最初の第一歩
何処までも続くかと思われる漆黒の中、ふと遠くを見つめれば。まるで夜空に浮かぶ星のように光が輝いていた。
本能が叫ぶのか、何故だかわからないが無意識にその光を求めんとその光へと近づいていく。すると、徐々にその身を揺らす振動のようなものが伝わってくる。
この振動がなんなのか、それを気にする事もなく光の方へと一心不乱に近づいていく。当然ながら、振動はますます大きくはっきりと伝わってくる。
更に光の方へと近づく。すると、今度は振動だけではなく誰かの声のようなものが聞こえ始めてきた。
そして、遂に光の前へとやって来ると、迷う事無く光の中へと足を進める。
気が付くと、それまで感じていなかった自身の五感全てを感じるようになっていた。
なにか硬いものに座っている感覚、日差しを受けている感覚。様々なものが混じったにおいも感じられる。
そして、自身に向けられているのであろう、誰かの起きろと呼ぶ声もはっきりと聞き取れる。
「おいあんた、一体いつまで眠ってるんだ! さっさと起きてくれよ」
閉じていた瞳をゆっくりと開けると、飛び込んできたのは先ほどまでとは、深い眠りに落ちる前とは明らかに異なる光景であった。
合成樹脂もポリエステルの生地も無い、まさに木そのものを最大限に活用した木製の床に簡素な椅子。数人は乗れるであろうそのスペース、更には二頭の馬にその一部が連結されているあたり、どうやらこれは馬車のようだ。
そして視線を動かすと、そこに広がっていたのはまさに映画の撮影セットの様な、機械により形成された文明を感じさせない風景であった。
石造りの道路にレンガ造りや木製の建造物の数々。歩く人々は布地であろう衣服に皮製の靴などの装いをしており、中には上流階級か職種からか、一目で目に付く派手な装いの者もいる。
また耳を澄ませば、飛行機や自動車等の機械的な音は一切聞こえず。もはやここが生前の世界とは別の世界、第二の人生の生活の地である異世界である事は容易に理解できた。
「やっと起きたか。お客さん、もうとっくに目的地には着いてるんだ。だから、早く降りてくれると助かるんだけどね」
先ほどまで起きろと聞こえてきた方へと視線を動かすと、そこには明らかに不機嫌な表情を浮かべた馬車の主。御者であろう男性の姿があった。
軽く頭を下げながら急いで馬車の荷台から降りる。すると、やっと動けると言わんばかりに、御者の男性は足早に空になった馬車を何処かへと連れて行ってしまった。
一人取り残された後、しばらくは周囲の光景をただ何気なく見渡していた。前世でも映像の中でしか見た事が無かった光景が、今まさにこの瞬間、現在進行形で広がっているからだ。
機械的な濁りの感じられないまさに澄んだ空気、機械的な生産性に追われることなく働く人々。道を歩く人々の中には獣人やエルフ等、人間にはない身体的特徴を有した人々の姿も見られた。しかしながら、それらの存在は当たり前のように人々の中に溶け込み笑顔に溢れた声が四方から聞こえる。
五感を通じここが前世とは異なる別の世界、所謂異世界であると再認識した。そんな時だった、ふとした疑問が頭の中に思い浮かんだのは。
「これが支給品ってやつか?」
思わず声が出てしまったが、自身の服装がいつの間にか一変していれば声も出るだろう。
この世界の住人として不自然さが感じられないようにだろう。布や皮製の衣服の上には皮製の胸当て、皮製の靴に腰のベルトには皮製の鞘に納められた剣に皮製の袋があった。旅人かはたまた冒険者か、どちらにせよこの世界で何処でも見られるような服装の一つなのだろう。
袋の中身を確認すると、そこには二つ折りされた一枚の紙と金銀銅等に光り輝く数種類の硬貨が十数枚入っていた。おそらく硬貨はこの世界における通貨なのだろうが、同じく入っていた紙にはどんな意味があるのだろう。
気になって紙を取り出し開いてみると、そこにはご丁寧に通貨の説明にこの世界の簡単な説明。更には自身が今いる現在地の情報も書かれていた。
紙に書かれた内容を整理すると、ここは『エルガルド』と呼ばれる世界。この世界は、所謂剣と魔法の世界らしい。
そして、現在自分がいる場所は『ルザリア大陸』と呼ばれる大陸内に多数存在している国家の一つ『イシュダン王国』の首都である王都とのこと。
最後に、袋に入っていた硬貨は合計で約一万ガームになる。この世界の、もといイシュダン王国の物価がどれ程のものか今は分からないが、とりあえず一文無しではないので当面は餓死する事などはなさそうだ。
世界の名前に現在位置、それに通貨の確認。とりあえずこの世界の情報の一部は理解したわけだが、さてこの後どうするか。
情報を得たからと言っても、それはもはやこの世界の住人にすれば常識も常識、知っていて当たり前のものだ。しかし、紙にはそれ以上の事は書かれていない。
つまり、この世界に関する情報の残り大部分は自分で探して理解しろ。ということだろう。もっとも、情報だけじゃ分からない事もあるから、文字通り習うより慣れろ、生活しながら覚えろと言う事か。
これはなかなか、スタート直前からかなり難易度が高くないか。それこそ海外へ移住する、なんて比じゃない。
ただ、先ほどの御者の喋っていた内容が分かるほど聞き取れていたので、おそらく言葉の壁みたいなものは心配しなくても済むかもしれない。
とは言え、まだまだ不明な部分も多いので楽観的になれると言う訳でもない。
「とりあえず、どうするかな……」
この世界に関する様々な情報を集めたい、更には現在ある所持金が底をつく前に安定した収入源も確保したい。更に更に言えば、生活基盤も固めたい。
しかしながら手を付けたい課題が多すぎて、一体どれから手を付けていこうか。その整理にはまだ時間がかかりそうだ。
ただ、今なにをすべきなのかは分かっている。何故なら、自分自身がその道しるべを腹の虫という腹鳴りで示しているからだ。
「腹が減っては動けないしな、飯だ飯」
エルガルドにやって来た感動に一区切りついたからか、自身の腹の虫は盛大にその音を鳴らしている。
ただ、この空腹を一体何処で満たせるというのだろうか。お金があってもそれを使える場所が分からなければ意味がない。
今いる場所がイシュダン王国の王都ということは分かっていても、その王都のどの辺りなのか。もっと言えば、何処になにがあるのか、そんな詳細な王都の把握が出来ていないのが現状だ。地図でも持っていれば話は別だろうが。
闇雲にでも歩き回れば分からなくもないだろうが、この空腹を満たしてからでないとむやみやたらに動いたところでお腹と背中がくっつくだけのような気がする。
となれば一番手っ取り早くて効率の良い方法は一つ、王都の地理に詳しい人に尋ねればいいのだ。
「あの、すいません。お尋ねしたいんですけど」
「あ? なに?」
答えが出たなら迷う事無く即行動。近くを通りかかった王都在住らしき男性に声を掛け近場に在る飲食可能な店を教えてもらう。
勿論、ただ飲食できればいいという訳ではない。収入源が確保できていない現状、お財布に優しくない高級店なんてもってのほかだし、かと言って安ければいいという訳でもない。
今後この世界で生きていくうえで食は切っても切れないものになる。ならば、この世界の食とのファーストコンタクトは出来れば平均的なものととりたい。最初にハードルを上げ過ぎ、或いは下げ過ぎて極端なカルチャーショックを受けたくはない。
「昼間も、ってなるとボルスの酒場がいいかもな。あそこは抑え目な値段だが質は悪くない、いやむしろいい方だ。それに、あそこは宿屋も兼用してたはずだから寝泊まりするにも困らない筈だぜ。場所はここから……」
「教えていただいてありがとうございます」
男性にお礼の言葉を述べると、教えてもらったボルスの酒場を目指し移動を開始した。