2-18: 学院で名を探す、という違和感
学院の中庭は、いつもと変わらず静かだった。
魔術師学院と聞いてユートが思い描いていたのは、詠唱の声や、実験の失敗音、爆発――そんな雑多な喧騒だった。
だが実際には、規律が空気そのものになっている。
学生たちは小声で議論し、書物を抱え、決められた道を外れない。
魔力は満ちているのに、荒れていない。
学生たちの足音も、ページをめくる音も、どこか薄い膜越しに聞こえる。
(……変ね)
私は歩きながら、隣の青年――ユートを横目で見た。
背筋は伸びている。 視線は真っ直ぐ。 だが、学院という場所に対する「気後れ」がない。
(初めて来た人の目じゃない)
それなのに、彼は確かに外の人間だ。
「で、“ラース”って人を探してるんだっけ?」
軽く聞いたつもりだった。 探し人なんて、学院では珍しくない。
「はい。少年で……少し、変わった雰囲気の人です」
少年。
その言い方に、わずかな引っかかりを覚えた。
(学院に“少年”ね……)
年齢が低い在籍者は確かにいる。 けれど、名前だけで探すほど印象に残る人物なら、誰かの記憶に引っかかるはずだ。
私は学生に声をかける。
「ねえ、“ラース”って名前、聞いたことある?」
返ってきたのは、迷いのない首振り。
「いえ、聞いたことありません」
次の研究棟。 次の職員。 結果は、同じ。
(……ない、じゃない)
(“存在しない”反応)
人は、知らない名前を聞いた時、 たいてい一瞬だけ考える。
でも彼らは違った。 最初から名簿にないものを見る目だった。
中庭に戻った時、私は確信に近い違和感を抱いていた。
「……おかしいわね」
私がそう言うと、ユートも立ち止まった。
「はい」
短い返事。 でも、そこには諦めはない。
むしろ――
“知っていた”ような声音だった。
「“知らない”じゃなくて、“いない”反応です」
彼が静かに言う。
私は内心で息を呑んだ。
(……やっぱり)
この青年、勘がいい。 それも、経験から来る類の。
その時、彼がぽつりと続けた。
「……彼、前に言ってたんです」
「?」
「魔族との戦いがあったって」
――足が、止まった。
意識より先に、身体が反応した。
(……なぜ、その言葉が出る)
学院で魔族。 それは、私にとって忘れようとしても消えない記憶だ。
「……今、何て言った?」
声が低くなったのを、自覚していた。
「魔族、です」
彼も、私の変化に気づいたのだろう。 言葉を止めた。
私は、深く息を吸う。
(……偶然、とは思えない)
「学院で、魔族と遭遇した事件があったわ」
言葉を選びながら、私は続けた。
「それを退けたのは――
私と、ルシアン、アイザック……それから」
一拍。
「ノックス」
その名前を口にした瞬間、 ユートの目が、はっきりと揺れた。
(……知ってる)
確信だった。
「……ノックス、ですか」
静かな声。 だが、その奥に、抑えきれない感情がある。
「ええ。学院中が知ってる名前よ」
私は歩き出しながら、淡々と話す。
「彼がいなければ、正直……被害はもっと大きかった」
魔族。 結界破壊。 即応できたのは、私たち数人だけ。
そして――
最後まで立っていたのは、ノックスだった。
(彼は……本当に、無茶をする)
「今も、皆で支えてるわ」
そう言った時、
私の胸に、かすかな棘が刺さった。
“支えている”。
その言葉の裏にある現実を、
私は、ユートにまだ話していない。
「……その人、今も学院に?」
ユートの問いは、まっすぐだった。
私は、首を横に振る。
「今は住んでない」
少し間を置く。
「河原の方に貸家があって……
今も、そこに暮らしてる」
歩きながら、彼の横顔を見る。
驚きはない。 動揺は、ある。
だが――
逃げる気配がない。
(……あなたは)
(何者なの)
彼は、静かに言った。
「……案内、してもらえますか」
その声音に、覚悟があった。
私は一瞬、迷った。
彼を連れて行く意味。 ノックスに与える影響。 そして、この青年自身が背負うもの。
けれど――
(……止める理由が、ない)
私は頷いた。
「いいわ」
学院の門を出る。
河原へ続く道は、いつもより長く感じられた。
まだ、会わない。
けれど、確実に近づいている。
あの“名前のない少年”と、
今も誰かに押されながら生きている青年の元へ。
この出会いが、 静かな波紋で終わるのか――
それとも、再び世界を揺らすのか。
その答えは、
まだ、誰にも分からない。




