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手続きは大事です その3

 深呼吸を一つ、いよいよ異世界での第二の人生へ向けての最後の仕上げが始まる。かと思っていたが。

 窓口で受付を終えた刹那、女性職員からこれを持って二階の方へと言われ受け取ったのは、人間ドッグ等でよく見る衣服、そう検診衣だった。

 何故手続きをするのにこんな衣服が必要なのかと、当然ながら疑問は浮かんだが。そんな疑問を投げかけても仕方がないと、言われるがままに検診衣を持って別館二階へと続く階段を上る。


 すると、上った先では愛想の良さそうな男性職員が、自分の姿を見つけるなり率先して案内しますとやって来た。

 男性職員の勢いに流されるがままに、案内された更衣室で受け取った検診衣に着替え。続いて案内された大部屋では予想通りというべきか。


「はい、それではこれは?」


「えっと、右、です」


 身体測定や視力に血圧等、健康診断を受ける事に。

 特に変わったところもなく淡々と健康診断をこなしていく内に、これは本当に死後の世界なのだろうかと、そんな素朴な疑問が頭を過ぎる。


 それにこの健康診断が手続きにどう関係しているのだろうか。

 そんな疑問も思い浮かべながらも、健康診断を終えると更衣室で元の服装に着替え、指示されるがままに一階へと戻り待合椅子で待つことに。



 それからどれ位の時間待たされたのだろうか。ようやく自身の整理券番号が呼ばれる頃には、若干のだるさを感じていた。

 周囲を見回しても、職員と自分自身以外さして混雑もしていない程しか利用者はいないのにどうしてこうも時間を食うのか。などと内心文句をたらしつつも、本当に最後の仕上げを始める為に窓口に向かってその一歩を踏み出した。


「……以上の審査結果から、谷村様が異世界へとご移転する際の能力の追加向上、並びに規制等は一切ありません。ご理解していただけましたか?」


「は、はい」


 融通の利かなそうな、まさに役人の中の役人と言えなくもないそんな眼鏡の男性職員から告げられた言葉に、正直言って落胆の表情を隠せないでいた。

 世にあふれている異世界転生小説等は、物語の都合上もあるかも知れないがその多くは、所謂チート等と呼ばれる追加の能力だったり基礎の向上だったりがある。

 しかしながら、今さっき告げられたのは自分自身に対するそういった能力の追加や向上等はありませんと言う事だったりする。更に言えば、ペナルティらしきものもない。


 つまり、プラスもマイナスもなく、最強にも最弱にもなれず。まさに現状維持のまま異世界に行く事となる訳だ。

 突出しているとまではいかなくとも、少し位は魔法が多く使えたり腕っぷしが強かったりとを期待していたが、この結果には愕然とするしかない。


「では、ご移転開始までまだ時間がありますので、こちらのチケットを持って待合椅子でお待ちください」


 可能性を信じ、どうして少しの追加も向上もないんだと異論を唱えようかとも思った。しかし、異論を唱えて自身の立場を危うくしてしまったり、或いはなにかのペナルティを食らってしまうかもしれない。

 窓口の去り際に浮かんだ二つの選択肢。そして選んだのは、受け取ったチケットを持って待合椅子に座るという選択肢だった。


 自分から進んでリスクを負うなんて勇気は、結局無かったのである。


「はぁ……」


 事実は小説より奇なり、まさかその言葉を身をもって知る事になろうとは思ってもみなかった。

 いや、小説やアニメ等のようにいかなくとも多少なりともと内心期待していた分、蓋を開けて中身があれでは。そりゃため息だって出るさ。

 もう異世界に行くのやめようかな、なんて考えすら浮かんでくる。


「はぁ……、まだかよ」


 待ち時間を潰す方法もない中で待ち時間を過ごすのは、とてつもなく辛い事だ。更に、待ち時間の上限が分からないとなると、ますます辛い。

 せめて携帯位あればな、なんてないものねだりをしても無いものは無い。所詮は無駄な願いだ。

 なんてネガティブな気持ちが中心に来ていると、自然とため息の量も増える。


「はぁ……、あ?」


 しかし、そんなネガティブな気持ちも外部から刺激を加えられるとポジティブな物に変化する事がある。

 その刺激とは、親しい者からかけられる声だったり、或いは何気なく耳にしたり目に入る音や映像等だ。


 ただ、今回自身が受けた刺激とは文字通りの刺激であった。それも殆ど刺激のないと言ってよい、紙を丸めたものが体に当たったのだ。


 自身に当たって落ちたのだろう。足元に落ちている紙を丸めた物体は、ゴミ一つ見られない役所の床にあってかなりの存在感を示している。

 いやそれ以前に、自身にそれが当たったのだから、その存在感の大きさは他人の思っているものより大きい。


「誰だよ……」


 そして、紙を丸められた物体という刺激を受けた自分自身の心境は、確かに変化した。ネガティブでもなくポジティブでもない、怒りというものへと。

 だが、そこで大声で怒鳴り散らして犯人を捜す、などという程感情を制御できない訳ではない。

 怒りの感情を抱えつつも、静かに、そして投げつけたであろう犯人に気づかれぬように視線で周囲を見渡し探していく。


 すると、座っている待合椅子から然程離れていない、壁の近くに建てられている柱の陰に小柄な人影を見つけた。

 よく見ると、黒いローブを着た怪しげな小柄のおじさんと思しき年齢の男性の姿だ。


「あ」


 しかもその刹那、その怪しい小柄の男性と目が合ってしまった。更には、手招きして自分を呼んでいる。

 状況から考えてあの怪しい小柄の男性が紙を丸めた物体を投げつけてきた犯人だろう。しかし、その行いに対して注意をすべきだろうか。

 犯人像が鮮明に分かった途端、心の隅ではこの件には関わらない方が賢明ではないのか。という考えが浮かんできていた。


 だが、関わらなければ関わらないで今ある怒りのはけ口が失われてしまう。

 少し考え、紙を丸めたそれを手にすると、腰を上げ柱の陰へと歩み始める。


「おぉ、来たな」


 怪しい小柄の男性に歩み寄ると、改めてその小柄さが感じられた。

 年齢平均程の身長である自分と比べると、三分の二程度の身長しかないからだ。


「えっと、失礼だけどおじさん。これ投げつけてきたの、おじさんだよね」


「あぁ、そうじゃ。お主に気付いてほしくての」


 怪しい小柄の男性は少しも悪びれた様子もなくさらりと認めた。

 口髭を生やし物腰柔らかな表情を見せてはいるが、外見と中身が釣り合わないのは万国、もとい別の世界においても共通らしい。


「お主、これから別の世界に移転するらしいの。そこで、その前にぜひとも話がしたいと思ってな」


 もはやこちら側の怒りなどさらりと受け流されたのか、自身の本題について話し始めた。

 どうやら、最初から自分の怒りのはけ口は無かったようだ。


「少しばかり話を盗み聞かせてもらったんじゃが。お主、プライズもペナルティもなく移転するようじゃな」


 一体何処で盗み聞きなんてしていたのだろうか。少しばかりその点について気にはなったが尋ねる事はせず、怪しい小柄の男性の話に耳を傾ける。


「そこでじゃ。そんな可もなく不可もない平凡なお主に、わしからちょっとしたプレゼントを授けようと思ってな」


「プレゼント?」


 プレゼントという単語に、少し胸が躍った。しかしながら、素性も分からぬ会って間もない怪しい人物からのプレゼント、という点が引っかかってもいた。

 タダより高いものはない。とは言うが、一体何を貰えるのだろうか。


「ほれ、これじゃ。これさえあればお主のセカンドライフは多少なりとも刺激的なものになろう」


 そう言って怪しい小柄の男性が懐から取り出し手渡してきたのは、今や生前と呼ぶようになった自身の人生の中で頻繁に目にするようになった物だった。

 携帯情報端末ともスマートフォンとも見て取れるようなその物体。

 受け取って間近で観察しても、やはり生前に様々な媒体の情報や街中などでよく目にしていたそれとなんら変わらない物であった。


「これは、携帯かなにかですか?」


「電話としても使えんではないが。まぁ、簡単に言えば万能携帯端末じゃ。言葉通りのな」


 怪しい小柄の男性は不敵な笑みを浮かべると、それ以上この自称万能携帯端末についての説明を述べる事はなかった。


 詳細不明の自称万能携帯端末、使うのに躊躇いがないかと問われれば全く躊躇っていない訳はない。

 しかしながら、折角自身の待遇を不憫に思ったのであろう人物からのプレゼント。ほどほどの期待をしつつその時々で価値を見出すか。


「ありがとうございます」


「いやいや。それでは、お主のセカンドライフが素晴らしいものになる事を祈っておるよ」


 そう言い残すと、怪しい小柄の男性は何処かへと去って行った。

 怪しい小柄の男性の忘れ形見とも言うべき自称万能携帯端末、それをとりあえずはズボンのポケットに入れたそんな時だった。一番大事な事を聞いていない事実に気付いたのは。


「そういや、あのおじさんの名前聞くの忘れたな」


 再び会う事があるかどうかは定かではないが、プレゼントをくれた人物である事は確かだ。恩人の名前を覚えておいて損はなかっただろう。

 今から追いかけて。なんて考えがよぎった刹那、異世界に移転する者達を呼び集める職員の声が聞こえてきた。


 結局、あの人物の名前は諦め。職員の声のする方へと急いで向かった。

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