蒼き天の下で
【注意】
本作は「AI協働作品」です。
以下の手順で制作されました。
作者が原案・テーマ・キャラクター設定を提示
生成AI(ChatGPT / Gemini等)がプロットおよび草稿を作成
作者が構成の修正、加筆、および文章の推敲を行って完成
草原の玉座
カラコルムの午前の陽光は、大天幕の天窓から差し込み、無数の埃の粒子を黄金の柱のように浮き上がらせていた。その光の柱の向こう側、一段高い漆塗りの椅子に、世界の動脈を握る男――大カアンが鎮座している。その風貌は、彫像のように動かない。ただ、時折動く指先が、彼が生きている唯一の証であった。
カアンの左右には、モンゴル貴族や千人隊長たちが並び、皮と鉄の匂いを漂わせている。そしてその中心、皇帝の御前という「死の淵」とも呼べる場所に、三人の男たちが立っていた。
一人は、バグダードの「知恵の館」から遥々やってきたウラマー、アブドゥッラー。白銀のターバンを巻き、その髭は整えられ、瞳には理性の冷徹な光が宿っている。 一人は、ローマから東方の果てを目指したフランシスコ会修道士、ベネディクト神父。粗末な茶色の修道服を纏い、胸元には使い古された木製の十字架が揺れている。 一人は、チベットの山奥で数千の経典を読破したという老僧、ドルジェ。その歩みは静かで、纏う空気は古寺の線香の煙のように重く、そして捉えどころがない。
「始めよ。神の正しさを競うというのなら、余の耳を退屈させるな」
カアンの、低く、重い声が天幕の空気を震わせた。 沈黙を破ったのは、ウラマーであった。彼は一歩前に出ると、流麗なペルシア語をモンゴル語の通訳に託し、神父を指差した。
「偉大なるカアン。太陽が一つであるように、宇宙を統べる主もまた唯一無二でございます。これをタウヒード(唯一性)と申します。しかし、この西方の司祭は、あろうことか神に『子』がいると説いております。皇帝陛下、もし陛下に、ご自身の意志を分け与えた子が三人いたとして、その三人がそれぞれ別の命令を下したならば、帝国はどうなるでしょうか? 秩序は崩壊し、草原は血に染まるでしょう。天においても同じことでございます。神が三つである、あるいは神に子がいると説くのは、宇宙の秩序を否定する大逆罪に他なりません」
ウラマーの言葉は、鋭い短刀のように正確であった。神父は十字架を握りしめ、震える声で反論した。
「ウラマー殿、あなたは神の偉大さを語るあまり、その愛の深さを見失っている。我らが信じる『三位一体』は、三人の神がいるということではありません。太陽を思い浮かべてください。太陽そのもの、そこから放たれる光、そして肌を焼く熱。これらは分かちがたく一つですが、その働きは異なります。父なる神は我らを創り、子なる神は我らと同じ肉体を持ち、我らの苦しみを知るために降りてこられた。神がただ高く遠い場所で法を叫ぶだけの存在であるならば、誰が救われましょうか!」
「救いだと?」ウラマーが鼻で笑った。
「神父殿、あなたの神は十字架にかけられ、人間に殺されたのでしょう? 全能の神が、たかが人間に捕まり、泥にまみれて死ぬ。そのような無力な存在を、誰が崇めましょうか。それは神を侮辱し、人間を神に仕立て上げる偶像崇拝の変種に過ぎない」
議論は序盤から熱を帯び、神父の額には汗が浮かんでいた。彼はウラマーの「完璧な論理」に、自身の「信仰という情熱」をぶつけようとするが、ウラマーの言葉は一分の隙もない。
「神父殿。あなたがたが手に持つ『福音書』もまた、矛盾の塊だ。ある書ではこう言い、別の書ではこう言う。人間の手が入り、書き換えられ、翻訳されるたびに真理から遠ざかっていった書物を、どうして神の言葉と呼べましょう。我らがクルアーンは、預言者ムハンマド――彼に平安あれ――に下された一字一句が、千年の時を超えて今なお一画も変わらずに残されている。不変の法こそが、不変の神の証なのです」
神父は言い返そうとしたが、言葉が詰まった。キリスト教の教義、特に三位一体や原罪の概念は、理屈で説明しようとすればするほど、深淵な神秘の中に逃げ込まざるを得なくなる。それをウラマーは「論理的矛盾」として容赦なく抉り取っていく。
その時であった。それまで目を閉じていた高僧ドルジェが、不意に、しかし全てを凍りつかせるような静かな声を出した。
「お二方……。あなた方は、先ほどから空にある雲を、自分の指が指し示した形こそが真実だと争っておられる。だが、雲は形を変え、風に流され、やがて消える。あなた方が『神』と呼び、『法』と呼ぶもの、それはあなた方の心が作り出した巨大な『執着』に過ぎない。唯一か、三位か。そんな数字の遊びに、天の真理が宿るとお思いか?」
カアンがわずかに身を乗り出した。ウラマーと神父の視線が、同時に高僧へと向けられた。 第一章の幕が上がり、知の戦場は「一神教の対立」から、さらなる深淵へと引きずり込まれようとしていた。
唯一神の相剋
天幕の空気は、高僧ドルジェが放った一言によって、氷を投げ込まれた熱湯のように一瞬で沸き立ち、そして凍りついた。
「執着……だと?」
ウラマーのアブドゥッラーが、その端正な顔を歪ませた。彼にとって、神への帰依は人生のすべてであり、宇宙の絶対的な基盤である。それを「心の作り出した幻」と切り捨てられることは、己の存在そのものを否定されるに等しい。
隣に立つベネディクト神父もまた、その指先が震えていた。
「高僧殿、言葉が過ぎる。我らが信じるのは、歴史の中に確かに現れ、我らと共に歩まれた生ける神です。それを雲や霧と同じに語るとは、魂の存在を否定するも同然だ」
二人の憤りを受け流すように、ドルジェは数珠を繰った。カチ、カチと鳴る硬い木の音が、沈黙の中に響く。
「陛下、ご覧ください。この者たちは、目に見えぬ主に従うことを誇りとしていますが、その実、自分たちが作り上げた『教義』という名の檻に閉じ込められているのです。神父殿は愛という名の鎖で、ウラマー殿は法という名の枷で。どちらが正しいかを決めるのは、どちらの檻がより頑丈かを競うようなもの。真の自由、真の救いは、その檻自体を壊した先にしかないというのに」
カアンは、顎を撫でながら高僧を注視していた。モンゴルの草原において、目に見える力こそがすべてだ。しかし、同時に彼らは「永劫なる蒼き天」を畏敬している。高僧の言葉は、その広大な天の静寂に近い響きを持っていた。
「ウラマーよ、神父よ。この僧の言葉に、どう答える」
カアンの促しに、まずウラマーが動いた。彼は、今度は神父を論破した時のような攻撃的な鋭さを抑え、高邁な哲学者としての顔を見せた。
「カアンよ、この僧侶の言うことは、一見して賢明に聞こえます。しかし、それは現実から目を背けた弱者の逃避に過ぎません。法を執着と呼び、規範を檻と呼ぶ。そのような考えが広まれば、帝国の民はどうなるでしょうか? 商人は秤を誤魔化し、兵は敵を前に逃げ出し、子は親を敬わなくなるでしょう。なぜなら、彼らの上には『裁く者』がいないからです。 イスラームの法は、単なる檻ではありません。それは、混沌としたこの世界を正しく歩むための地図であり、灯火なのです。地図を持たぬ旅人は、自由に見えてその実、死の荒野を彷徨う迷子に過ぎません。高僧殿、あなたの説く『無』は、この広大な帝国を維持するための役には立ちませぬ。陛下に必要なのは、民を律し、正義を打ち立てるための『神の意思』でございます」
ウラマーの反撃は、統治者であるカアンの急所を的確に突いた。実利を重んじるモンゴル皇帝にとって、社会秩序を維持できない思想は無価値に近い。
続いて神父が、祈るような手つきで一歩前に出た。
「高僧殿。あなたは『執着を捨てろ』とおっしゃる。しかし、神が人間を愛し、その愛に応えようとする心までもが執着だというのですか? 陛下、想像していただきたい。冷たく無機質な法則だけが支配する世界を。そこには涙も、赦しも、喜びもありません。我々の神は、人間が罪にまみれ、迷いの中にいることを悲しまれました。だからこそ、独り子を遣わし、我らと同じ苦しみを味わせたのです。 ウラマー殿の法は厳格ですが、そこには『温もり』が欠けている。高僧殿の悟りは静かですが、そこには『救済の意志』がない。キリストの愛だけが、陛下の臣民の心に、真の忠誠と、他者への慈しみを植え付けることができるのです。法で人を縛ることはできても、法で人を愛させることはできません」
議論は、再び一神教の両者による「統治論」へと引き戻された。 しかし、ウラマーは神父の言葉の中に潜む、教義上の致命的な「綻び」を見逃さなかった。彼は再び、神父へと向き直る。
「神父殿。先ほどから『愛』や『苦しみ』を強調されますが、それこそが、あなたがたの神が『不完全』であることの証明ではないか。 陛下、お聞きください。彼らは神が人間に捕まり、十字架にかけられたと説きます。しかし、全能の神がなぜ、自ら作った人間に苦しめられねばならないのですか? もし神が苦しみを感じるならば、それは神が外部の力によって『変化させられた』ということであり、それはすなわち、神よりも強い力が存在することを意味します。 また、アダムが犯したとされる罪を、なぜその何千年も後の子孫が背負わされねばならないのか。神が、赤子にまで罪の烙印を押すような不条理な存在だと言うのですか? イスラームにおいて、人はみな清浄な姿で生まれます。罪とは自らが選ぶものであり、赦しもまた、神との直接の対話によって得られるものです。身代わりの死などという残酷な手続きは、真の公義を損なう迷信に過ぎません」
神父の顔に、苦悶の色が走った。 「それは迷信ではない! 犠牲の尊さだ! 陛下、王が民の代わりに傷つくことが、どれほどその民を感動させ、奮い立たせるか、陛下ならばお分かりのはずです!」
ウラマーは冷ややかに畳み掛ける。
「感動で国は治まりません。神父殿、あなたの神は十字架の上で『なぜ私を見捨てたのですか』と叫んだ。自分自身に叫んだのか、あるいは自分を見捨てた『もう一人の神』に叫んだのか。唯一であるはずの神が、分裂し、絶望している。これほどの論理的破綻を、陛下に信じろと言うのか」
二人の論争が再び激化し、言葉の応酬が嵐のように天幕内を吹き抜ける。ウラマーの冷徹な一神教論理が、神父の情熱的な神秘論を追い詰めていく。
その光景を、カアンは退屈そうに眺めていた。彼は、二人が互いの欠点をつつき合う姿に、ある種の「小ささ」を感じ始めていた。
「もうよい。唯一か、三位か。そんなことは戦場の勝敗には関わらぬ」
カアンが口を開いた瞬間、二人は口を閉ざした。 「神父よ、お前は愛を説くが、余の敵を愛せと言うのか。ウラマーよ、お前は法を説くが、余のヤサ(軍律)よりも神の法を優先せよと言うのか。お前たちの神は、余よりも偉大だと言いたいようだな」
不穏な空気が流れる。高僧ドルジェが、再び不敵な微笑を浮かべた。 「陛下。だからこそ、申したのです。彼らの神は、陛下と対立する『別の王』でございます。しかし、私の説く道に、陛下を縛る王はおりません。ただ、因果の流れがあるのみ……」
論争は、さらに混迷を極めていく。 キリスト教の「矛盾」を突くイスラーム。 イスラームの「冷徹」を突くキリスト教。 そして、その両者の「基盤」を無に帰そうとする仏教。
この三つ巴の戦いに、まもなく「第四の男」が、時代を超えた狂気を連れて乱入しようとしていた。
断頭台の哲学と狂える超人
ウラマーと神父の舌戦が、あたかも果てのない円環を巡るように激しさを増していたその時、天幕の重厚な入り口が、衛兵の制止を突き破るようにして乱暴に開かれた。 吹き込んできたのは、草原の乾いた風だけではない。異様な、鼻を突くような「個」の香気が、聖なる問答の場を侵食した。
現れたのは、場にそぐわぬ黒い外套を羽織り、顔の半分を覆わんばかりの巨大な、荒れ狂う髭を蓄えた男であった。その眼は燃え盛る炉のように爛々と輝き、知性と狂気の境界線上で踊っている。彼はカアンへの臣下の礼など微塵も見せず、演壇の中央へと突き進んだ。
「どけ! 墓掘りども。死体の腐臭がここまで漂ってきているぞ!」
男の声は、雷鳴のように天幕の柱を震わせた。ウラマーのアブドゥッラーが憤然として立ち上がる。
「何奴だ! この神聖なる御前を何と心得る!」 神父もまた、その異形の侵入者に圧倒されつつも、震える手で十字を切った。「サタンの使いか……?」
男は哄笑した。
その笑いは、既存のあらゆる価値体系を嘲笑う、破壊的な響きを持っていた。
「サタンだと? 神父、お前はまだそんな古いお伽噺の中に住んでいるのか。自己紹介をしよう。私はフリードリヒ。お前たちが必死に延命治療を施している『神』という怪物の、死亡診断書を届けに来た男だ。よく聞け、大カアンよ。そして迷える迷信家どもよ。神は死んだ! 我々が彼を殺したのだ!」
静寂が、暴力的なまでの重圧となって一同を襲った。 ウラマーの顔からは血の気が引き、神父は膝を突き、高僧ドルジェですら、その永遠の静寂を湛えた瞳を驚愕に開いた。カアンだけが、肘掛けに置いた指を一瞬止めた。
「神が死んだ……だと?」カアンの声は低く、地這うような殺気を孕んでいた。「この余の前で、天を殺したと言うのか」
フリードリヒ――ニーチェは恐れることなく、カアンを凝視した。
「そうだ。カアンよ。かつて天は、人間がその影に怯え、跪くための巨大な虚構であった。だが、もはやその虚構は、人間の膨れ上がった知性と欲動を支えきれなくなったのだ。見ろ、この神父を。見ろ、この法学者を。彼らは神を愛しているのではない。自分たちが弱く、孤独で、責任を負うのが怖いために、神という名の巨大な介護者に縋り付いているだけだ!」
彼はまず、神父に向き直った。
「神父! お前の説く『隣人愛』とは何だ? それは強き者が自らの生命力を謳歌することを禁じ、弱き者が群れをなして身を守るための『奴隷の道徳』に過ぎない。病人を敬え、弱者を助けろ……反吐が出る! それは、生の活力を去勢し、この地上を平庸という名の泥沼に変える毒薬だ。お前の神が死んだのは、その愛があまりに弱々しく、あまりに感傷的で、人間の真の『力への意志』に耐えられなかったからだ!」
神父は涙を浮かべ、首を振った。「主は……主は愛そのものです。あなたは愛なしに、どうして人が人であれると言うのですか!」
「人であれなどと言っていない!」ニーチェは叫んだ。「人を、乗り越えろと言っているのだ! それが超人だ!」
次に彼は、ウラマーのアブドゥッラーを指差した。
「そして、法学者よ。お前は『法』という名の鎖で、生をがんじがらめに縛り付けている。お前の神は、人間のあらゆる欲望を『罪』と名付け、地獄の火で脅すことで支配を目論む独裁者だ。だが、お前の神も死んだ。なぜなら、もはや誰も、紙の上に書かれた千年前のインクのために、自らの血をたぎらせることはできないからだ。お前が守っているのは、空っぽの王座に置かれた、錆びついた冠に過ぎない!」
ウラマーは激昂し、傍らの護衛兵の剣を奪わんばかりの勢いで叫んだ。
「この冒涜者め! アッラーは不滅にして不変。死ぬのは、お前のような不信心者の魂だ!」
ニーチェは、最後に高僧ドルジェを見つめた。その眼差しには、激しい軽蔑と、わずかな同情が混じっていた。
「東方の僧よ。お前は『無』を説き、執着を捨てろと言う。だが、それこそが最も陰湿な『生への背信』だ。苦しみを恐れるあまり、生そのものを否定し、虚無の安らぎに逃げ込む。それは、死を先取りして生きる屍の哲学だ。お前は神を殺す必要すらなかった。なぜなら、お前は最初から、生という名の戦場から逃げ出した敗残兵だからだ!」
ドルジェは静かに目を閉じた。
「……力への意志、それもまた、輪廻の火を燃やす薪に過ぎませぬ」
ニーチェは天幕の中央で両腕を広げた。
「神は死んだ! そして、神という太陽を失った我々は、今や無限の虚無の中を彷徨っている。上も下も、右も左もない。だが、これこそが真の自由だ! 価値の基準を天から奪い返し、この大地の泥の中に突き立てろ! カアンよ、貴公こそが超人への階段を上る最初の者であるべきだ。神の代弁者たちの戯言を聞くのは止めろ。自らが神となり、自らが法となれ!」
カアンはゆっくりと立ち上がった。その巨躯が、ニーチェの狂気を圧倒するような威圧感を放つ。
「面白い男だ。だが、狂いすぎている。余の上に天がないというのなら、余のこの剣の重さはどこから来るのか。余がこの大陸を統べるのは、余の意志だけだとお前は言うのか。ならば、余の意志に背くお前の命に、何の価値がある?」
カアンが軽く指を動かすと、十数人の衛兵がニーチェを囲んだ。
「この男をつまみ出せ。そして二度と、余の視界にこの髭の顔を晒させるな。神が死んだというのなら、その死体を片付けるのはお前の仕事だ。余はまだ、生きている者たちを治めるのに忙しい」
ニーチェは衛兵に引きずられながら、なおも哄笑し続けた。
「笑え! 羊の群れども! 太陽が消えた後の暗闇で、互いの体を寄せ合って震えていろ! だが、お前たちの耳に私の声が届くのは、死後一世紀を経てからだ!」
入り口の幕が閉じられ、ニーチェの叫び声が草原の風にかき消されていった。 天幕の中に残されたのは、かつてないほどに険悪で、かつ壊滅的に「分断」された三人の宗教家たちであった。
高僧ドルジェは、満足げな笑みを浮かべていた。ニーチェの乱入は、ウラマーと神父が築こうとしていた「一神教の連帯」を完全に粉砕した。
ウラマーは神父を睨みつけ、神父はウラマーから目を逸らした。彼らの間には、もはや共通の言語は残っていなかった。
「……カアンよ」ウラマーが低い声で言った。「お昼休憩にいたしましょう。あの狂人の言葉が、この場を汚しました。清めが必要でございます」
カアンは冷ややかに鼻を鳴らした。 「清めか。勝手にするがいい。だが、午後の議論では、余にその『死んだ神』よりも役立つものを見せてみよ。さもなくば、お前たち全員を、あの髭の男と同じ荒野へ放り出すぞ」
砂上の同盟と裏切りの食卓
大カアンが玉座を去り、重厚な幕が下りると同時に、大天幕の中に張り詰めていた緊張の糸が、目に見えるほどの勢いで弾け飛んだ。衛兵たちが各陣営に休憩の合図を送るが、三者の間にはもはや一滴の親和性も残されていない。
高僧ドルジェは、満足げに衣の裾を払いながら、流れるような動作で立ち上がった。彼は一言も発することなく、勝利を確信した者の足取りで自らの宿舎へと消えていった。残されたのは、怒りに震えるウラマーのアブドゥッラーと、打ちひしがれた神父ベネディクトであった。
「……神父殿」
ウラマーが、氷のような声で呼びかけた。
「あの狂った男が放った毒は、あなたの教えから漏れ出した膿だ。神を人間にまで引き下げた結果、人間は神を殺せると過信した。午後の論戦では、私はあなたを同教の徒(啓典の民)として扱うのを止める。あなたは真理の冒涜者だ」
神父は十字架を固く握りしめたまま、何も答えなかった。二人は別々の出口から、それぞれの「戦術会議室」へと向かった。
神父ベネディクトの天幕には、数人の修道士と、通訳を兼ねるネストリウス派のキリスト教徒たちが集まっていた。神父は椅子に崩れ落ち、震える手で赤ワインを注いだ。
「神父様、ウラマーの攻撃は苛烈を極めています。特に三位一体への批判に対し、モンゴルの諸侯たちは困惑しているようです」
一人の若い修道士が危惧を口にする。神父はワインを一気に飲み干し、眼光を鋭く尖らせた。
「分かっている。理屈で奴ら(ムスリム)の論理学に立ち向かうのは限界だ。奴らは、神を一つの巨大な石塊のように考えている。だが、我らの神は命の躍動そのものだ。午後の戦略を変える」
神父は地図を広げ、カアンの親族の名前が記された羊皮紙を指した。
「いいか、論理は捨てろ。カアンが求めているのは、帝国を一つに結ぶ『紐』だ。ウラマーの法は、確かに効率的だが、それは服従を強いるだけで、忠誠を育まない。我々は、カアンの母上や后たちがキリストの教えに親しんでいる事実を最大限に利用するのだ」
「愛」という言葉を、午後は「絆」と言い換える。皇帝への絶対的な、自己犠牲を厭わない忠誠心――それこそがキリストの十字架の精神であると説くのだ。 「奴らが『予定説』を振りかざして、『すべては神が決めたことだ』と言うなら、こう反論せよ。『ならば、陛下が裏切られることも神が決めたというのか?』とな。奴らの運命論は、皇帝の危機管理を骨抜きにする。そこを突くのだ」
一方、ウラマーのアブドゥッラーは、法学者たちを前に、ハラールの羊肉を厳格に切り分けていた。彼の周りには、天文学者や医師も控えている。
「あの神父の首を、午後に必ず撥ねる(論破する)」
ウラマーは静かに断言した。
「奴は『愛』という甘い言葉で、陛下の軍律を腐らせようとしている。慈悲だの赦しだのと言いながら、実際には異教徒を殺戮してきた奴らの歴史を、陛下に思い出していただくのだ。特に、十字軍が聖地で何をしたか、その生々しい証言をぶつける」
ウラマーが最も重視したのは「シャリーア(イスラーム法)」の計算可能な正確さであった。
「陛下は実利主義者だ。感情で国は治まらぬことを知っておられる。我々は、イスラームの数学、天文、医学がいかに帝国の徴税と軍事運用に役立つかを、数字で示すのだ。そして、あの高僧の『無』。あれを徹底的に『皇帝の威信への不敬』として結びつける。神を認めぬ者は、地上の主をも認めぬと」
アブドゥッラーは、最後にニヤリと冷酷な笑みを浮かべた。
「神父には『自由意志』の矛盾を投げかけ続けろ。神が愛なら、なぜこれほどの苦しみが世にあるのか。なぜ悪人が栄えるのか。奴が答えに窮した時、我らは『アッラーの峻烈なる審判』を説くのだ」
午後の再開:決裂の火蓋
昼食を終え、再び玉座に戻ったカアンは、午前中よりもさらに不機嫌そうに見えた。南方の不穏な噂が、彼の耳にも届き始めていたからだ。
「……さて、始めよ。神父、お前からだ。お前の言う『愛』が、どうやって余の軍律や税制を強化するというのか。具体的に語れ」
神父ベネディクトは、先ほどまでの怯えを脱ぎ捨て、毅然として立ち上がった。
「陛下。法は人を『動かす』ことはできますが、人を『変える』ことはできません。ウラマー殿の法は、恐怖によって民を従わせます。しかし、恐怖による服従は、より強い力が現れた瞬間に裏切りへと変わります。 しかし、キリストの愛は、民の魂の中に『感謝』という名の揺るぎない忠誠を刻みます。陛下が慈悲を垂れれば、民は陛下の恩を忘れません。陛下の兵士が、死を恐れずに最前線へ飛び込むのは、死の先に天国の父が待っていると信じるからです。法に縛られた奴隷ではなく、愛に突き動かされた子として、陛下に仕えさせる。これこそが、千年の帝国を築く基盤でございます」
間髪入れずに、ウラマーが割って入った。
「詭弁です! 陛下。その『愛』とやらを説く彼らの国では、王と法王が常に権力を争い、血を流し合っているではありませんか。愛で許し合うどころか、彼らは互いを異端として火あぶりにしている。 陛下、秩序とは、感情に左右されない『冷徹な天の天秤』によってのみ保たれます。シャリーアは、誰が盗みを働き、誰が裏切ったかに対し、一貫した罰を与えます。この公平さこそが、多民族を抱える大帝国の安定に必要なのです。愛などは、家庭の中だけで語ればよい。国の統治に必要なのは、鉄の法でございます!」
「法だと?」神父が声を荒らげる。
「あなたの言う『予定』によれば、誰が陛下に反旗を翻すかも、最初から神が決めているのでしょう? ならば、罰を与えることに何の意味がある! あなたの神は、自ら罪を犯させた者を地獄へ送るというのか。それは正義ではない、ただの虐待だ!」
「黙れ! 自由意志という迷信に囚われた者め!」ウラマーも叫ぶ。
二人の議論は、もはや学術的な問答を超え、互いの存在を否定する罵り合いへと変貌していった。高僧ドルジェは、その阿鼻叫喚を、まるで彼岸の景色を眺めるかのように、ただ静かに見つめていた。
カアンの指が、肘掛けをカチリ、カチリと叩く速度が速まる。その音は、死刑執行のカウントダウンのようでもあった。
神判の炎と地上の嵐
大天幕の中は、もはや知的な熱を帯びた問答の場ではなく、剥き出しの敵意が渦巻く戦場と化していた。ウラマーのアブドゥッラーと神父ベネディクトは、互いの顔を数センチの距離まで近づけ、地声で吠え合っている。通訳たちは、飛び交う罵倒を翻訳しきれず、脂汗を流して立ち尽くしていた。
「陛下! この男の説く『予定説』は、皇帝への反逆を天命として正当化する毒草です!」
「いいえ陛下! この者の説く『贖罪』は、金を払えばどんな大罪も許されるという腐敗の温床にございます!」
カアンは、その阿鼻叫喚をじっと見つめていた。その瞳は、もはや三人の賢者を見てはいない。もっと遠く、地平線の彼方から押し寄せる「現実の影」を捉えていた。
「もうよい」
その一言は、天幕の喧騒を力ずくで圧殺した。カアンの声には、午前中にはあった好奇心や寛容さが、一滴も残っていなかった。代わりにあったのは、鋼鉄のような冷酷さと、焦燥である。
「お前たちの言葉は、もう余の耳には届かぬ。法だ、愛だ、空だと、いくら美辞麗句を並べたところで、それはお前たちの口の中で踊っているだけの幻に過ぎん。余が求めたのは、この広大な大地を支配するための揺るぎない理であったが、お前たちが提示したのは、互いの足を引っ張り合い、憎しみを増幅させるための道具であった」
カアンはゆっくりと立ち上がった。その巨躯が、三人の上に巨大な影を落とす。
「お前たちは先ほどから、どちらの神が本物か、どちらの教えが真実かを争っている。ならば、それを言葉ではなく、実体で示せ。モンゴルの法に則り、これより『神判』を執り行う」
カアンが手を振ると、天幕の奥から巨大な二つの鉄の籠が運び出されてきた。その下には、乾燥した家畜の糞と油を染み込ませた薪が、うず高く積まれている。
「神父よ、お前は『主の愛が奇跡を起こす』と言ったな。ウラマーよ、お前は『アッラーの意思がすべてを決める』と言った。ならば、あの炎の中へ入れ。もしお前たちの神が真実ならば、お前たちの命は火に焼かれることはないだろう。無傷で生還した者の教えを、余は唯一の真理として認め、全土に布教を許そう」
場が凍りついた。 ウラマーの顔は土色になり、神父はガチガチと歯を鳴らした。それは、論理や経典で守られた「安全な議論」が、一瞬にして「剥き出しの死」へと変貌した瞬間であった。
「どうした。入れぬのか」
カアンの唇が、残酷な弧を描く。
「高僧よ、お前もだ。すべてが幻ならば、火の熱さも幻であろう。お前もその『空』の境地とやらを、炎の中で証明してみせよ」
ドルジェは静かに目を閉じ、数珠を握りしめた。彼の額からも、初めて一筋の汗が流れ落ちた。
まさにその時、天幕の外で、大地を割るような蹄の音が響き渡った。
「報告! 報告です!」
一人の伝令兵が、血と泥にまみれて飛び込んできた。彼は跪くことすら忘れ、絶叫した。
「南方にて大反乱! 漢人の紅巾どもが、白蓮教の煽動によって一斉に蜂起いたしました! 長江以南の拠点は次々と陥落、反乱軍の先鋒はすでに黄河を越え、わが帝国の補給路を断とうとしております! 陛下、もはや一刻の猶予もございません!」
天幕内の空気が、爆発した。 カアンは神判の火など一顧だにせず、傍らに立てかけられていた巨大な戦斧を掴み取った。
「……宗教など、結局はこの程度のものか」
カアンは三人を、虫けらを見るような冷淡な目で見下ろした。
「余が神だの仏だのと遊んでいる間に、ネズミどもが余の庭を荒らし始めた。いいか、予言者たちよ。南方の叛徒たちも、お前たちと同じように、それぞれの『神』の名を叫びながら、余の首を狙っている。お前たちの神が救うのは、お前たちの魂かもしれぬが、余の帝国を救うのは、余の剣と、余の騎兵の弓だけだ」
カアンは三人に背を向け、大股で歩き出した。
「議論は終わりだ! 衛兵! この者たちを放り出せ! 命拾いしたな。余が戦から戻った時、まだお前たちの舌が回るようなら、その時こそ神判の続きをしてやる。……だが、余が負ければ、お前たちの神もろとも、この都は灰になるだけだ!」
カアンの号令と共に、宮廷は狂乱の軍事拠点へと変貌した。鎧の擦れる音、馬のいななき、将軍たちの怒号。先ほどまで「永遠の真理」を巡って語られていた優雅な時間は、暴力的な「現実」の波に飲み込まれて消えた。
エピローグ:砂塵に消えた残響
ウラマー、神父、そして高僧。 三人は、混乱する宮殿の門の外へ、文字通りつまみ出された。
広大な草原の地平線では、カアン率いる数万の騎兵隊が、凄まじい砂煙を上げて南方へと進軍を開始していた。その大地を揺らす振動は、三人が積み上げてきた教義や論理のすべてを、無意味なざわめきに変えてしまうほどに強大であった。
神父ベネディクトは、地面にへたり込んだまま、遠ざかる軍勢を見つめていた。
「……結局、我々は神を語り、皇帝は力を語った。そして、力こそがこの世界の言葉だったのだ」
その目には、虚無ではなく、ある種の悟りに近い哀しみが宿っていた。彼はその後、二度と教義論争に加わることはなかった。彼は、モンゴル兵の未亡人や孤児たちが住む最果ての村へ向かい、一生を無名の奉仕に捧げたという。
ウラマーのアブドゥッラーは、埃を払って立ち上がり、西の空を見上げた。
「陛下は『宗教など無意味だ』と言った。だが、国家が滅び、剣が折れた後、最後に残るのは法であり、神の規律だ。私は、陛下が負けた後の世界のために、この法を書き記し続けよう」
彼はその後、行政官の地位を捨て、放浪の法学者となった。彼の記した統治論は、後のイスラム諸王朝の礎となったが、その中に「モンゴル」の名が登場することはほとんどなかった。
高僧ドルジェは、ただ静かに笑っていた。
「反乱も、鎮圧も、神も、無も……すべては過ぎ去る影。カアンもまた、その影の一部に過ぎない」
彼はそのまま、北の森へと消えていった。
カラコルムの宮廷跡に、今も風が吹いている。
かつて、そこで「世界で最も重要な問い」が発せられたことを知る者はいない。ただ、風が砂を運び、かつてウラマーが、神父が、高僧が、そして狂えるニーチェが立った場所を、等しく沈黙で覆い隠している。
天は青く、どこまでも高く、何も語らない。 ただ一つ確かなことは、彼らが互いを論破しようと費やした膨大な言葉よりも、カアンが翻したマントの音の方が、その時代の歴史を激しく動かしたという事実だけであった。
本作品は私の初投投稿作品です。それゆえに至らないところがあると思いますが暖かい目で見守っていただけると幸いです。
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