――不可抗力。頬の痛みは、決定的な事。
九話目を更新しました!
この話は、この九話目で終わります!
いつも変わらず読んでくださっている方、ありがとうございます!
それでは、九話目をお楽しみください!
――カラン。
冷たく、乾いた金属音が、部屋に響いたのは俺がおかずの唐揚げを口に運ぶ瞬間の事だった。
その音を合図に、今日の出来事や面白かった話をお喋りしていた空間は、冷房を入れたかのように瞬時に冷え込み、会話は凍ったように途切れた。
音の原因は月が床に落としたフォーク。落とすきっかけを作ったのは、何も考えず、今日の出来事として喋った編の一言にあった。
『つづりが倒れちゃって、ビックリしたよ』
そして、月はお気に入りの可愛いフォークを落とした。焦る様子も、それを拾おうとする様子もなく、月は俯き加減、それに金属音のように冷たい乾いた声で、
「ねえ、お兄ちゃん。――本当なの?」
視線はこっちを向いていなくとも、確かに質問を俺に投げかけていた。
「……ああ、うん。倒れちゃったみたい……だな」
「――倒れちゃったみたい? なにそれ」
「い、いや……所々に記憶になくて、倒れた時とか、そのあとの事とか……保健室で寝ていた事は確かな事だけど。で、でも! ほら、別に体に支障はないし、意識もはっきりしているから……前みたいな事は――」
バンっ!
「そんな事、分からないでしょ⁉」
俺の声は、机を叩く音と、月の荒げた声でかき消された。月は、俯いていた姿勢から視線を俺と編に合わせ、ふうっと小さく息を吐いて、言葉を吐いた。
「また、精神的に無茶な事をしてたんじゃないの⁉ 嫌な事とか、重度のストレスとか、感じてたら些細な事でもいいから、月に話してって言ったでしょ! お兄ちゃんは、何を想っていたの⁉ お兄ちゃんは、何を考えていたの⁉ お兄ちゃんは、何を思い返していたの⁉ もう、心配しなくていいからって言ったよね……もう、月は大丈夫だって言ったよね……また、倒れた原因は月なの……? ねえ、どうして、編ちゃんがいるのに、お兄ちゃんを助けてあげられなかったの? 編ちゃんは、お兄ちゃんの幻影でしょ? 心がシェアリングしているんでしょ? どうして……どうして、気が付いてあげられなかったの? ねえ、どうして。どうして、お兄ちゃんは、自分が倒れたのに、そんなに平然とした顔でいられるの……? 編ちゃんが言わなかったら、お兄ちゃん。黙ってたよね、隠してたよね……やめてよ、そんな事……もう、昔みたいになりたくないの……もう、月を一人にしないでよ……完璧に治ったわけじゃないって先生も言ってたよね……無茶はするなって、相談をしなさいって、人を頼りなさいって、お兄ちゃん……自分が心配じゃないの……? 自分の事なんて、どうだっていいの……? そんな事思わないでよ……もっと、自分を大切にしてよ……月はお兄ちゃんが心配で心配で心配なの……もう、誰も失いたくないの……月の隣で寝てほしいの……月のリボンを結んでほしいの……月の話を聞いて笑ってほしいの……月には、もうお兄ちゃんしかいないから……大切な存在だから……月がお兄ちゃんを守ってあげるから、絶対に一人にはさせないから、悲しませたり、怖がらせたり、お兄ちゃんに悪いことをしようとするものから守ってあげるから……ね。
だから……だから、自分を大切にして……もう、無茶はしないで……」
月からは、大量の言葉と一緒に綺麗な雫も流れていた。その雫は頬を伝って、その言葉は俺に流れて、一人の想いは一つの柱のようで、誰かに伝わって。
――この日の夕食は、中途半端な時で幕を閉じた。
口へ運ぼうとしていた月の手作り唐揚げは、食べられることなく、その存在を形にしたまま皿に盛られている姿は、まるで月の感情を表しているような、そんな気がした。
――チッチッチ。
今、静まり返ったリビングには月の姿も編の姿もない。時計の音だけがリビングを俺を存在させているようなぐらい、いつもとは違った空気が流れていた。別に、さっきの空気が未だ漂っている訳ではない。なんだか、言葉に出来ない空気、そんなのがこのリビングに漂って、この家にいる三人はお互いに別々の場所にいた。
俺はリビング。編はお風呂。月は寝室。編はお風呂に入っている訳で別に心配ではない。いつものように長いだけ。今、心配なのは月の事だ。
寝るにしては早い時間で、寝室からは物音ひとつ聞こえてこない。
「寝たのか……?」
やっとの事でこの部屋には人声が響いたが、それは俺の独り言であって呟きで、誰も反応することは無く、俺の言葉は消えていった。
胸の奥にある違和感。このままじゃダメだ、と分かっている。頭の中はぐるぐると回って、それを行動に移そうとしても、なかなかソファーに埋まった体は動いてくれない。
大きく息を吸い込み、大きくそれを吐いて、また大きく吸い込んで、大きく吐いて。繰り返して体を起こす。
「――よし」
寝室の扉を二回ノックして、「入るぞ」断りを入れて重く感じた扉を開け、落ち着くオレンジ色の世界に足を踏み入れた。
ベッドに蹲って寝ている月の横に座り、その体重でベッドがギシッと歪む音に、月はゆっくりと目を開けて体を起こした。
「月」
「……なに」
視線は合わせてくれない。が、声の感じからして落ち着いているようだった。
「ご、ごめんな……心配かけて……」
「……うん、本当に」
「言わなかった方が、知らなかった方が……月には、心配かけたくなかったから……でも、言い訳にしかならないって事は分かってる。誰にも相談することが出来なかった俺は……ごめん。本当に……ごめん」
右手の傷、それをなぞりながら月に謝った。残る傷痕とはこれからも一生付き合っていかないといけない。それを見るたびに、月の泣き顔を思い出さないといけない。痛まない傷跡に、痛む心。受け入れて生きていかないといけない。
月の顔を直視できていない俺に、見慣れているパジャマに着替えていた月は細い腕を伸ばし、比べると大きな俺の体を優しく抱き寄せた。
「……月?」
「お兄ちゃん……もう、こんな事はしない? もう、月に内緒事はしない? 約束して、お兄ちゃん」
「――ああ、もうしない。内緒事はしない。約束する、絶対に」
「本当かな……お兄ちゃん、心臓の音が速くなってるよ……? 確か、人は嘘を付くと心拍数が上がるみたいな事を聞いたことがあるような……ないような……」
「大丈夫だ。誓う。絶対に、しない」
嘘などは付いていない。月に内緒事はしない、約束した。それなのに、心拍数は上がる。どうしてなんだろうか。
「――じゃあ、あと。もう一つ聞いて」
「うん、何をだ?」
「目……つぶって」
「目?」
「そう、目。目をつぶって、早く」
「こ、こうか……?」
言われるがままに、俺は目を閉じた。今まで見えていた景色が一気に暗くなり、何も見えなくなる。
どうしてだろう、と俺に目をつぶらせた理由を考えさせる間もなく、右に頬に柔らかい感触と、柔らかい吐息を感じた。
「なっ!」
パッと目を開き、さっきまで見えていた景色に戻ると、さっきと同じように月は俺の胸に頭を埋め、
「これで、許す」
と、呟いた。
心拍数、上がっているだろうな。心の中で思い、俺も月の体に腕を回し抱き寄せた。
「ちょ、お兄ちゃん……」
なんだか、ギューっと抱きしめたくなったから。
「苦しいか? 苦しいのか?」
いたずら気分で言うと、
「胸……当たってる、から」
ガチなトーンで言われた。申し訳なさと、気まずさを感じた俺は回していた腕を放すと、月は起こしていた体勢から俺に回した腕は解かず、そのままベッドの横になった。腕を解かれていない俺も当然の事、つられて横になる。
二人、密着した体勢でベッドに体を預けた。
「――お兄ちゃんの匂いがする」
「そりゃ、そうだろ。俺なんだから」
「やっぱり落ち着く……お兄ちゃんのそばに居ると」
「……そ、そうか」
「お兄ちゃんは、落ち着かない? 月のそばに居ると」
「いや、落ち着いて……いると思う。うん、落ち着くよ」
「なに、その言い方。月の胸、触ったくせに」
「い、いや、あれは触ったとは言わないだろ……あれだ、あれ。不可抗力っていうやつだ」
不可抗力、それは万能な言葉だと思う。
「ふーん、お兄ちゃんのエッチ」
「目を細めるな、目を。本当に、俺が触ったみたいになるだろ……? そ、それにな、月だって……したじゃないか……」
「したって……?」
「俺の頬に……」
「チュー?」
「言うな、恥ずかしい!」
「……なにそれ。それに、月はいいの。スキンシップだもん。でも、お兄ちゃんのはスキンシップを通り越そうとしてた」
「だから、不可抗力だって……」
この世界(現実)では不可抗力という魔法の言葉は通用しないみたい。
「……エッチ」
もうエッチでいいや、と思った。
それからは朝までこの抱き合った体勢で寝てしまったらしい。朝起きても、この体勢だった為に気付いたと言うのもあるが、何よりも俺の頬に痛みを感じた事が決定的な事だった。
そして案の定。この日の朝、編の機嫌は悪く、飲みたいと言って買ったアライグマの飲み物は、半分以上残っているまま、机の上に放置されていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
読んでくださる方が、一人でもいる限り、
僕は頑張って、執筆活動を続けたいと思ております。
これからも、そんな僕と、綴たちを応援していただけたら幸いです!
* 次話は、十話目(前)を六月五日に更新する予定です。
そちらの方も、お付き合いお願いします!