フェルミナ村の朝、森の縁で
朝の仕込みを終え、ローデ亭の裏口で息をついたときだった。
(今日は……少し静かね)
いつもなら聞こえてくる森の鳥の声に、
別の音が混じっていることに、ミリアは気づいた。
――コンッ
――カッ
(……木を打つ音?)
耳を澄ませると、一定の間隔で乾いた音が響いている。
何かを振り、何かを受け止める――そんな規則正しい音。
気になって、ミリアはエプロンの端を握りながら、
そっと森の方へ足を向けた。
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木立の影から、見えた光景に――
ミリアは思わず、息を止めた。
(……え?)
そこにいたのは、ユートだった。
粗末な服装はいつもと変わらない。
でも、手にしているのは――木刀。
その前と横に、見慣れない影が二つ。
一匹は小柄で、影のように素早く動くコボルト。
もう一匹は堂々と立ち、構えに一切の無駄がないコボルト。
「――殿、視線が上がっております」 「主、今の踏み込み、少し遅うござる!」
(……しゃ、喋ってる……!?)
ミリアは目を丸くした。
ユートは汗だくになりながら、必死に木刀を構えている。
「っ……もう一回、お願いします!」
その声に、弱さはあった。
けれど――逃げ腰ではなかった。
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木刀が振られる。
コボルトの一匹――青毛の方が、
最小限の動きでそれを受け、軽く弾いた。
「殿。力ではございませぬ。 “起点”を断てば、相手は動けませぬ」
「起点……」
ユートは真剣な顔で、何度も頷く。
もう一匹――黒毛の小柄な方が、
くるりと背後へ回り込んだ。
「主、今でござる! 相手の足元、見てくだされ!」
「え、あ――」
ユートは慌てて体勢を立て直し、
転びそうになりながらも、踏ん張った。
「……っ、くそ……!」
転びそうになっても、やめない。
息が上がっても、膝が震えても――立ち続ける。
(……あの人……)
ミリアの胸が、きゅっと締めつけられた。
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(前は……)
思い出すのは、
お金がないと言いながら、それでも丁寧に頭を下げてきた姿。
無理に強がらず、
でも諦めもしない、不器用な人。
(……今は、違う)
強くはない。
でも――逃げない。
守ろうとしている。
誰かに頼らずに、
“自分で立とう”としている。
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「はぁ……はぁ……」
ユートは木刀を下ろし、膝に手をついた。
「……まだまだですね」
「殿、初日でこれほど立てるのは上々でございます」 「主、今日はここまででよろしいかと!」
コボルトたちが、
まるで“家族”のように寄り添っている。
(……ユートさん……)
声をかけたい衝動を、ミリアは必死で抑えた。
今、声をかけたら――
この時間を壊してしまう気がしたから。
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ミリアは、そっと踵を返す。
ローデ亭へ戻る途中、胸の奥が温かくなっていた。
(……大丈夫)
(あの人は……きっと)
鍋に火をかけながら、
ミリアは小さく微笑んだ。
「……今日は、ホーンボアのシチューを多めに仕込もう」
理由は、自分でもよく分からない。
ただ――
頑張っている誰かに、
ちゃんと“帰る場所”があってほしかった。




