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空渡りの手紙  作者: 白瀬 柊


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第7話 魔法と朝の市場

先日の魔導炉の暴走は、カイルの「沈黙の選択」によって沈静化したが、リリカント都市はまだ微かに揺らぎの中にあった。

しかし、一週間も経つと、浮遊盤の安定を取り戻しつつある上層区画では、市民たちのたくましい日常が戻りつつあった。

カイルは、朝の光が差し込む石畳の市場を歩いていた。色鮮やかな果物や、空飛ぶ魚を売る店主たちの活気ある声が響く。

「いらっしゃい! 郵便屋のカイルじゃないか!」

「おはようございます、アネットさん。今日は新鮮な魔力豆がたくさん出ていますね」

カイルはいつものように、街の人々に挨拶を交わす。彼らが知っているのは、感情を込めた手紙を届ける、少し風変わりだが腕利きの郵便屋カイルだ。彼がこの街の「盟約の管理者」として、生死をかけた戦いを繰り広げていたことなど、誰も知らない。

子どもたちが遊ぶ広場では、魔力の泡沫を飛ばして遊ぶ笑い声が響いていた。

日常の光景は、カイルの心に安らぎを与えてくれる。しかし、彼の視線は、無意識のうちに西の空へと向かっていた。

遠く、夕焼けの色に染まりかけている地平線の上に、崩壊した炉心塔の残骸が、傷跡のように黒く残っているのが見えた。そして、その残骸の周りを、魔導炉管理局の小型監視ドローンが、絶え間なく巡回している。

「油断はできない……」

カイルは、心の中でそう呟いた。日常の裏側で、確実に**「敵の動き」**が再開している兆候だった。


カイルは、市場での挨拶を終えると、広場で遊ぶ子どもたちの輪に引き止められた。

「カイル兄ちゃん! あの時見た、手のひらから花を出す魔法、もう一回見せて!」

「あれか? いいぞ」

カイルは笑って、右手にわずかに魔力を集中させた。リリバードが肩から飛び立ち、カイルの指先にちょこんと止まる。リリバードの虹色の光が、カイルの魔力を媒介し、ぱっと鮮やかな虹色の小さな花を咲かせた。

子どもたちは大喜びで、魔法の花を取り合った。

「すげー! やっぱりカイル兄ちゃんの魔法が一番好きだ!」

カイルは、この無邪気な笑顔を見ている時が、一番心が安らぐ。彼の魔法は、誰かを救う壮大な力だけでなく、こうして誰かの心を温めるためのものでもある。

「まったく、君は人気者だね、カイル」

彼の旧友である雑貨屋の青年が、カイルに声をかけてきた。

「君のおかげで、この一週間は安心して眠れたよ。管理局は何も言わないけど、西の炉心での騒ぎ、君が何かやったんだろう?」

カイルは曖昧に笑うだけだった。

「さあ、なんのことかな。僕はただ、配達のついでに、少しばかり厄介な手紙を届けただけさ」

リリバードはカイルの肩に戻り、その小さな嘴で、カイルの耳元をトントンと叩いた。それは、「嘘をつくな」という、精霊なりの無言の抗議だろう。

炉心騒動の後、カイルは肉体的にも精神的にも大きな負担を抱えていた。今は、このささやかな日常の交流と、リリバードの世話が、彼にとって貴重な休息になっていた。


カイルが広場を離れ、自分の住居へと向かう途中、彼は再び微かな振動を感じた。

ザワッ。

上層区画の美しい石畳に、さざ波のような小さな揺れが走った。同時に、空気中に、以前よりも弱いものの、金属が焦げ付いたような熱波と匂いが流れてきた。

「またか……」

周囲の市民たちは、最初こそ「おや?」と顔を見合わせたが、すぐに首をすくめて日常に戻った。

「また西の炉心が不安定になっているな。まあ、いつものことさ」

「郵便屋の魔法使いのせいで、完全には直ってないのかもね」

市民たちは、この微かな異常に慣れてしまっている。彼らにとって、リリカント都市の浮遊盤は、常に不安定で予測不能なものなのだ。

しかし、カイルの認識は違っていた。彼はこの振動が、一時的に沈黙させた炉心の**「反動」であり、盟約の均衡を破ろうとする「真の敵」**の活動再開の兆候だと直感していた。

彼は、自分の胸元を触り、盟約の鍵が隠されていることを確認した。

「沈黙は一時的なもの。心臓を**『止めた』ことで、街は延命したが、敵は、『心臓の停止』**を利用して、さらに大きな破壊を目論んでいるかもしれない」

カイルは、市民たちの安堵とは裏腹に、心の中で**「油断はできない」**という意識を強くした。この静かな日常こそが、次の嵐の前の、最も危険な静けさなのだ。


カイルが自宅に戻ると、師匠がかつて使用していた机の上に、一通の古い手紙が置かれていた。それは、師匠が盟約の道を歩み始める前に書かれた、カイル宛の伝言だった。

封筒には、師匠の癖のある筆跡で、こう書かれている。


「カイルへ。もしこの手紙を読む時が来たのなら、私はもういないだろう。お前が持つ感情の魔力は、誰よりも強く、誰よりも危うい。だからこそ、お前は*『無の契約者』*になる必要がある」


そして、手紙の裏には、師匠の古くからの協力者である、街の図書館の老魔導師からの追記があった。


「カイル。先日の騒動後、管理局内の*『対盟約派』の動きが活発化している。彼らは、盟約の秘密を悪用しようとしている。そして、師匠が懸念していた、『影の背後の存在』が、今、動き出したようだ。君は盟約の真の鍵を手に入れた。次は、その敵の正体**を突き止めなければならない」*


カイルは、手紙を読み終え、深く息を吐いた。

「管理局内の裏切り者……そして、影の背後の存在……」

彼は、自身の内面に問いかけた。

「僕の役割は、沈黙をもたらすことだけではない。この盟約が目指した**『真の平和』**を実現することだ」

リリバードが、その伝言の上を、何度もゆっくりと旋回した。リリバードがカイルの導き手であると同時に、師匠と盟約の謎を繋ぐ生き証人であることを示しているかのようだった。

カイルは、次の課題が**「盟約の真の敵」の正体を突き止めることにあると整理した。平和な日常に浸っている時間はない。この静けさを利用し、次の行動のための準備**を進める必要がある。


日没が近づき、リリカント都市の浮遊盤は、夕焼けの深い茜色に染まっていた。

カイルは、自分の住居のバルコニーに立ち、広がる夕焼けの光景を見渡した。崩壊した炉心塔の残骸は、夕焼けの中に沈みかけているが、その存在は依然として未来への警告を放っている。

彼は、背中に愛用の郵便鞄を背負い直した。鞄の中には、今日も届けるべき手紙と、盟約の鍵が入っている。

カイルは、静かに、しかし確信を持って心で繰り返した。

「街は今日も生きている。僕が選んだ『沈黙』の選択のおかげで、今日もまた朝日を迎えられる」

リリバードが、カイルの頭上高く舞い上がり、美しい虹色の軌跡を描いた。

この束の間の静寂は、彼に与えられた準備期間だ。

カイルは、次の行動を決意した。まずは、図書館の老魔導師に会い、師匠が残した**「対盟約派」と「影の背後の存在」**に関する情報を集めることから始めるべきだ。

彼の視線は、夕焼けに浮かぶ都市の最も古い区画へと向けられた。

――街の静けさに包まれながら、カイルは次の行動を心に描いていた。

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