2-9: 帰る理由
朝のフェルミナ村は、まだ静かだった。
霧が低く漂い、家々の屋根がぼんやりと白んでいる。
ユートは、ローデ亭の前で一度だけ足を止めた。
(……言わないで行くのは、違うよな)
扉をノックする。
ほどなくして、木の軋む音とともに扉が開いた。
「……ユートさん?」
寝起きのような、少し驚いた表情のミリアがそこにいた。
「こんな朝早く、どうしたんですか?」
ユートは、一瞬だけ言葉を選んでから、頭を下げた。
「王都に行ってきます」
「……王都?」
ミリアの目が、わずかに見開かれる。
「大丈夫です。
すぐ戻ります」
その言葉に、ミリアさんは少し困ったように笑った。
「……“すぐ”って、どのくらいですか?」
「……正直に言うと、分かりません」
ユートは、逃げずに続けた。
「でも、行かないといけない理由ができました。
それに――」
一拍、置く。
「外でも、ちゃんと戦えるようにならないと」
ミリアは、何も言わずにユートを見ていた。
しばらくして、静かに息を吐く。
「……ユートさんは、危なっかしいですね」
「……はい」
「でも」
ミリアは、はっきり言った。
「ちゃんと帰ってくるって言葉、信じます」
少しだけ、声を落とす。
「無茶は……しないでください」
ユートは、深く頷いた。
「約束します」
ぷにが、足元でぽよんと跳ねる。
ぷに(いってくる!) ころ(すぐかえる!) もち(……むにゃ……)
ミリアさんは、その様子を見て、くすっと笑った。
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ユートは、背を向けた。
振り返らなかった。
振り返ったら、足が止まる気がしたから。
村外れの街道に、一台の乗合馬車が止まっていた。
「アステッド行きだ。乗るなら今だぞ」
御者の声に、ユートは頷く。
荷をまとめ、馬車に近づいた、その時だった。
(……あ)
すでに、三人の冒険者が乗っている。
大盾を背負った大柄な男。
鋭い目をした剣士。
そして、静かに周囲を観察する魔術師の女性。
(……この人たち……)
ダンジョンで、遠目に見た記憶が脳裏をよぎる。
(調査隊……?
いや、まさか……)
ユートは、内心で「やばい」と思いながらも、表情を崩さずに乗り込んだ。
空いている席に、静かに腰を下ろす。
サスケとコジロウは、馬車の外側――影になる位置についた。
馬車が動き出す。
しばらくは、沈黙。
だが、その沈黙を破ったのは――
「兄ちゃん、一人旅か?」
大柄な男が、気さくに声をかけてきた。
「え、あ……はい」
ユートは少し驚きつつ、頷く。
「アステッドまで?」
「はい」
魔術師の女性が、ちらりとユートを見る。
「目的は?」
一瞬、迷ってから答えた。
「……約束を果たしに」
剣士の男――ガイルが、小さく頷いた。
「いい理由だ」
それだけだったが、その言葉に妙な重みがあった。
ユートは、少し肩の力を抜いた。
(……今は、まだ気づかれてない)
馬車は、街道を進んでいく。
フェルミナ村は、少しずつ遠ざかっていった。
だがユートの胸には、不思議と不安よりも――
(……ちゃんと、帰ろう)
その思いが、確かに残っていた。
こうして――
ユートとガイル隊の、長い道行きが始まった。




