促する。
マスターから差し出されたメニュー表であろう一枚の大きめの紙を睨み付けるように隅から隅まで確認し終えると、とりあえず前世で食べた事がある、或いは容易に想像ができる料理の幾つかを注文する。
注文から待つこと十数分、陶器や木製の食器に乗せられて注文した料理の数々が眼前のカウンターに並べられる。出来たてらしく、食欲をそそる香りと湯気が立っている。
陶器の食器に盛られたメイン料理であるクリームシチュー。一見すると前世でもよく見かけた料理ではあるが、果たしてどのような違いがあるのか。
素朴なのか、支離滅裂なのか、はたまた。頭の中ではエルガルドにおける料理の分析などを行ってはいたが、そんなものは一口食べた瞬間に吹き飛んでいた。素直に美味しいと言えるからだ。
このクリームシチューを作った料理人の腕がいいのか、はたまた空腹が最高の調味料となったからか。もはや理由などどちらでもいいが、少なくとも、エルガルドにおける食事情は今のところ前世とたいして変わらないようだ。
と、そこまで考えた所で、食事に集中すべく考えるのを止めた。
その後もサラダやパン等を堪能し、最後にデザートのアップルパイをいただいたところで、第二の人生初となる食事は幕を閉じた。
「いや~、食った食った……」
膨れた腹部をさすりながら分かり易く美味しい食事の余韻に浸っていると、ふと、食事よりも重要な事実を見落としていた事を思い出した。
そして、再度確認する為にメニュー表であろう大きめの紙を再び手に取り隅々まで確認する。これも、あれも、それも、どれも。
紙に書かれていた文字は、全て前世でも見慣れた文字であった。つまり、日本語で書かれていたのだ。
「おや、追加のご注文ですか?」
「あ、違います」
真剣な眼差しでメニュー表を見つめていたからか、マスターから追加注文かと誤解されてしまった。
しかしながら、日本語がエルガルドにおける世界共通語なのかどうかはさておき。今後生活していくうえで言語の問題に関しては心配の必要はないようだ。
だがこれは、とてつもないアドバンテージだ。
「どうぞ、食後のコーヒーです」
「え、あの。注文してないんですけど……」
などと安心感に浸っていると、注文した覚えのないコーヒーが目の前に置かれる。
お店のコーヒーらしく、香り高い香りが嗅覚を刺激する。
「サービスですよ。美味しそうにうちの料理を食べてくださいましたからね」
あまりの空腹でかきこむように食べていたのではしたないかと自分では思っていたが、以外にもマスターから見ると美味しそうに食べていたようだ。
マスターからのご厚意を無駄にしないように、お礼を述べると食後の一杯を堪能し始める。
「美味しい……」
「うちのコーヒーは隠れた名物ですから」
美味しいコーヒーの味に自然と表情が緩みながらも、今後の事について考え始めていた。
最初の関門とも言える読み書きについては問題がないのだから、安定した収入源の確保や生活基盤を固めるのはさほど難しくはないだろう。
ただ、折角剣と魔法の世界で第二の人生をスタートさせるのだから、前世のように刺激の少ない行ったり来たりの人生はなるべくなら避けたい。
とは言え、このエルガルドにはどんな職業があるのか分からない以上、安易な就職は危険だ。
となると、次は所謂就活だな。
「ご馳走様でしたマスター。それじゃお勘定お願いします」
食後の一杯を飲み干しマスターにお勘定をお願いすると、提示された金額分の硬貨を手渡す。
こうしてお勘定を終え、いよいよ就活への第一歩を踏み出そうと席を立とうとした時だった。不意にマスターから声を掛けられた。
「あぁ、そういえば。先ほどはきちんとお伺いいたしませんでしたが、こちらへは旅の途中でお立ち寄りに?」
「え、えっと……その。実を言うと旅人、ではないんですけど」
「おや。でしたら出稼ぎかなにかで?」
適当に誤魔化して店を出る事も出来ただろう。しかし、そのようにはしなかった。
エルガルドで第二の人生をスタートさせてまた一時間程度しか過ごしていない、にも拘らず既に親身になって話を聞いてくれそうな人物に出会ったからだ。
ここで店を出てマスター以外にそのような人物に出会うかと言われれば、果たしてどうだろうか。
今後の生活の為にもここでマスターと親しくしておくのも悪くない。そう結論付けて、再び席に腰を下ろした。
「色々と事情がありまして……。職を探してるというか、なんというか」
「深くは聞きませんが、お客様も御苦労なさっているのですね」
流石にエルガルドとは別の世界からやって来ました、等とは言えるはずもないが。濁したところでマスターは深く詮索はしてこなかった。
もっとも、名前まで偽名にするというのも考え物なので、一応本名を名乗った。ただし、名字は名乗らず名だけであるが。
「そうだマスター。ここで職を探すとしたら何処がいいかな?」
「そうですね。ショウイチさんが得意とするものがあれば、それを生かした職を探すのが近道の一つかもしれませんね」
マスターの言葉に、一瞬言葉を詰まらせた。自分自身でなにか得意とする、つまりこれは他人より優れ誇れる事だというものが思い浮かばなかったからだ。
珍しい料理が特別できるとか営業トークが優れてるとか、その他色々と特に抜きん出ているものはなく。正に言うなれば自分は器用貧乏だった。
「もしも特技などがないというのでしたら、軍隊に入隊するのも一つの方法かもしれませんよ。確か今、王国軍では新たな兵隊となる人材を募集していた筈です。読み書き等が出来るのなら、簡単な試験だった筈ですのでショウイチさんでも問題ないかと」
おそらく、先ほどメニュー表を吟味して注文をしていたところから、マスターは読み書きに対しては問題がないと判断して軍隊と言う就職先を提案してきたのだろう。
確かに軍に入って兵隊として働くなら、特技などが無くてもやっていけるだろう。揺るぎ無い縦社会により、素晴らしい先輩方がご指導してくださるお蔭で嫌でも仕事が身に付くだろうし。戦などで戦死しない限り、多分終身雇用されるだろう。
しかし、軍に入隊するのは前世以上に肩身の狭い思いをしそうだ。出来る事なら避けたい。
「それ以外でとなりますと。軍隊より敷居が高くなく、人材を求めているとなるとやはりギルド……。ですかね」
『ギルド』という単語に、剣と魔法の世界を題材にしたゲームなどで登場するイメージが湧き上がる。
「内容は様々ですが功績さえあげれば老若男女誰にでも地位と名誉が手に入りますし、うまくいけば地方の領主や貴族の仲間入り等も夢ではないと言われています。ただし、夢半ばで倒れる事もあるようですが」
正に一攫千金を狙うのならこれほどうってつけの職はないと言う事か。ただし、やはりその分リスクも高くなる。まさしくハイリスクハイリターンってやつか。
平凡にひっそりと暮らしていくのも一つの人生だ。しかし、折角掴んだ第二の人生だ。一度くらい、地位や名誉を手にする為に突き進むのも悪くない。
「マスター。ギルドの場所、何処に在るか教えてくれますか?」
一瞬耳を疑うような表情を見せたマスターであったが、自身の固い決意を宿した瞳に気付いたのか、説得する事無く王都に在るギルドの場所を丁寧に教えてくれた。
そしてマスターに礼を述べると、今度こそ就活への第一歩を踏み出し、店を後にギルドを目指して歩みを進める。