黒衣の女
武関を出ると、そこには五人ほど、商人らしき旅人らが集まっていた。
「皆さん、では行きましょうか」
「ええ、こうやって頭数をそろえればなんとかなるでしょう」
阿成がひょいと声をかける。
「こんな大人数で、何を相談してるんだい? 俺たちはこれから南陽に向かうつもりでな……」
「えっ、南陽だって! それはお止めなさい! あそこは食人魔王、朱粲の根城だ。命がいくつあっても足りないよ」
慌てた一人が、大仰に狼狽してみせる。
「急にヤバい話になってきたな……大哥……」
顔を引きつらせる玄功に、阿成は苦笑いして答える。
「……まぁ、南陽まではまだ距離がある。ボチボチ考えようぜ」
「なら私らと途中まで同行しませんか? 朱粲も怖いが、この辺りは盗賊も多い。人数がいれば襲われることも少なくなる。どうだい?」
「大哥……」
「そうだな。俺たちも混ぜてもらおうか!」
こうして二人は、商人の一団と険しい山道を歩むことになった。
*****
陽が上り詰めた頃、山並みの間に開けた盆地が見えた。
「おっ、あそこで休めそうだな!」
阿成の声が弾む。坂を下り始めたその時だった。前を行く商人らが、蜘蛛の子を散らすように街道の脇へ――いや、二人を包囲するように動いた。
「……っ、変だぜ、大哥!」
玄功が驢馬の手綱を引き絞った瞬間、周囲の「商人」たちが一変した。懐から抜かれたのは、抜き身の凶器だった。
「お前ら、その荷を置いていけ。身ぐるみ全部だ」
前方から現れた山賊の頭が、大刀を陽光にぎらつかせ不敵に笑う。
「チッ、野郎ども……仕組んでやがったな!」
阿成が叫び、玄功を背に庇う。だが、相手は人を殺し慣れた獣だった。頭の蹴りが阿成の腹を捉え、のけ反った太ももを、返す刀が深く切り裂いた。
「ぐはぁっ!!」
鮮血が街道の土を点々と染める。さらに頭は大振りの一撃で阿成の胸元を横一文字に払った。 ――シュウ、という嫌な音が空気を震わせる。阿成の体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
玄功の思考は白く塗りつぶされた。阿成から溢れ出した赤黒い液体が、土を湿らせていく。前世の知識も、書生としての矜持も、この凄惨な現実の前では何の役にも立たない。
「あぁ……あ……」 叫びは、もはや言葉にならなかった。ただ、このままでは心が壊れてしまう。玄功は己の魂のすべてを絞り出すように叫び続けた。
「アーーーーーーッ!」
咆哮が山々に木霊する。その後の記憶は、断片的な映像の繋ぎ合わせでしかなかった。
「パシャッ!」
乾いた衝撃が走り、頬が焼けるように熱い。
「いい加減、うるさいわよ。いつまで叫んでるの」
凛とした声。涙と鼻水で歪んだ視界の先に、黒装束を纏い、顔を覆面で隠した女性が立っていた。周囲を見れば、先ほどまで猛威を振るっていた賊どもが、糸の切れた人形のように転がっている。
「傷は……深く、軽くはないわね。でも、まだ間に合うわ」
彼女の部下たちが、倒れた阿成に手際よく止血を施していく。
「あなた、泣いてる暇があるならその荷物を持ちなさい。行くわよ!」
有無を言わさぬ口調。玄功は震える手で驢馬の手綱を握り直し、闇が深まり始めた山中へと、引きずられるように足を踏み入れた。
*****
月明かりだけが頼りの険しい行軍が続いた。阿成は意識を失ったまま、黒装束の男に担がれている。
「もうすぐよ。……いい、死にたくなければ、足元だけ見てついてきなさい」
彼女の声には、先ほどの冷たさの中に、わずかな配慮が混じっていた。しばらく歩くと、重なり合う木々の隙間から火の光が漏れてきた。
「着いたわよ」
仰ぎ見れば、切り立った山々の合間に満天の星が降り注ぎ、眼下には里の灯りが静かに揺らめいていた。
「ここは……?」
「私たちの里。『采芝郷』と呼んでいるわ」
彼女が優しく背中を押した。その言葉を聞いた瞬間、緊張の糸が切れた玄功は、意識を失った。
****
パチパチと爆ぜる囲炉裏の音が、静寂の中に脈打っている。玄功が重い瞼を開くと、火影に照らされた美しい女性の横顔があった。彼女は炎をじっと見つめている。装束は、夜の色を写したかのように黒い。
(……ああ、あの時の女性だ……)
ようやく、自分たちが生き延びたことを悟った。安堵が波のように押し寄せ、呆然と彼女を見つめる。
「あら、気がついたのね」
女性がこちらを向いた。大きな瞳の中に囲炉裏の火が宿り、影に溶けるような容姿をいっそう妖艶に際立たせる。
「美しい……」
掠れた声で、玄功は心のままに漏らした。混乱した頭で、ただ目の前の光景を言葉にしただけだった。
「なっ……ばっ、馬鹿! 急に何を言いだすのよ、この子は。……本当に都会の子はマセてるんだから!」
彼女は頬を朱に染め、逃げるように小屋を飛び出していった。
静寂が戻った部屋で、再び囲炉裏が爆ぜる。その音に混じって、低い笑い声が聞こえてきた。
「……お前、やるなぁ。その顔でそんなセリフ、見てるこっちが恥ずかしいぜ」
驚いて隣を向くと、阿成が薄目を開け、ニヤニヤと笑っていた。玄功は、自分がまだ夢の中にいるのではないかと、自分の頬を強くつねってみるのだった。




