6 アリスリデア――出会い(2)
お待たせいたしました。m(._.)m
その若い女がやって来たのは、俺がロドックの店に転がり込んだ翌日。
隠し部屋のような場所で、ひとり、目を瞑っていたところに、ふと人の気配を感じた。
ロドックは気前の良い男だったが、飯を与えてくれるだけで、俺がここに来るまでに負った傷は直せない、と言っていた。「第一俺じゃできないし、新しい主人となるアイツにタカるほうが断然良い」、そんな風に言っていたか。
ロドックがそこまで言う奴とは一体…と考えていたが、今しっかりと目が合っている女だろう、というのが直感に似た感触で分かった。
何か身体の内にとてつもないモノを秘めている、そんな絶対的強者の覇気のようなものをビリビリと感じた。
「…だれだ」
俺の全身を電流のようなものが襲う。
それくらい、女の纏うオーラは凄まじかった。今まで負け知らずであった俺が本能的に怯むほど。
俺が情けなくも答えられないでいると、女はスゥッ、と目を細める。
「…お前、魔族か」
だからなんだ、そう言ってやりたかった。しかし出るのは掠れた呼吸音のみ。
まさに蛇に睨まれた蛙のように、俺は女の目から目を逸らせなかった。
「半分正解だ、ナル」
その時ロドックが部屋に入ってきた。女――ナルと言うのか?――の視線がロドックに行く。ほっ、と安堵の息をはくが、それでもなお、俺はまだ女から目が離せないでいた。
茶髪に茶色の目。平凡な顔立ち。平均より小柄な体躯。外套に包まれていて、よく分からないが、恐らくそんなところだろう。俺は仕事柄、暗闇でも目が利くほうだと自負している。ターゲットをすぐに認知するため、顔を覚えるのも得意だ。しかし、その女の顔は不思議なほどに印象に残らなかった。
違和感に首を傾げながらも、奴らの話に意識を戻す。
どうやら、本当にこの女がロドックの”アイツ”で間違いないようだ。
商人のロドックらしく、匠な話術で俺のことを買うように勧めている。初めは一向に取り付く島も無かった女だったが、最後にロドックが自分の過去のことをポツリと漏らすと、あっけなく撃沈した。
俺は何もしなくても良かったらしい。いや、逆に何かしたら邪魔になった。
知らぬ間に話が進んでいたが、聞いてなくて大丈夫だっただろうか。
後ろ手で俺にピースサインをしてくる男に少し吹き出しそうになった。確かに、この女は意思が硬そうに見えて情に弱かった。良い性格なんだろうが、いつか詐欺に遭いそうで少し恐ろしい。
「私は自分が約束したことは最後まで守る。そいつ――アリスリデアを売ってくれ」
不意に自分の名前が出てきて頭を上げる。声の主は、たった今俺の主人となった女。
アリスリデア――そう呼びかけられたのは何年ぶりだろう。今までは用心して偽名を使ってきた。最後に呼ばれたのは、恐らく母親の最期の時だった。
女には何も利益は無いはずだ。むしろ、これから俺を懐に入れたことで多くの困難があるかもしれない。それなのに、俺を、買ってくれたのは、きっと――。
きっと、俺のことを、俺を買うことによる自分の損得で買ったのではなく、ただロドックを救いたい、助けたい、という気持ちで買ったからだ。
相手を心から思う気持ち。
胸が何かで締まるような感触がした。苦しいようなこそばゆいような感覚が心を支配する。
その現象に驚きながらも、心のどこかではもう理解していた。
――俺は、ついに見つけたのかもしれない。
新しい、生きる理由を。
人を敬う、人と生きる、人と繋がる、人と過ごす、人を頼る、人を、人を、人と、人と、人と、人を、人と―――人を愛す。
それを平然と、当たり前のように行う彼らのようになりたい。
人を愛すことを――知りたい。
母さん、やっと見つけたよ、生きる理由。
あの日以来、止まっていた俺の時間が、カチ、と音を立てて動き出したような気がした。
◇
連れてこられた家。そこは今にも壊れそうなボロい長屋だった。
案外貧乏なのか、俺の主は。…そう考えていた時もあった。
俺は目の前に広がる光景に呆然としていた。
ボロ長屋だと思っていたところに突然自然溢れる風景が広がってきたのだから、仕方がないと思う。
…どうかしている。
俺が唖然とするのを見て無表情だが嬉しげな雰囲気を放つ主もどうかしていると思うが。
ここまで、この主といて、少し分かったことがある。主――オリヴァー様は決して冷酷なお方ではない。むしろ人を見て笑うようなお茶目なお方だ。しかも、普通に笑うのでは無く、表面上は無表情だから、なおタチが悪い。
「…これは、どういう事なのでしょうか」
しかしこの光景に驚いたことは確かなので素直に聞いてみる。このお方に変な遠慮はいらない。案の定オリヴァー様は更に嬉しげな雰囲気を醸し出す。
そしてそのまま軽い足取りでその摩訶不思議な空間の中に入っていくので慌てて後を追う。
「つまり、私はすごい、ってことだ」
もう少しで追いつく、というところでオリヴァー様はくるり、と振り向いた。当然距離が近いのだが、そんなことはお構いなしに満面の笑顔でおっしゃる。物凄い笑顔だ――は?笑顔?
思わずオリヴァー様の顔を二度見してしまう。本当に、表情で笑みだと分かる。満面の笑みだ。主の初笑顔を見れたのは良いのだが、俺は頭が痛くなってきた。
…これは、やりすぎだろう。
オリヴァー様は世の中の男どもをご存知ないのだろうか。そんな無防備な笑顔を向けられたら、普通は一発で沈む。
これはお守りするのも大変だ。
意外なところから出てきた不安の種に、しっかりしないとな、と気合を入れ直す。
…それにしても、これからこの主とやっていけるだろうか。
◇
それからも、オリヴァー様は思いもよらない突飛なことを次々とやらかされる。
手初めに、家に対する異常な愛情。これは最早恋といってもいいのではないだろうか。家を大切にする、と約束させられた時のオリヴァー様の目と言ったら、軽く人を殺せそうだった。
そして突然の可笑しな発言。「言の葉を交わそうぞ」?本人はやりきった感溢れるドヤ顔だったが、緊張で声は震えているし、変なところでアクセントがついているし、なにより目が不自然に回っていた。笑わせたいのか驚かしたいのか最後まで分からず終いだった。まあ、本人が満足気だったから良しとしよう。
一番驚いたのは、オリヴァー様の容姿だった。
バサリ、と外套を脱ぎ捨てた途端、現れた美貌。茶髪茶目の平凡顔は見る影もなく、あるのはどこまでも鋭い色を放つ銀髪に、血のように赤い目。小さい鼻に、吸い付きたくなるような赤い唇。
大きな赤目は勝気にやや釣り上がり、彼女の気高さを表しているようだった。
腰まで伸びる銀髪に濁りは一切なく、サラサラと肩を滑る。
おそらく魔術で見た目を地味にしていたのだろう。その判断はどこまでも正しい。彼女を守る奴隷の意見としては、野郎どもを蹴散らすという余計な仕事が減り嬉しい限りだ。
頭の中で必死に状況に追いつこうとしていて、ふと思う。
…俺は厄介な主を引き当ててしまったかもしれない。
その考えは、見事に的中することを、今の俺はまだ知らない。
外套に包まれていて、よく分からないが、恐らくそんなところ(ツルペタストン)だろう。
お休みが終わってしまいました(;_;)これから時々消えるかもですごめんなさい。アリスさんは苦労人です。(ゲス顔)
ちなみに話し合う前までなので、アリスの敬語は仕様です。わたし的敬語鬼畜がいいんですがね。
ありがとうございました。