父の不安
最近、ミリアの様子が少しおかしい。
ローデ亭の厨房で鍋をかき混ぜながら、
ベルトン・ローデはそう感じていた。
動きが遅いわけじゃない。
失敗が増えたわけでもない。
客への応対も、いつも通り丁寧だ。
だが――
どこか、視線が外に向いている。
「……ミリア」
声をかけると、
娘は少し遅れてこちらを振り返った。
「なに? お父さん」
「いや……火、弱めたほうがいい」
「あっ、ごめん」
慌てて鍋の火を調整するミリアを見て、
ベルトンは何も言わず、包丁を置いた。
――気のせい、じゃない。
昔からそうだ。
ミリアは分かりやすい。
悩み事があると、
ちゃんと目に出る。
昼の営業が終わり、
客が引けた店内で、
ベルトンは木製のカウンターに腰を下ろした。
「最近……森の方、気にしてるな」
ミリアの手が、ぴくりと止まる。
「……そんなこと、ないよ」
「あるさ。
親だぞ」
ベルトンは苦笑した。
「誰か、気になるやつでもいるのか?」
「……っ!」
ミリアは顔を赤くして、
慌てて首を振る。
「そ、そういうんじゃないってば!」
「そうか」
それ以上、踏み込まなかった。
だが――
ベルトンの脳裏には、
ある光景がよぎっていた。
数日前、
店の外れで見かけた、あの青年。
森の方から戻ってきたときの、
あの目。
あの時の目は、
腹を満たしたい目じゃなかった。
アイツと一緒だ。
(いや、アイツは逆に
食べ物のことしか考えてなかったか。)
ベルトンは、鍋を見つめたまま、静かに思う。
(あれは……覚悟の目だ)
何かを守ろうとしている者の目。
自分の身を顧みず、
それでも前に出ようとする者の目。
そんな目をした人間は、
決して多くない。
ミリアは、
その目に気づいてしまったのだろう。
だから――
心が、外に向いている。
「……無理はするなよ」
ぽつりと、
それだけを言った。
「え?」
「誰かの心配をする前に、
自分の足元を見ろって話だ」
ミリアは少しだけ黙り、
それから小さく頷いた。
「……うん」
その返事を聞いて、
ベルトンはそれ以上何も言わなかった。
父親として、
料理人として、
できることはひとつだけだ。
腹を満たすこと。
帰る場所を、
温かい場所として守ること。
それだけでいい。
ベルトンは鍋の火を見つめ直し、
静かに呟いた。
「……帰ってきたら、
あったかい飯くらいは出してやるさ」
それが、
ローデ亭の主の流儀だった。




