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あの日

作者: Shinomushi
掲載日:2026/01/03

身が焼けるほど暑い日だった。彼女が死んだのはそんな日だった。その日を今でも覚えている。


今から10年前、彼女とは家族ぐるみでの付き合いで家族間の仲はかなり良かった。僕が遊ぶと言うと彼女と一緒に遊ぶ事とほぼ同義なぐらいには遊んでいた。

僕達はよく公園で遊んでいた。公園は入口を入るとボールで遊べるエリアとなっており、その奥にブランコや滑り台などの遊具があるエリアとなっていた。


あの日は公園の入口付近でボールの投げ合いをしていた。彼女が入口側だった。そして僕が投げたボールが公園の外に飛び出てそのボールを拾いに彼女は行き、そのまま車に跳ねられた。


あぁどうして僕じゃなく彼女だったんだろう。こんな僕より彼女が生きている方が僕は良かった!そんな事考えたってどうにもならないのは分かってる。でも、思考は勝手にあの日へ引き戻される。


アスファルトに落ちたボールの鈍い音、急ブレーキの甲高い悲鳴、そして一瞬遅れて訪れた静寂。夏の空はあんなにも青かったのに、世界から色が抜け落ちたみたいだった。誰かが叫んでいた気がする。多分、僕だ。


病院の白い廊下で、大人たちが頭を下げ合うのをぼんやり眺めていた。謝罪の言葉も、慰めの言葉も、全部ガラス越しに聞こえるみたいで、胸の奥には何一つ届かなかった。ただ、「僕が投げなければ」という言葉だけが、何度も何度も反響していた。


それからの10年、夏が来るたびに身体の奥がひりつく。公園の前を通るだけで、足が止まる。ブランコは今も同じ場所にあって、滑り台の赤は少し色褪せた。子どもたちの笑い声が、あの日の僕たちと重なるたび、息が詰まる。


それでも、ある時ふと気づいた。彼女が拾いに行ったのは、僕が投げたボールだったけれど、彼女が笑って走り出した理由は、いつも「一緒に遊びたかったから」だったんだと。あの瞬間も、きっと同じだった。


だから今は、彼女の名前を心の中で呼ぶ。忘れないために、背負うために。僕が前を向くことが、彼女を置き去りにすることじゃないと信じるために。

身が焼けるほど暑い日が来ても、僕は歩く。あの公園の入口を、今度は一人で越えていく。彼女がくれた時間を、無駄にしないために。


入口を越えた先で、風が少しだけ涼しかった。木々の影が地面にまだらに落ちて、葉擦れの音が昔と同じ調子で鳴っている。変わらないものがある一方で、変わってしまったものも確かにあった。砂場は縮小され、フェンスは高くなり、注意書きの看板がやけに増えた。安全のため、という言葉が、僕には祈りのようにも呪いのようにも聞こえる。


ベンチに腰を下ろすと、汗が背中を伝った。十年分の時間が体にまとわりついて、簡単には離れてくれない。彼女が座っていた場所を、無意識に探してしまう。いつも僕の左側だった。右利きの僕が投げやすいように、と言って笑った顔を、今もはっきり思い出せる。


事故のあと、僕は投げることが怖くなった。ボールも、言葉も、未来も。何かを外に放てば、取り返しのつかない場所へ行ってしまう気がした。だから僕は、受け取る側でいることを選んだ。責任を負わない位置、境界の内側。安全で、息苦しい場所だ。


それでも生きていれば、選ばなければならない瞬間がやってくる。高校進学、就職、引っ越し。決めるたびに、胸の奥で何かが軋んだ。僕が選ぶことで、誰かが傷つくんじゃないか。僕が動くことで、世界が壊れるんじゃないか。根拠のない恐怖は、現実よりも強く僕を縛った。


大学の夏、ゼミの合宿で川へ行った。水面に陽が反射して、きらきらと目に刺さる。誰かがボールを持ってきて、投げようと誘ってきた。断ろうとした瞬間、彼女の声が重なった気がした。「一緒にやろう」。幻聴だと分かっていても、胸が熱くなった。震える手で、僕はボールを受け取った。投げた先で、仲間が笑ってキャッチした。何も起こらなかった。それだけのことが、涙が出るほど嬉しかった。


それから少しずつ、僕は前に投げる練習を始めた。失敗もした。関係を壊したこともある。傷つけてしまったこともある。それでも世界は、思っていたほど簡単には壊れなかった。壊れたのは、むしろ僕の思い込みだったのかもしれない。


数年前、彼女の両親に会った。線香の匂いの中で、言葉を探す僕に、彼女の母は静かに首を振った。「あなたのせいじゃない」と、何度も言ってくれた。父は、あの頃より少しだけ背中が丸くなっていた。「あの子はね、あなたと遊ぶのが本当に好きだった」と、微笑んだ。その言葉は、胸に深く沈んで、長い時間をかけて僕の中で形を変えた。重石ではなく、支えに。


夕方、公園に子どもたちが増えてきた。入口付近で、親が目を光らせている。ボールが転がり、誰かが走る。危うさと楽しさが、隣り合っている光景。世界は昔からそうだったのだ。危険をゼロにすることはできない。それでも人は、手を伸ばし、走り、笑う。


僕は立ち上がり、入口の方へ歩いた。あの日と同じ場所で、立ち止まる。道路の向こうから、車の音が流れてくる。深く息を吸って、吐いた。恐怖は消えない。罪悪感も完全には消えない。それでも、僕はここに立っている。


ポケットから、小さなゴムボールを取り出す。今日のために買ったものだ。誰に投げるわけでもない。ただ、境界を越えるために。道路とは反対側、フェンスの内側に向かって、軽く投げる。ボールは短い弧を描いて、地面に弾んだ。乾いた音が、夏の空気に溶ける。


「見てる?」と、心の中で呼びかける。返事はない。それでも、胸の奥が少しだけ軽くなる。彼女は過去に留まらない。僕の中で、今日の選択に寄り添っている。


日が傾き、影が長くなる。公園を出るとき、振り返らなかった。忘れたわけじゃない。背負ったまま、歩くと決めたからだ。身が焼けるほど暑い日が来ても、僕は投げる。言葉を、時間を、願いを。受け取ってくれる誰かがいると信じて。彼女と一緒に走った夏が、これからの僕を照らすように。

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