最初の第一歩 その6
鳥の鳴く声が聞こえ、暖かい光が閉じたまぶたを通して感じられる。夢の世界から現実世界へと戻ってきた。
閉じたまぶたを開き見慣れない天井に視線を向けつつも、エルガルドで迎えた新しい一日がやって来たのだと静かに思い返し実感する。
そして実感し終えると、体を起こそうと上半身を動かし始めた。だが刹那。
「あ、っ!」
全身から痛みが湧き上がってくる。体を動かそうとも動かさなくとも、全身からは痛みが主張してくる。
「やべ……、筋肉痛かよ」
我武者羅に剣を振り前世ではあまり使わなかった筋肉をいきなり酷使した事による代償。どうやらそれが時間をおいて今になって表れたようだ。
「い、まずい。な」
痛みのせいなのか体が思うように動かせず、動かせても痛みの為にその反応速度は昨日とはけた違いに遅い。
上半身を起こすだけでも、いつも以上に時間がかかっていた気がする。
「こりゃ、今日は無理かも……」
体がこんな調子では、害獣駆除どころかまともに依頼をこなせそうにない。それに無理をして体を壊しては元も子もない。
幸いにも金銭的には一日休んだぐらいでは影響は少ないだろうし、仕事の面でもフリーランスの為に依頼を既に受けていなければ一日休んでも迷惑は掛からない。
なので、今日一日は休息日とすることを静かに決めたのであった。
「ま、まずは飯。だな」
一日丸々休みとなるとベッドでごろごろとしていたいものだが、生憎と胃袋に関しては筋肉とは異なる主張を続けている為に食わない訳にはいかない。
身支度を整える為に木箱に放り込んだ物を取り出そうと手を伸ばすが、どうせ外に出る訳でもないし、と思い。結局皮製の靴と金の入った袋を持って、戸締りをし部屋を後にする。
数時間前の賑わいが嘘のように、静まり返った一階部分の酒場で朝食を堪能すると。マスターとの世間話もそこそこに、悲鳴を上げ続ける体を引きずるように再び部屋へと戻ってくる。
そして一目散にベッドに近づき寝転がると、なにをするでもなくただ天井を見つめ続けた。
しかしながら、ただ天井を見つめ続けているというのは面白味もなにもなく、直ぐに飽きてしまうもので。結局、数分後には暇だな、などと言葉が漏れてしまう。
かと言って、暇を潰せるものが部屋の中に置いてあるはずもなく。外に出れば暇を潰せるものもあるだろうが、筋肉痛ではあまり動きたくもない。
そして、こんな時になって前世で自分が受けていた科学の恩恵とやらを嫌でも認識する事となった。
「科学万歳……、ってか」
言ったところでなにかが変わる訳でもない無い物ねだりなのは分かってはいるが、こんな状況だからであろうか頭では分かっていても独り言が漏れてしまう。
「……、あ!」
そんな時だった、ある事を思い出したのは。
それは、昨日寝る前に気が付いた謎の皮製のポーチの事であった。
一体中にはなにが入っているかは分からないが、ただ天井を見つめ続けているよりかはいいだろう。
ベッドの上で這うように体を動かし木箱からあのポーチを取り出すと、再び寝転がりながらポーチの中身を取り出す。
「あ」
ポーチの中から出てものを確かめると同時に、脳裏にあの人物の不敵な笑みが思い出された。
そう、ポーチの中から出てきたそれは、あの怪しい小柄の男性から受け取った自称万能携帯端末だった。
このエルガルドには似つかわしくないであろう、科学文明真っ盛りな外観をしたそれは、何故今見ると不思議と懐かしさを感じてしまう。
「お、起動した……」
そんな自称万能携帯端末のボタンを何気なく押してみると、受け取った際にはなんの反応も示さなかった筈が、今では当たり前のように反応を示した。
あの時と今とでは一体なにが変わったのかと考える事もなく、久しぶりに体感する科学文明の懐かしさと暇を潰したいとの思いから。気が付くとまるで新しいおもちゃで初めて遊ぶ子供のように、自称万能携帯端末の機能を隅々まで確認していた。
この自称万能携帯端末には、今後の生活に役に立つであろう機能がいくつか備わっている。例えば、エルガルド大百科なる機能は文字通りエルガルドの様々な情報が記載されており、その中には『スライムの核』等昨日の依頼やこの王都に関する情報も記載されている。
他にも日付や時間などを確認できる機能などは長期の依頼等で役に立つかもしれない。
とは言え全ての機能が役立つものでもない。例えば、電話やメール等の機能に関しては今後使用する事があるのかどうか分からないし、複数あるゲームアプリなど本当に暇つぶし用だろう。
しかしながら、今この時にとってはそんな不用だろうと思われる機能も役に立つ。
前世においてはこの手の携帯ゲームは少し手の空いた時にやるのが一番良いとされていたが、ゲーム等の電子的な娯楽がないこの現状においては、これはまさに時間を割いてやり込むものと化した。
「お、あ、そこだ!」
画面をタッチしテンポよくターゲットを撃破しステージを進める。傍から見れば画面をタッチしているだけのそんな単純な動作を繰り返し、時折姿勢を変えながら一体どれくらいの時間が経過しただろうか。
気が付くと、窓から差していた光は夕焼け色に染まり。耳を澄ませば一階部分の酒場からは、客たちの陽気な声が微かに聞こえてくる。
時間を確認すると、もはや夕方と言うよりも黄昏時と言うべき時間であった。
「うわ、やり過ぎた」
やり込みのめり込み、結局一日丸々ごろごろするどころかゲームを遊んでその時間を使い果たしてしまっていた。
その後、何気なくこの自称万能携帯端末にはバッテリーの残量なる表示が無い事に気が付き。もしかするとバッテリーと言う概念すらないのではと考えながらも、反面では体は動かず時間を過ごす。
しかし、体を動かしていなくとも不思議な事に腹の虫は鳴くもので。空腹感と共に食欲に突き動かされるように、賑やかな或いは雑音溢れる一階部分の酒場に向かって自然と部屋を後にしていた。
昨日と同じく様々な客層が集まった酒場は、酒の臭いと食事の香りとが混ざり合い、そこに様々な声が混じり合い独特な味を醸し出している。
そんな中で自分はと言えば、昨日と同じくカウンターで夕食を堪能し、マスターと談笑したり滞在の延長の相談をしたりとして時間を過ごす。
この頃になると、朝方の筋肉痛も幾分かは和らいでいた。
そして、再び部屋へと戻ると満腹感と共にやって来た眠気に応えるべくベッドに寝転がる、筈であった。
「なんだよこれ……」
だが部屋に入るや否や、眠気を吹き飛ばすような光景が目の前に広がっていた。それは、部屋を出る前には確かになかった大きめの木箱が、部屋の中央に鎮座していたのだ。
「え、え? えぇ」
先ほど部屋を出る前に戸締りはしたし、そもそも今日は殆ど部屋の外に出なかった。しかし今しがたまでは部屋にいなかったのは確かだ。となると誰かが、いやそれ以前にどうして。
目の前の光景に頭はもはや混乱状態だった。一体誰が何の目的でこの部屋にこんな大きめの木箱を置いたのか、それに木箱の中身は一体なんなのか。
分からない事だらけではあったが、とりあえずいつまでも出入り口付近で突っ立っていても仕方がないので部屋の奥へと足を運んだ。
部屋の奥へと進むと言う事は謎の木箱に近づくと言う事であり、そうなると視線が謎の木箱に向かわない訳にもいかず。結局まじまじと謎の木箱を観察する事になる。
外見は至って標準的であろう、この部屋に元々置いてあった木箱とあまり変わり映えしない、しいて言えば鍵が付いていない程度の違いしかない。
しかし、外見は平均的でも中にはなにかが入っている筈だ。中の物次第では大変な意味を持つ逸品になるかも知れないし、その逆もあり得る。
恐る恐る手を伸ばし木箱の蓋に手をかけると、ゆっくりと蓋を開け警戒しながらも中身を確認する。
「……お?」
木箱の中には黒い布で包まれたなにかと、その上には一枚の手紙らしき紙が置かれていた。
黒い布の中身も気にはなったが、とりあえず手紙らしき方から先に手を伸ばすと、書かれた内容を確認する。
「プレゼントって、なんだよこれ?」
手紙に書かれていた内容は、簡潔に言えば結果として今日一日を費やしてしまった自称万能携帯端末で遊んだゲーム、そのクリア特典らしい。
しかも、まさに見てからのお楽しみと言わんばかりに何が送られてきたのかまでは書かれていなかった。
「まぁ、見てみるか」
手紙を読み終えると、今度は黒い布に手をかける。この黒い布をめくれば、特典の品とやらが何かが分かる。
だが、あの自称万能携帯端末で遊んだゲームのクリア特典だ、一体どんな品物が送られてきたことやら。タダより高いものは無い、なんて言葉があるように一癖も二癖もある物だったらどうしよう。
期待と不安が入り混じりながらも、黒い布をめくると現れたクリア特典の品物を確認する。
黒い布をめくり現れたのは、黒光りする鎧らしき物であった。
手に取り細部を確認すると、それは日本の鎧と言うよりも西洋の鎧に似た物であった。一体どんな素材で出来ているのかは分からないが、手に取った時の重さは然程重くはない。
肩当てや胸当て、ひざ当てやすね当て等、体の各部を保護する各パーツがあるが。何故か兜は見当たらないし、腰当は片方のみで小物入れなどに最適なポーチとベルトが入っていた。
とは言え、詳しい名称は分からないが前世で実際に使われていた西洋の鎧と比べると、一見して異なっているように見える。だがもしかすると、エルガルドにおいてはこの手の鎧は一般的なのかも知れない。
そんな鎧一式を図らずも手には入れたが、残念ながら木箱の中には鎧一式以外入っていなかった。
そう、武器たるものが無かったのである。
「そんな都合よくないか……」
やはり世の中そんなに都合よくはいかない。とため息交じりに思ったが、そこであることを思いつく。
それは、今回クリアした以外の他のゲームもクリアすれば武器が手にはいるかも知れないと言う推測だ。
一つのゲームをクリアして鎧一式が手に入ったのだから、もし推測通りなら武器も特典として貰えるかも知れない。
「やるか」
思い付いたら即行動。自称万能携帯端末を手に、ベッドに寝転がるとまだクリアしていないゲームアプリを起動し遊び始める。
昼間と違い夜の為日の光はなく、ランプの灯りを頼りにしている為目の疲れが心配されるが。それでもクリアを目指して黙々と画面をタッチし続けた。




