仲間
誓いの日、などと自分で命名しておいて多少恥ずかしいのだが。兎に角あの日から約一か月半ほどの月日が流れた。
翌日から始めた鍛錬は、教えを乞う人物もいない事から完全なる自己流で始まった。基礎体力作りの為に下見もかねて王都でランニングをしたり、筋力トレーニングで各部を鍛えたり。
更には、自称万能携帯端末内の機能の一つ。今の自分にはうってつけである剣術アプリなる剣のいろはや様々な型などを知る事の出来る機能を使い、部屋で或いは一目の少ない場所などで剣を振り続けた。
その間にも、依頼の面では下級害獣の駆除のみならず他にも酒場の手伝いや宅配の手伝いなどなど。相変わらず新米レベルの依頼の数々ではあるが、幅広く様々な依頼にも手を出している。
このイシュダン王国には四季がないのかも知れないが、変わらぬ気温と異なり自身の生活環境などはかなりの変化を迎えている。
人間はどんな環境の変化にも驚くほど順応する。まさかそんな言葉通りの人生を送るなんて、夢にも思わなかった。
もっとも、厳密に言えば一度人生を終えてからの再スタートとなる訳だが。
とそんな感想などをひしひしと考えながらも、もはや生活サイクルの一つとして定着したギルドでの依頼の手続きを終えると、受け取った報酬を大事に袋に入れギルドを後に一路王都内を歩く。
広場を行きかう大勢の人々、店先に溢れる威勢のいい或いは景気のいい声の数々。天高くには今日も太陽がその姿を見せ、燦々とその光を地上に降り注がせている。
時刻はまだ昼を少し過ぎた頃。そう、まだ空は暁色にも漆黒にも染まっていないのだ。
依頼の内容にもよるが、一ヶ月半ほど前なら下級の害獣駆除なら相当な時間がかかっていた。しかし今は、朝出発して昼過ぎには終わるというかなりの時間短縮となっている。
勿論、稼ごうと思えば数を増やす為に時間がかかるが、それでも翌朝筋肉痛で目覚めるなんて事はなくなった。
「っと、失礼しました!」
なんて自分自身で自画自賛していると、通行人と肩がぶつかってしまった。
時間帯的に通行量が多くなる通りなので注意不足は危ないと理解していた筈ではあったが、慣れてしまうが故の注意不足が招いてしまった結果だろう。
慌てて相手に謝罪の言葉を述べながら、振り向きざまにぶつかった相手の顔を確認しようとしたが、ぶつかった相手は深々とフードを被っていたため確認は出来なかった。
ただ、謝罪の言葉に反応して返してきた言葉は男性と言うよりも女性の声に聞こえた。
通行人と肩がぶつかるというトラブルこそあったが、それ以外は特に何も起こる事無く気づけば目的の場所へと足を運んでいた。
「今日はお早いお帰りですね、ショウイチさん」
目的の場所、それは今や第二の人生の新たなる我が家とも言うべき場所、酒場兼宿屋のボルスの酒場だ。
夕方や夜の文字通り書き入れ時は大賑わいを見せているが、現在の時間帯、即ち昼辺りは客足は殆どないといってもいい。ま、ギルドの様な一日中賑わいの絶えない例外もあるが。
「今日は無理せず切り上げてきたんだ。……あ、そうだ。マスター、お昼まだだから何か頼めるかな」
「分かりました。少々お待ちください」
もはや指定席と化したカウンター席に腰を下ろすと、料理が運ばれてくるのを待つ。少し遅いが、これから昼食だ。
そういえば、一か月半ほどの間に胃袋や舌の方も鍛え上げられたのではないだろうか。
エルガルドにやって来た当初こそ、この世界の食時は前世とほとんど同じだろうとどこかで思っていた節があった。
ところが、前世の世界でも国や地域によっては予想もしない物を平然と食べていたりするのである。世界そのものが違うのにほとんど同じだなんて、やはりありえなかった。
害獣なんて危険生物がうろついている世界の食事情は、正に想像のはるか上をいった。一部の料理に害獣の肉が使われてるなんて知った日は、一瞬吐きそうにもなった。
しかし、今やそんな事などあまり気にせず食べれるようになっていた。生きていくには食っていくしかないのだから。
それに、慣れれば案外美味しかったりもする。
なんて自画自賛を再びしている内に、料理が目の前に運ばれてくる。出来たてなので立ち上る湯気や香りが食欲を倍増させる。
「いただきます」
今すぐ食べたくて食べたくて仕方がない程腹が減っている訳ではないが、出来たての誘惑もあり。気が付くと、その手は次から次へと止まる事無く料理を口へと運び入れている。
料理の美味さも相まって、それ程時間がかかる事無く少し遅めの昼食を終えた。
「ご馳走様、マスター」
「相変わらず良い食べっぷりですね。あ、食後のコーヒーは?」
「いや、今回はやめときます」
特にお財布事情が関係する事はなく、ただ単純に今回は飲むのを止めようと、そう思っただけだ。偶にはそんな時もある。
「それじゃお勘定を……」
そして、お勘定の為に金額分の硬貨を出そうとした時だった。今まで気が付かなかった異変に気が付いたのは。
「あれ? あれ、……あぁ!」
硬貨を入れていた、というより全財産を入れていた皮製の袋が所定の場所に見当たらない。
慌てて立ち上がり鎧の隙間から鞘の中、更には靴の中まで。文字通り隅から隅まで探したが、何処にも袋が見当たらない。
置き忘れの可能性も考えたが、そもそもギルドにいた時には確かに持っていたのを覚えている。
と、そこまで思い出した所で、一つの可能性が脳裏を過った。
ここに来るまでに通行人と肩がぶつかったちょっとしたトラブルがあったが、まさかあの時肩がぶつかった人物、まさかその時に。
ぶつかった弾みで落ちる程袋を甘く固定していなかった筈だ。自然に落ちるという事が考えられないとなるとあとは意図的に、つまりはあれだ他人に気付かれずに他人の物をかすめとる『スリ』だ。
人生この方スリの被害になんて、少なくとも前世では一度も会わなかったし。そもそも無い事はなかったが国外の犯罪件数の多い地域と比べると圧倒的に少なかった、なので油断していた部分もあった。
国、というより世界そのものが異なるのだから、犯罪の発生率が前世の基準に当てはまるなんて事はあり得ない。もしかすると、今まで被害にあわなかったこと自体が奇跡なのかもしれない。
「あ、あいつ……」
もしあの人物がスリだったとするとあの人物が深々とフードを被っていたのはこんな時の為。つまりはスリに気づいた時に犯人捜しの手掛かりとなる顔などを分からなくする為の対策だったのでは。
無論、まだあの人物が犯人と決まった訳ではないが。他にぶつかった人物がいないとなると、あの人物が限りなく黒に近い。
とは言え、顔が分からず性別も多分女性だろうというだけでは、もはや犯人探しの望みは絶望的だ。
「いらっしゃいませ」
なんて、脳内で今後の生活プランの練り直しや防犯意識の引き締めなどを巡らせていると。いつの間にか店にお客がやって来たようだ。
お客の存在を知り、ここが誰でも出入りできる場所なのだと言う事を思いだし、そして赤面する。傍から見れば、先ほどの自身の行動はおかしいとしか言いようがないだろう。
兎に角一旦落着き、お勘定の事も含めこの件をマスターと相談しようと再びカウンター席に腰を下ろす。
すると、それを見計らったかのように今しがた入って来たお客が隣の席へと腰を下ろした。




