プロローグ(高校入学前)
読まれる世界の日常と読む世界の非日常な物語。
綴へ
この手紙を読んでいるということは、私が想像した通りに最悪な事が起き、
そして私は既にこの世にいないということになる。
研究は失敗した。
私は幻影について深く考えすぎたのかもしれない。
綴がこれを読んでいるということは小学校を卒業して、近々に中学校の入学式を控えていることだろう。
そして綴は幻影についてどれくらい理解しているのだろうか。
「幻影とは、人間と生命を共有しなければ存在することが出来ない」
このように小学校高学年で習ったはずだ。
だが、ここで幻影について教育機関が教える事を書いてもしょうがない。
綴、幻影はとても怖いものだ。
綴、幻影はとても危険なものだ。
そして、我々人間と同じだ。
私の幻影はとても自己意識の強い奴だった。
綴、もし幻影と生命を共有する事があるならば、自己意識を強く持て。
いつ影に飲まれるか分からない。
その意識を強く持て。
確かに幻影は、人間が生きていくうえで便利であり、正確だ。
だがな、綴。
頼り過ぎて自分の価値を忘れるような事はするな。綴は私にとって、母さんにとって価値のある人間だ。
自分を信じ、自分に強く生きろ。
私のように飲み込まれるな。
そして、私を影に飲み込んだ幻影との接触は避けろ、絶対に。
父さんからの手紙を読んだのは、明日に中学の入学式を控えている今日だった。
父さんは幻影について研究していて、口癖は「分からない」。
そんな父さんが亡くなったのは、俺が小学五年の冬。いつものように学校から帰宅すると、母さんが泣いていた。
『どうしたの?』
そう聞くと、母さんは俺を抱き寄せ、
『お父さん、飲み込まれちゃったよ』
嗚咽交じりに答えた。
すぐには理解出来なかった。どうして母さんが泣いているのか、どうして父さんが飲み込まれたのか。
そのあとすぐに帰宅してきた妹にも同じように母さんが言うと、妹も泣いた。
その状況に、「どうして俺は泣いていないのか」「泣かないといけないのか」
そのことについて理解したのは、次の日の学校で、幻影についての授業の時だった。
その時の記憶は鮮明に覚えている。
授業中にも構わず、俺は大泣きした。理解した途端、涙が溢れ止まらなかった。
困った先生、戸惑うクラスメイト―――構わず泣いた。
そして幻影を憎んだ。父さんを影に飲み込んだ幻影を俺は憎んだ。
先生は言う。
『幻影とはちゃんと向き合って生活をしていれば、何の問題もなく仲良く暮らせる』
嘘つきだ。先生は嘘つきだ。父さんは幻影とちゃんと向き合っていた。いつも父さんの口からは幻影の話ばかり、父さんほど幻影好きな人はいないはず。
なのに、父さんは影に飲み込まれた。どうして、どうして、どうして。
先生に反抗した。幻影が欲しい欲しいというクラスメイトと対立した。
幻影なんていらない。幻影なんて悪魔だ。幻影なんて――――。
気付けば俺の周りには誰もいなくなっていた。
孤独な小学校生活を過ごしてきたのも幻影のせい、父さんを飲み込んだ幻影のせい。
小学校の卒業式、あまり思い出は無い。
明日は中学の入学式、新しい制服、新しい教科書、新しい鞄。
そんな中、母さんに手紙を渡された。父さんからの手紙、幻影の事について。
「幻影なんて……」
憎いだけだ。俺は幻影なんていらない。頼らない。
――――――そう思っていた。
「どうしよ……家に忘れたかも」
新しい鞄に手を突っ込み、入学式に必要な書類を家に忘れたと気が付いたのは、母さんが運転する車の中の事だった。
「もう、だからちゃんと確認しなさいって言ったのに」
進んでいた道をUターンし、家へと戻る。
「……ごめん」
車内に付いてあるデジタル時計を確認すると、ここから書類を取りに戻って学校を再度、目指すとしても間に合うほどの時間だった。
それでも、
―――ついていない。
今日は土砂降りの雨。
桜が綺麗に咲き、穏やかな風が吹く、爽やかな一日。とはならなかった。
車を叩く雨粒の音が車の中にいても聞こえてくる。
「ねえ、綴」
「―――なに、母さん」
「本当に、幻影とはシェアリングしなくていいのね?」
「うん。俺は、幻影なんていらない」
「幻影なんていらないって言っても……今の世の中、幻影がいなかったら不便なことだらけなのよ? 今は幻影がいないと就職先だって限られてくる時代だし……将来の事を考えたら、やっぱり――――」
「いらないよ、幻影なんて」
俺の言葉は母さんの言葉を遮る。
「でもね、綴。 普通は中学入学と同時に幻影を召喚して、シェアリングするのよ。あなただけ幻影がいないだなんて、また一人になったらどうするの」
「その時はまた……一人でいいよ。 それに全員が幻影を召喚できるわけじゃないし・・」
「それは精神が不安定な人だけでしょ? でもあなたは幻影とシェアリングしても、飲み込まれる危険性は無いってこの前、ちゃんと機関に行って調べたじゃない」
「飲み込まれるって……」
―――母さん、覚えているだろ。
「綴、お父さんの事を気にしすぎなんじゃ――――」
「母さんは忘れたのかよ⁉」
四人が乗車できる軽自動車に俺の声が車を騒がしく叩く雨粒より大きく響いた。
「覚えてるだろ……母さんだって……俺は憎いんだ……父さんを影に飲み込んだ幻影が……幻影が憎いんだ……許せないんだよ……」
―――幻影は影に何もかもを飲み込んでいく。
そんな怖いもの。
そんな危険なもの。
そして人間と同じ―――。
「それじゃあ、だめなのよ、綴」
「―――何がだめなんだよ……」
「確かにお父さんを影に飲み込んだ幻影は母さんだって憎いよ―――大事な人を奪っていったんだから。でもね……全てが全て、悪い幻影達じゃないの。母さんの幻影なんて、触れ合っていたら心が和む犬じゃない? 何の危険もない、可愛いワンちゃん」
「可愛いワンちゃんだって……? どこがだよ、あんな牙むき出しの全然懐かない大きなフラットコーテッド・レトリーバーじゃんかよ」
「懐かないのは、綴が怖がるからでしょ? 月ちゃんにはちゃんと懐いてるじゃない」
「あいつには怖いものがないから……」
「―――とにかく、綴。 逃げてちゃだめなの。父さんを飲み込んだ幻影が憎いからって、幻影から目を逸らしちゃだめなの。父さんだって危険な研究だって分かっていても幻影からは目を逸らしたり、逃げ出さなかったわよ」
「危険だって分かっていたのに……なんで……」
父さんからの手紙の最初にも書いていた。
『想像した通りの最悪な事が起きた』
―――想像していたならそれを回避出来たはずなのに。
「一回聞いたことがあるの。『なぜ、幻影の研究をするようになったの』って、そしたらお父さんは答えたわ。『私は一回、幻影に命を救われた』って。それから幻影について研究を始めたらしいのよ」
「幻影が父さんを助けたって……」
そんなはずはない。幻影は人間なんかを助けたりはしない。奪うだけ。人間から大切なものを奪うだけ。幻影は悪魔なのに。
「お父さんがなんで影に飲み込まれたのか分からない。けどね、お父さんを助けたという事実もあるのよ」
「―――分からない」
「……似てるのね」
母さんはフフッと笑い車を止めた。
それから俺は、急いで家に戻り、机の上に堂々と置いていた書類を手に取って車へと戻った。
「もう、忘れ物はないかしら?」
「うん、大丈夫。多分―――」
「もう、引き返す時間はないわよ?」
そう言って母さんは車を出した。同じ道を再び進む。雨は次第に強くなった。
―――ほんとついていない。
「雨……すごいわね」
「俺、雨男なのかな……」
「―――そう……かもしれないわね。お父さんも『私は、雨男なのかもしれない』って、言ってたのを思い出したわ」
「変なところを遺伝したよ……」
「―――ほんとね」
母さんは微笑む。
それから車は書類を忘れたことに気が付いた地点を過ぎた。ここを道なりに進めば目的地の中学校に着く。
学校が始まったら家から歩いて通わないといけない。道を覚えておく必要があった。
「ここの交差点は、車の量がいつも多いから気を付けるのよ」
信号待ちで母さんは言う。確かに母さんが言うように、車の量が多い。
「うん、分かったよ」
歩車分離式だといっても気を付けた方がよさそうだった。
そして、歩車分離式の為、ここの交差点は信号待ちが長い。
「―――ちゃんと友達つくるのよ」
「――え。あぁ、うん」
いきなりの事で返事に一瞬詰まってしまう。
「もう、逃げちゃだめよ。友達からも幻影からも」
「―――うん」
―――幻影とのシェアリング。
憎き幻影と生命を共有。全てが全て悪い幻影達じゃない。父さんを助けたという事実もある。
激しい雨に、気圧の変化か、頭が痛い。
「母さん、綴を応援しているからね、だから―――」
赤から青に変わる信号と共に、言った母さんの言葉は大きな音によってかき消された。
まっすぐ進もうとしてはずの車は大きく横に、そして歪む視界。
けど、分かった。歪んでいるのは俺の視界ではなく、この車。
ザァーと雨の音はうるさい。霞んでいく視界に集まってくる人々。さっきまで助手席に乗っていたのに今はそれを外から眺めている。変形した車―――信号は青だったのに、車の中は赤く見える。
薄れていく意識に思った、雨粒が当たらない。ゆっくりと視線を上に向けると大きな真っ黒いものが俺に覆い被さっていた。
「い……つも……おれ……に……ほ……ほえるくせ……に」
牙むき出しの全然懐かない大きなフラットコーテッド・レトリーバー。
―――母さんの幻影。
「グワァァァァァン」
意識が無くなる最後に聞こえた鳴き声はいつも聞き慣れたものだった。
読んでくださってありがとうございます。
これはプロローグで、本編は次回からの投稿になります。
興味が湧いた方、僕の作品にお付き合いくださる方、どうぞ次話の方もお付き合いください。