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空渡りの手紙  作者: 白瀬 柊


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第2話 喋るな手紙、黙るな鳥

夜明け前のリリカントの街は、まだ夜の帳の深い青色に包まれていた。カイルは、古い石造りの小さな自宅のバルコニーに出て、空を仰いだ。浮遊する街リリカントの気流は、時に気まぐれだ。彼の真紅のマントは、風の訪れを告げる最高のセンサーだが、今日はまるで機能していない。


「うーん……これは『徒歩の日』か」

カイルは小さく唸った。街の浮遊を支える魔導炉の排熱量が不安定な時、その日の大気の魔力は極端に薄くなる。郵便屋が最も頼りにする「滑空」のための風の魔力が、今日はどこにも見当たらないのだ。


「ぼくの鞄くん、今日はちょっと休憩だ。背負うことになっても、文句なしだぞ」

彼は愛用の郵便鞄を背負い直した。鞄はわずかに「フフン」と聞こえるかのように低く唸ったが、大人しく背中に収まった。今日は、塔や雲の上を飛ぶ代わりに、石畳の小道を歩き、階段を上り下りして配達をする日になる。それはそれで、普段は見えない街の息遣いを感じられる特別な日でもあった。


最初の配達先は、いつもよりずっと近くにある、下層区画の時計職人の工房だ。カイルが鞄から手紙を取り出そうとしたその時、鞄の中身が突如として動き出した。


「私は今すぐ、今すぐ配達されなければならない! この重要な内容を、一刻も早く相手に届ける使命が私にはあるのだ!」

低いが、やけに響く男の声が、鞄の中から聞こえた。カイルは驚いて鞄の中を覗き込む。そこには、封蠟ふうろうが二重に押された、やけに分厚い手紙が、まるで小さな生き物のようにぴくぴくと震えていた。


「わ、わっ、君か。『しゃべる手紙』」カイルは慌てて手紙を掴み出した。

これは、カイルの師匠が冗談半分で発明した「意思伝達強化の魔法」が暴走したレアな事例だ。感情が強く込められた手紙にこの魔法を施すと、手紙そのものが内容の重要性を主張し、文字通り「しゃべり」始める。


「掴むな! 貴様の手の魔力は、私の神聖なインクに干渉する! 私は……私は、リリカント史上、最も遅延を許されない手紙なのだ!」

「わかった、わかったから静かに! 通りを歩く人がみんな振り返ってるじゃないか!」

カイルが手紙を抑えつけていると、一人のパン屋の弟子らしき少年が目を輝かせて近づいてきた。


「あ! 郵便屋のお兄さん! その手紙、しゃべってるの?」

「あー、これは、ええと……」

カイルが言い訳を考えているうちに、しゃべる手紙は少年めがけて大声で訴えかけた。


「坊や! 私を見ていないで、さっさとパンを焼け! 貴様がパンを焼くのが遅れると、この街の平和は二秒遅れるのだ! さあ、私を急いで届けろ! 刻一刻と……」

「うるさい!」

カイルは手紙の**封蠟に自分の魔力を強く流し込み、強制的に魔法の出力を下げた。**手紙は「ムムム……」と不満そうな呻き声を上げながら、ようやく大人しくなった。


「ごめんね、ちょっと変わった手紙なんだ」とカイルは少年をなだめ、時計職人の工房のドアをノックした。


時計職人の老人は、カイルを見るなり目を細めた。

「やあ、カイル。今日は飛んでないのか。珍しいな」

「ええ、風の魔力が弱くて。あ、これです」カイルが手紙を渡すと、老人は不思議そうな顔をした。


「なんだ、この手紙。やけに重いな……まるで中に生き物でも入っているようだ」

老人が手紙の封を切った瞬間、手紙は最後の抵抗とばかりに、かすれた声で叫んだ。


「間に合った……!」

老人は一瞬固まり、それからクスクスと笑い出した。


「ハハハ! これは面白い! うちの孫が、僕の誕生日プレゼントに作った『世界時計』の設計図だ。設計の重要性が高すぎて、手紙が張り切りすぎたか。ありがとう、カイル。朝から笑わせてもらったよ」

カイルは安堵の息を漏らし、次の配達先へと歩き出した。


次の配達は、市街地の中心にある「市場」を抜けた先だ。市場に近づくと、潮と焼き立てパンの匂いに混ざって、微かに甘い、独特な魔法の香りが漂ってきた。カイルはすぐにピンときた。


「また来たな……」

彼の頭上、建物の軒先を縫うように、一羽の鳥型の精霊、虹色の羽根を持つリリバードがついてきている。一話でカイルの鞄を執拗に狙った、あの異様に大きな個体だ。


このリリバードは、他の精霊たちとは明らかに異質な存在だった。一般的なリリバードは「リリカントの街に施された古い魔法の残滓」であり、魔力に惹かれるだけの**「匂い」のようなものだ。しかし、この虹色の精霊は、まるで「強い目的」**を持ってカイルを追いかけているように見える。


虹色のリリバードは、カイルが市場の軒下に差し掛かると、一段と低く飛び、カイルの背中の鞄に体をぶつけてきた。

「こら! 迷惑だぞ!」

カイルが払いのけようとすると、リリバードは一度離れるが、すぐにカイルの右肩の辺りを、その虹色の嘴でトントンと軽く叩いた。それは、まるで**「着いていけ」**と催促しているかのようだった。


「どこへ? 君の行きたいところに連れて行けっていうのか?」

リリバードはカイルの問いに、虹色の羽根を強く輝かせて応えた。その光は、カイルが配達を終えたばかりの、時計職人の手紙が入っていた場所に、強く注がれていた。


「手紙……か?」

カイルは虹色の精霊を警戒しつつ、市場を抜けた。その途中で、一話で配達した「病気の母親への子守歌の手紙」の差出人である少女の姿を見かけた。


少女は、焼きたての月桂樹の香りのクッキーを抱え、カイルの姿を見つけるなり、大きな笑顔で駆け寄ってきた。

「郵便屋のお兄さん! ちょうどよかった!」

「ああ、こんにちは。お母さんの具合はどう?」

カイルが尋ねると、少女はクッキーの包みを差し出しながら、目に涙を浮かべた。


「お兄さんの魔法……すごかったよ! ずっと高熱でうなされてたお母さんが、あの手紙を読んだ晩だけ、ぐっすり眠れたんだって。しかも、目が覚めたら、すごく穏やかな顔になってて……」

少女は涙を拭い、笑顔で続けた。

「お母さん、あの手紙を枕元に置いてから、少しずつだけど、ご飯を食べられるようになったんだ! ありがとう、お兄さん! お礼に、これ、お母さんと一緒に焼いたの!」


カイルは、クッキーの温かさを両手で受け取り、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。

「そんな……おまじない程度の魔力だよ。でも、よかった。本当に良かった!」

カイルの魔法は、師匠が言った「品位」を欠いた感情的なものかもしれない。しかし、その「感情」こそが、人の心を動かす真の力だと、カイルは確信した。


その瞬間、カイルの頭上にいた虹色のリリバードが、少女の持っていたクッキーの包みに、一瞬だけ止まった。そして、そのクッキーを一瞬、嬉しそうに見つめてから、再びカイルの肩の高さに戻り、まるで「次の配達へ行け」と急かすように、先導し始めた。


「……君も、この配達が正しいって言ってるのか?」

カイルは虹色のリリバードの行動に、さらなる不可解さを感じつつも、その**「目的を持った行動」**を無視できなくなっていた。


午後の配達を終え、風がわずかに戻ってきた頃、カイルは街の東端にある、古い風車塔へと向かった。そこは、師匠の住居兼工房であり、カイルが今も管理している場所だ。


風車塔の最上階は、今も師匠がいた時のままだ。埃をかぶった作業台、古びた地図、そして、カイルの魔法の原点である**「風の盟約」の石板**。

カイルは掃除をしながら、作業台の引き出しから、師匠が残した一冊の古いノートを見つけた。それは、師匠が魔法郵便屋になる前の、「盟約の魔法」の研究ノートだった。


ノートの冒頭には、カイルの新人時代の回想が書き込まれていた。

「カイル。今日もまた、君は手紙に「愛を込めた巨大な虹」の魔法を施したな。何度も言っているが、我々の仕事は「感情の代筆」ではない。「風の盟約」は、風の神と交わした*『世界を円滑に廻すための契約』*だ。個人の感情で魔力を暴走させるな。……まあ、あの時の彼の笑顔は、正直、私には作れない代物だったが」


カイルは照れ笑いをした。新人時代、彼はいつも魔法を盛りすぎて、師匠に厳しく叱られていたのだ。


ノートのページをめくっていくと、師匠の筆跡が、やがて乱雑になり、そして後半は、一つのテーマに集中していることがわかった。


【風の盟約の、五つ目の契約】

「風の盟約」は四つの柱で構成されている。

1.手紙に魔力を込めること。

2.風の力(滑空)を常に正しく使うこと。

3.届け先と魔力の**『感情の連鎖』**を尊重すること。

4.いかなる時も、手紙の内容を他言せぬこと。


しかし、古い文献には、**「第五の盟約」の存在が示唆されている。それは、「手紙」ではなく「届ける者」**の資質に関わるものだという。

『彼の者が風の盟約を破る時、彼の者の影が道を示すだろう』


カイルはその一文を読んで、思わず息を呑んだ。

「影」とは何だろう。


師匠の筆跡は、ここで一度止まっている。インクが乾いていないかのように、生々しく残されていた。

カイルがそのメモを読み終えた瞬間、窓の外から虹色の閃光が差し込んだ。


カイルが窓の外を見ると、虹色のリリバードが、風車塔の屋根の上に止まって、じっとこちらを見つめている。それは、**「このノートが大事だ」**と訴えかけているかのようだった。


「君が、師匠が言っていた『影』なのか?」

カイルが呟くと、虹色のリリバードはカイルの肩へひらりと飛び移り、まずは優しくトントンと嘴で叩いた。そして、カイルの顔を覗き込むように首をかしげ、もう一度トントンと叩いてから、まっすぐ西の空、すなわちリリカントの街を浮遊させている魔導炉の塔の方角を指し示し、一陣の風と共に消えていった。


カイルは師匠のノートと、虹色の精霊の行動を頭の中で結びつけた。

「影が道を示す……。師匠は、この虹色の鳥のことを知っていたのか?」

彼の配達は、ただの仕事じゃない。師匠が追いかけていた、この「風の盟約」の秘密に繋がっているのか?


一日の終わり、カイルは再びバルコニーに出て、夕焼けに染まる街を見下ろした。

「しゃべる手紙」というコメディと、「少女の笑顔」という温かさ、そして「虹色の精霊」が示す、深遠な物語の予感。


カイルは、クッキーの包みをそっとポケットにしまい、次の日もまた、彼の信じる魔法を届けるために、深い呼吸をした。

一一彼の「普通の日」は、どうやら**「普通じゃない日」**の始まりだったようだ。


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