ようやくなのね
次にマヤが目覚めたのは、病室のベッドの上だった。
マヤが目覚めた事に気付いた医療班員は、無線で連絡を取り、アックス提督をそこに呼び出したようだった。
アックスが、マヤの寝ている病室に入って来た。
「少尉、どうだい具合は。」
「はい、もうどこにも痛みは感じません。気分も良いです。」
少し照れくさいような、はにかんだ笑顔で、マヤは応えた。
「そうか・・、良かった。本当に良かった、無事でいてくれて。」
しばらくは、マヤや医療班員に、マヤの容体について色々と尋ねていたアックスだったが、それが一しきり終わると、やや真剣な面持ちになって言った。
「少尉。危険な行動は慎んでもらわないと困るよ。危うく、大切な副官を失うところだった。」
窘めるような言い方にマヤは、心の中では、心配してもらっているという喜びを感じてはいたのだが、口からは全く別の言葉が出て来た。
「それはこちらのセリフです!副官一人を救う為に、艦隊司令長官ともあろう人が、あんな危険な瓦礫と炎の中に飛び込むなんて、軽率です。そちらこそ、お立場をわきまえて下さい!」
今まで出した事の無い、責めるような、咎めるような厳しい声色で、アックスを非難してしまった。少し真顔で話しかけただけで、たじたじとなり、しゅんとしてしまうようなこの男に、そんな厳しいもの言いなど、したくは無かった。少ししゅんとした顔を見せられただけで、慌ててしまうマヤには、この男を非難するなど、苦痛この上ない事なのだ。心の中でどれだけ罵ろうとも、現実世界では、穏やかな対話ばかりをしていたいのだ。
命の恩人に、あの瓦礫と炎の中に決死の覚悟で飛び込み、救い出してくれた人に、そんな言い方は無いと、酷すぎると、マヤ自身も思った。そんな言い方をした事が、自分でも不思議でならなかった。
しかし、アックスが、その身を危険に曝すという事は、マヤには受け入れられない事なのだった。ビルの爆発崩落現場などという、危険極まりない場所を歩くアックスの姿も、マヤにとっては、おぞましい限りの光景なのだった。ただアックスに、危険な事はして欲しくないという一念から、思わず出してしまった言葉だったのだ。
「そうだね・・。」
アックスは、ひとことそう言うと、くるりと背中を向けた。
(この男の背中を、何度見送っただろう。背中を見送ってばかりな気がする。今日もこのまま、この背中を見送る事になるのだろうか?)
マヤがそう思う間に、アックスは一方前に踏み出した。スペースコームジャンプでもしたのかと思う程、一気にその背中が遠のいたように、マヤには感じられた。絶望的な距離が、2人の間に出来てしまったと思われた。
(どうして、こうなってしまう?お互いを心配しているだけなのに、それが、こんな距離を生み出すというか?愛する人を案じる気持ちから発してしまった、厳しすぎる言葉で、その人の心を、何光年もの先に遠ざけてしまったのか?)
マヤの心中に、やりきれないような息苦しさが広がって来た。悲しかった。寂しかった。また、泣いてしまいそうだ。
「はーーっっ」
とアックスは、深いため息を付き、
「そんなに、僕の身を案じてくれていたんだね。自分の安全より、僕の・・・。」
と、消え入りそうな小さな声でつぶやいた。そして再び、くるりと反転し、マヤの方に向き直り、言った。
「少尉・・いや・・ミス、マヤ。良かったら・・、今度・・2人で・・、食事でもどうかな?」
(こ・・こんなタイミングで言うんだ。)
待ちに待った言葉が、恐ろしいほどに想定外の状況で飛び出した事に、マヤは驚愕したが、それと共に、喜びも溢れて来た。
この言葉に対する返答は、何百回も何千回も、シミュレーションして来た。そのシミュレーションの中では、マヤは極めてクールに、格好良く、スタイリッシュに言葉を返したものだった。
「あら、めずらしい。よろしくてよ。」とか、「まあ、どういう風の吹き回し。高くつくわよ。」とか、落ち着きと温かみのある声色で、包容力に溢れた表情で、にこやかに対応するはずだったのだ。だが、現実には、マヤは、完全に裏返った甲高い声で、
「ハイィィッ!」
と、一言叫ぶだけと言う、見栄えも何もあったものじゃない返答しか出来なかった。
それを受けての、アックスのリアクションも、これまた見栄えのしないものだった。
「ほ・・ほ・・ほんとに!?・・本当に良いの?来てくれるの?い・・い・いやったぁぁー」
と、まるで大人気の欠片も無い、アホ丸出しの喜びようだった。
(何で驚いているんだ?断られる可能性があると、この男は本気で心配していたのか?3年間も付き合ってきて、この男は私のどこを見ていたんだ?副官と食事に行くというのは、この男にとってはどんな行動なんだ?)
が、まあ、兎にも角にも、マヤはアックスに食事に誘われるという、3年に渡ってくすぶらせ続けて来た願いを叶えられたのだった。
内心での抗議の声をよそに、マヤとアックスはお互いに、これまでに見た事も無い程の朗らかで明るい笑顔で、互いを照らしていた。
爆破事件を受けて、第五艦隊はパリレオ星系に再び拠点を移し、カーリア王国軍首脳との会談もそこで行われた。
会議の席上で、連邦政府からも色々な報告があり、ヴォーラル公国がカーリア王国や周辺の遊離星系の支配を正式に断念したと表明して来た事が、アックス達に知らされた。カーリア王国に潜伏していた残党も引き上げて行き、当該宙域からヴォーラル公国の戦力は、全て撤収した。
カーリア王国も、第五艦隊が駐留していた幾つもの遊離星系も、正式な独立国として銀河連邦政府に加盟し、帝国の銀河制覇の野望を阻止する戦いの一翼を担う事が、確認された。第3次銀河大戦の趨勢が、大きく連邦有利に傾いたと言ってもいいだろう。だが一方で、ヴォーラル公国からはギヨーム帝国との同盟維持や、連邦政府との交戦継続もきっぱりと表明され、帝国陣営の一角を崩すという成果までは、得られなかった。
銀河各所での、連邦と帝国の一進一退の戦いも当面継続する事となり、まだまだ第3次銀河大戦は終わりそうにも無い事が、浮き彫りとなった。
その事はアックス提督を大いに落胆させた。数万人の命を奪い、数千の仲間を死に至らしめ、副官の命までをも危険に曝してでも、第3次銀河大戦を終わらせられなかった事に、失望した。まだまだ、愚かな殺し合いを続けねばならない。大切な部下に、命を懸けての人殺しを命じなければいけない。
とてつもなく壮絶に重い十字架を、アックスは、これからもずっと背負い続けなければいけないのだ。だがそれは、もはや、彼が一人ぼっちで背負うものでは、無くなりそうだった。
マヤは任務に疲れ果て、ようやく自室に戻って来た。海岸線沿いにある、パリレオ星系の豊かな森の中にたたずむバンガローが、彼女にあてがわれている宿舎だった。窓からは、満天の星空が、この惑星の青黒い海原に映り込み、ゆらゆらと揺らめく、幻想的で美しい景色を望む事が出来た。
そんなロマンチックな景色を眺めながら、マヤは、数日前の夕食を思い出していた。
(なんてみっともなく、子供のようにはしゃいでしまった事だろう。)
マヤは、思い出すだけで赤面した。ここ数年出した事も無いような、甲高い、悲鳴に近いようなはしゃぎ声を、十代の少女の様な黄色い歓声を、何度も何度も挙げてしまったような気がする。たかが食事に誘われただけで、あんなにも舞い上がった様を見せてしまったら、もうマヤのアックスへの想いなど、絵に描いたほどに明らかになってしまう。彼らを知る者が、あの夜のマヤを目撃していないことを、マヤは切に祈るのだった。
オートシーンキャプチャーという装置が、彼女達の時代にはあった。幾つかのプロペラで空中を飛び回る、電子頭脳で制御されているカメラが、持ち主にとって有意義と判断したシーンを、自動でどんどん撮影してくれるように仕組まれた装置だ。特別な日にそれを飛ばしておけば、後は何もしなくても、持ち主の気に入るような記念写真が、次々に作成されて行く。
アックスとの初めての食事の日にマヤは、普段はポケットに収まるサイズに折りたたまれているそれを、展開し、飛ばしていた。店に入る直前に、店の扉の前で、2人で並んでみせると、そのオートシーンキャプチャーは、それ自身の判断で二人の正面に飛んで来て、店の看板や入り口の構えがしっかり映り込むように、2人を撮影してくれた。マヤがアックスに、そっと身を寄せてみても、オートシーンキャプチャーはマヤの意を汲み、色々なアングルから、そんな二人の様子を激写し続けてくれたのだ。
そうして出来上がった多数の画像の一つを、マヤは自身のコンタクトスクリーンに投影し、見てみた。店の席に座るアックスに、背後から、抱き付くような勢いで寄り添う自分自身の笑顔の、何てだらしない事だろうか。そんなにも大きな口を開けて、そんなにも目を細めて、そんなにも髪を振り乱して、良い歳の女が、呵々大笑する事も無いだろう。浮かれすぎ、舞い上がりすぎている様は、見れば見る程、情けない。格好悪い。
(それに何なのだ、この、甘え切った抱き付きっぷりは・・。左の乳房など、あの男の右肩に押し付けられて、グニャリと変形してしまっているではないか。何て破廉恥な!)
これまで何度も、知人女性の映った同様の画像を見せられ、卑猥だの下品だのと、心の内で罵って来たが、まさか自分が彼女達と同等、いやそれ以下の醜態を演じてしまう日が来るとは。
(そして、この男は、この時の右肩の感触についてどう思っているのだろうか?何食わぬ顔で、カメラに向かって笑いかけていやがるが、その心の奥で、右肩の感触について、何を考え、どんな想像を膨らませていやがったのだろう。)
それを考えるとマヤは、今すぐにでも、このあほ男の首を締めに行きたい衝動に駆られるのだった。
(でも、まあいい。)
と、マヤは思った。何はともあれ、2人で食事をし、次のデートの約束も取り付けたのだ。
「デートだ。」
マヤはニヤリとしてつぶやいた。あの時確かに、あの男は「デート」と言う単語を用いて、次の逢瀬を約したのだ。
「デート」
再びその言葉をつぶやいた時のマヤの顔が、あの画像の中のだらしない笑顔と、同様同等のものになっている事に、当のマヤ本人は、気付いてはいなかった。
(それにしても・・、)
マヤには一つ不満があった。確かに楽しい食事となり、終始笑顔で過ごす事が出来たし、次のデートの約束も出来たので、上首尾の一晩であったと言って良いのだが、それでも、どうしても、あの男にひとこと言っておかずにはいられない事が、マヤにはあるのだった。
人工のものではあるが、豊かな海と森に恵まれた、温かな暗闇の広がるパリレオ星系第1惑星の夜に包まれて、ヤマのときめきとイライラは、留まるところを知らなかった。
銀河標準歴255X年10月12日 パリレオ星系第1惑星の地上にて。
任務の方に激変有り。第五艦隊にはゼロ号ワームホール近傍にある、連邦軍本拠地への帰還が命じられた。代わって第六・第七艦隊が派遣され、旧第一~第四艦隊の残存兵力から再編された、新造第一・第二艦隊と共にカーリア王国に駐留し、この地をヴォーラル公国攻略の兵站基地化する任に当たる事になった。当地、パリレオ星系も第六艦隊の管轄下に入る。
我ら第五艦隊の兵員には、長期の休暇が与えられ、平和で安全な銀河中心宙域で、しばしの安息を楽しむ事が出来るようだ。
私生活の方にも大いなる進展有り。3年に渡って誘いの言葉が無かった提督と、初めて食事を共にし、実に充足した時を送った。更に、今後の交際の進展も確定的となり、極上の長期休暇を過ごせそうである。
しかし、ここに一つ、しかと記しておかねばならない事がある。どうしても、提督にひとこと言っておきたい事であり、本人に面と向かって言えば良いのではあるが、交際が始まったばかりの状況を鑑みれば、なかなか直言は致しかねるのだ。
よって、この日記にしたためておく事で、胸中のわだかまりを慰める事にする。
2人で初めて行った食事が、牛丼とは何ですか!




