1-2: 森の静寂と、目覚めた小さな魔力たち
今日のローデ亭は、いつもより少し忙しかった。
父さんが酒樽を運んでいて、
母さんは厨房でスープを仕込み、
私は注文を通しながら客席を回る。
この村に生まれて十八年。
いつもどおりの夜だと思っていた。
――あの旅人さんが来るまでは。
「いらっしゃいませ!」
普段どおりに声をかけた時、
私はすぐに違和感に気づいた。
扉を開けた旅人さんは、
どこか上の空のようで、
寒い場所に長くいたみたいに手が冷たそうだった。
それなのに、その目は必死に何かを探しているようで――
けれど、弱り切ってもいた。
そのアンバランスさが妙に気になった。
「金が……ないです」
最初は驚いたけど、
すぐに“ああ、この人は本気で困ってるんだ”と分かった。
金のない旅人なんて珍しくない。
でも、この人の声はどこか切実だった。
(助けてあげたい)
そう思ったのは、私の性格なのか、
それとも彼の表情のせいか。
自分でもよく分からない。
「まかない、少しお出しできますよ」
そう言ったとき、
旅人さんは心底ほっとしたように肩を落とした。
なんだか、見ていて胸が温かくなった。
スープを準備しようとした時、
旅人さんが妙に真剣な顔で言った。
「俺の言葉……通じてる?」
私は思わず笑ってしまいそうになった。
(この人、ちょっと変わってる)
でも、変な人じゃない。
根っこが優しそうな、そんな雰囲気。
「訛ってますけど、大丈夫ですよ?」
旅人さんは誰かに生まれて初めて褒められたみたいにホッとして、
その仕草がどこか可愛かった。
スープを渡すと、
旅人さんはまるで宝物みたいに大事そうに器を持った。
一口飲んだだけで、
泣きそうなほど安堵した顔をした。
(よほどお腹すいてたんだ……)
その姿を見ると、
どうしてか胸が少しあたたかくなる。
扉が乱暴に開いたとき――
私は、心臓が嫌な音を立てた。
(また来た……)
ツケばかりで飲む、あの男たち。
正直、ものすごく怖い。
でも――
「お、お前ら……その子を困らせるな!」
旅人さんが椅子を蹴って立ち上がった瞬間、
私の時間は止まった。
(えっ……な、なんで……?)
彼は見た目は細いし、
武器も持っていないし、
どう見ても田舎のヤンチャにも敵わない。
なのに――私を守ろうと立ちはだかった。
もちろん、ボコボコにされてしまったけれど。
(……それでも、嬉しかった)
胸の奥がじんわり熱くなる。
強い人でも、力のある人でもなくていい。
怖くても、弱くても――
それでも体を張ってくれる人が、私は好きだ。
それは、母さんがいつも言っていた
“曲がったことが嫌いな人間でいろ”という言葉の影響かもしれない。
全部が終わって、
彼が痛みをこらえながら椅子に座るのを見て、
私はずっと胸の鼓動が速かった。
(ちゃんと……お礼言いたい)
「あなたのお名前……教えてもらえませんか?」
自分で言っておきながら、
心臓がドキドキして仕方なかった。
「俺は……ユート」
その時、私は初めてその名を聞いた。
「ユートさん……」
声に出してみると、
不思議とぴったりくる名前だと思った。
この名前を聞いた瞬間――
なぜだろう、背中が少しだけ軽くなった。
「私はミリアです。よろしくお願いします」
そう言った時、
ユートさんはどこか照れくさそうに笑った。
(あ、この人……悪い人じゃない)
本能的にそう思った。
ユートさんが酒場を出ていった後、
私はしばらく扉の方を見つめていた。
(また……来てくれるかな)
ほんの少しだけ、
そんなことを思ってしまった。
別に、恋じゃない。
そうじゃない。
けれど、
“気になる人ができたのかも”
そんな静かな実感が、
胸の奥でそっと灯っていた。




