第二十話 初めての属性魔法
合同基礎魔法訓練から数日。
春の陽射しは日に日に暖かさを増し、学院の木々には鮮やかな若葉が芽吹いていた。
中等部一年Aクラスの教室では、朝のホームルームを終えた生徒たちが、それぞれ教本を机に広げている。
窓から吹き込む柔らかな風が、教室の空気を心地よく揺らしていた。
ミリアも教本を開きながら、小さく息をつく。
(あの日、先生から褒めていただけたことは嬉しかった。でも、あれはまだ魔力を巡らせることができたというだけ。)
(本当の魔法は、これから始まるのよね。)
その隣では、ロナルドが静かに窓の外を眺めていた。
(体内の魔力を制御する技術は身についた。)
(しかし、それだけでは魔法とは言えない。)
(父上も「魔法は自然と共にあるものだ」と仰っていた。)
ふと視線を向けると、ミリアと目が合う。
二人は小さく微笑み合い、それだけで互いの緊張が少し和らいだ。
前の席では、エレノアが丁寧に教本を閉じる。
「今日から、いよいよ属性魔法の授業ですわね。」
「ええ。」
ミリアも嬉しそうに頷いた。
「少し緊張しますけれど、とても楽しみです。」
フェイルはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「私もです。」
「兄上から『魔法の本当の面白さはここからだ』と聞いておりましたので。」
「本当の面白さ、ですか?」
ミリアが首を傾げる。
「ええ。」
「魔法は、自分一人の力ではありません。」
「世界そのものと力を合わせることだと教えられました。」
その言葉に、ロナルドは静かに頷いた。
「父も『魔法とは支配するものではなく、自然と共に歩む技術だ』と申していました。」
ミリアはその言葉を胸の中で繰り返した。
(自然と共に歩む……。)
(なんだか、とても素敵な考え方。)
やがて、教室の扉が静かに開いた。
担任教師がゆっくりと教壇へ向かう。
「席につきなさい。」
一瞬で教室が静まり返る。
教師は生徒たち一人ひとりを見渡し、穏やかな表情で口を開いた。
「本日から、いよいよ属性魔法の基礎を学ぶ。」
その一言だけで、教室の空気がぴんと張り詰める。
誰もが待ち望んでいた授業だった。
教師は教壇横に置かれた魔導板へ手をかざす。
淡い光が走ると、黒い板へ白い線が浮かび上がり、一つの図形が描かれていく。
中央には人の姿。
その周囲を、大きな円が包み込んでいた。
「まず確認しておこう。」
「昨日まで諸君らが学んだのは、体内の魔力を循環させる技術である。」
教師は中央の人型を指差す。
「これは誰もが生まれ持つ、自身の魔力だ。」
続いて、その周囲を囲む大きな円へ視線を移す。
「そして、今日学ぶのは、この外側にある力についてである。」
生徒たちは真剣な表情で魔導板を見つめる。
教師はゆっくりと言葉を続けた。
「魔法とは、体内の魔力だけでは成立しない。」
教室は静まり返る。
生徒たちは一言も聞き漏らすまいと耳を傾けていた。
「自然界には、火、水、風、土、光、闇――六つの属性魔力が常に満ちている。」
教師が指先を動かすと、魔導板の大きな円が六色の淡い光を帯び始めた。
赤。
青。
緑。
茶。
白色。
そして、深い藍にも似た静かな黒。
「諸君らが持つ体内魔力は、この自然界に満ちる魔力と共鳴するための『鍵』だ。」
「鍵だけでは扉は開かない。」
「しかし、鍵がなければ扉も開けられない。」
教師は静かに微笑む。
「自らの魔力を鍵として外の魔力と共鳴させることで、初めて属性魔法は完成する。」
その説明を聞いた瞬間。
ミリアの胸の中で、一つの疑問が綺麗に繋がった。
(そういうことだったのね……。)
(だからユーリ先生は、魔力循環を何より大切にされていたんだ。)
急がず。
焦らず。
穏やかな川の流れのように。
あの日々が、ようやく一つの意味として結び付いた。
ロナルドもまた、教師の話を静かに聞きながら心の中で頷く。
(父上のお言葉も、同じ意味だったのですね。)
(体内魔力だけを磨いても、不完全。)
(自然と調和して初めて、本当の魔法となる。)
エレノアも教本へ素早く要点を書き留めていく。
(知識として学んではおりましたが、こうして図で見ると、とても分かりやすいですわ。)
フェイルは嬉しそうに目を輝かせた。
(なるほど。)
(だから兄上は、風を"操る"のではなく"風に乗る"と言っていたのですね。)
その様子を見ていたライトが、目を丸くして教室中を飛び回る。
『へぇ~!』
『人間って、こんなふうに魔法を勉強するんだ!』
『当然ですよ。』
シルビィは穏やかに微笑む。
『私たち精霊にとっては当たり前でも、人は理論を積み重ねて理解していく生き物です。』
『でも、なんだか面白いね!』
『それだけ自然と共に生きている、ということなのでしょう。』
シルビィは静かに微笑みながら窓の外へ視線を向けた。
春風が木々を揺らし、若葉が柔らかく揺れている。
『風も。』
『陽の光も。』
『大地も、水も。』
『すべてが、この世界を支える魔力そのものです。』
ライトは嬉しそうに何度も頷いた。
『やっぱり魔法ってすごいね!』
ミリアは思わず小さく笑みを浮かべる。
もちろん、その笑顔の理由を知る者は誰もいない。
教師は教室を見渡し、満足そうに頷いた。
「では次に、体内魔力だけを用いた場合、どのような魔法になるのかを実際に見てもらおう。」
教室には期待と緊張が入り混じった空気が静かに満ち始めていた。
教師は右手を静かに前へ差し出した。
ゆっくりと目を閉じ、呼吸を整える。
教室中が固唾をのんで見守る中――
教師の手のひらの上に、小さな白い光の球が生まれた。
淡く輝くその球は、まるで朝露に光が宿ったように美しい。
「これは、体内の魔力だけで構成した魔法だ。」
教師は教室の端に設置された訓練用の標的へ視線を向ける。
「よく見ていなさい。」
次の瞬間。
教師が軽く手を振ると、光球は一直線に飛び出した。
――ドンッ!
鈍い音とともに標的へ命中する。
標的はわずかに揺れたものの、それだけだった。
生徒たちから小さなどよめきが起こる。
「当たりましたね。」
「でも……。」
「思ったより威力がありません。」
教師は苦笑しながら頷いた。
「その通りだ。」
「今の魔法は無属性魔法と呼ばれる。」
「自身の体内魔力だけを使って構成するため、どの属性にも属さない。」
そう言うと、教師は標的へ歩み寄り、命中した跡を指差す。
「威力は決して高くない。」
「それどころか、消費する魔力量に対して効率が非常に悪い。」
教師は生徒たちへ向き直る。
「例えるなら、自分一人で大きな荷物を運ぶようなものだ。」
「だが、とても疲れる。」
「長時間続けることは難しい。」
教師は再び微笑む。
「だからこそ、人は自然界に満ちる魔力と共鳴する技術を身につけた。」
「外にある力を借りることで、少ない負担で、より大きな力を発揮できるのだ。」
ミリアは、その言葉を聞いた瞬間、幼い頃の記憶がふと蘇った。
◇ ◇ ◇
「ミリア様。」
まだ幼かった頃。
テルファメート侯爵家の庭。
春の優しい陽射しの下で、ユーリは穏やかな笑みを浮かべながらミリアの前に立っていた。
ミリアの小さな手のひらには、今と同じような淡い光球が浮かんでいる。
「できました!」
嬉しそうに笑うミリア。
しかし、ユーリは優しく頷きながらも、静かに説明を続けた。
「とても上手ですよ。」
「ですが、今お使いになられたのは無属性魔法です。」
ミリアは首を傾げる。
「むぞくせい……ですか?」
「はい。」
「体内の魔力だけで構成された魔法です。」
ユーリは地面に一本の枝で円を描いた。
「体内魔力だけでも魔法は発動します。」
「ですが、実戦ではあまりおすすめできません。」
「どうしてですか?」
ユーリは柔らかく微笑む。
「燃費が悪いからです。」
「同じ魔法を何度も使えば、すぐに魔力が尽きてしまいます。」
ミリアは「あっ」と小さく声を漏らした。
「だから、外の魔力を借りるのですか?」
ユーリは嬉しそうに目を細めた。
「その通りです。」
「自然界には、たくさんの属性魔力が流れています。」
「それらと共鳴できれば、自分一人で頑張る必要はありません。」
「魔法とは、自然と協力する技術なのですよ。」
ユーリは空を見上げる。
春風が木々を揺らし、小鳥たちが楽しそうにさえずっていた。
「自然は、いつでも私たちのそばにあります。」
「だから無理に支配しようとしてはいけません。」
「手を取り合うように、優しく語りかけることが大切なのです。」
幼いミリアは、その言葉を胸に刻むように何度も頷いていた。
◇ ◇ ◇
(そうだった……。)
ミリアは現在へ意識を戻す。
(あの時の教えが、今になって全部繋がった。)
(ユーリ先生は、最初から今日のために教えてくださっていたんだ。)
自然と胸が温かくなる。
ロナルドも教師の説明を聞きながら、静かに考えていた。
(父上も、同じことを仰っていた。)
(力を振るうのではない。)
(自然へ敬意を払い、共に歩め、と。)
エレノアは教本へ丁寧に書き留める。
『無属性魔法――体内魔力のみ。』
『威力小。』
『消費大。』
『属性魔法――自然魔力と共鳴。』
フェイルは感心したように頷いた。
「兄上が『魔法は一人で戦うものではない』と申していた理由が、ようやく分かりました。」
教師は生徒たちの表情を見渡し、満足そうに微笑む。
「理解が早いようだ。」
「自然界に満ちる魔力と調和し、共鳴することで初めて、本来の力を発揮できる。」
あちらこちらから、小さく息をのむ声が聞こえた。
『なるほど〜!』
ライトは元気いっぱいに羽ばたく。
『だから僕たち精霊も、みんなのお手伝いができるんだね!』
『ええ。』
シルビィは穏やかに頷いた。
『私たち精霊もまた、この世界に満ちる属性魔力と深く結びついた存在です。』
『だから契約者が自然と調和できるほど、より力を貸すことができるのですよ。』
『そっかぁ!』
『ミリア、頑張ってね!』
『きっと上手にできるよ!』
ライトの無邪気な笑顔に、ミリアも思わず微笑み返した。
「ありがとう。」
その小さな声は、誰の耳にも届かない。
教師は教壇へ戻り、ゆっくりと頷く。
「では次の時間から、実際に外の魔力を感じ取る訓練へ入る。」
「諸君らが初めて属性魔法へ触れる、大切な第一歩だ。」
生徒たちの表情が一斉に引き締まる。
いよいよ、本当の意味での魔法が始まる。
ミリアは胸の前で小さく手を握った。
(ユーリ先生……。)
(今日まで教えてくださったことを信じて、頑張ります。)
その瞳には、新たな一歩を踏み出そうとする、静かな決意の光が宿っていた。
教師は教壇の前に立ち、生徒たちをゆっくりと見渡した。
「それでは、ここから実際に自然界の魔力を感じ取る訓練を始める。」
教室の空気がぴんと張り詰める。
生徒たちも自然と背筋を伸ばした。
「安心しなさい。」
「今日の目的は魔法を成功させることではない。」
「世界に満ちる魔力を感じることだ。」
教師は穏やかな声で続ける。
「焦る必要はない。」
「魔力は力ずくで掴むものではない。」
「心を静かにし、自らの魔力を穏やかに循環させなさい。」
教師の言葉に、生徒たちは静かに頷く。
「では、全員目を閉じなさい。」
教室中が静まり返った。
ミリアもゆっくりと目を閉じる。
呼吸を整え、胸の奥にある魔力をゆっくりと巡らせる。
急がない。
焦らない。
ユーリ先生から何度も教えられた感覚を思い出す。
身体の隅々まで魔力が優しく流れ始めると、不思議と周囲の空気が変わったような気がした。
春風が窓から吹き込み、頬を優しく撫でる。
木々の葉が擦れ合う音。
遠くでさえずる小鳥たち。
陽だまりの暖かさ。
それらすべてが、自分の身体と繋がっていくような感覚だった。
(これが……。)
(自然の魔力……。)
その瞬間だった。
ミリアの意識の中に、無数の淡い金色の光が現れる。
春の日差しのような優しい輝き。
ふわり、ふわりと舞いながら、まるで「ここにいるよ」と語りかけてくるようだった。
思わず息を呑む。
(綺麗……。)
一方、ロナルドの周囲には静かな夜を思わせる深い闇色の粒子が漂っていた。
恐ろしさはない。
夜空に輝く星々を包み込むような、穏やかで落ち着いた静寂。
(これが闇の魔力……。)
(父上がおっしゃっていた"静寂"とは、このことだったのですね。)
エレノアの周囲では、水色の光が静かに揺れていた。
透き通る泉のような清らかな流れ。
優しく包み込むような温もりが伝わってくる。
フェイルの周囲には、若葉を揺らす春風のような翠色の魔力が踊っていた。
軽やかで自由。
今にも空へ舞い上がりそうな心地よさだった。
他の生徒たちも、それぞれの属性魔力を少しずつ感じ始めている。
教室には静かな感動が広がっていた。
その様子を見守っていたライトは、目を輝かせながら飛び回る。
『わぁー!』
『光がいっぱいだよ!』
『こんなにたくさん集まってる!』
小さな両手をいっぱいに広げながら、楽しそうに笑う。
『みんな見えてるのかなぁ?』
その隣でシルビィが穏やかに微笑んだ。
『見えているわけではありません。』
『ですが、感じているのです。』
『世界には、常に属性魔力が流れています。』
『人はそれを感覚として受け取り、自らの属性と共鳴させるのです。』
『へぇ~!』
『だから魔法って自然と一緒なんだね!』
『ええ。』
『私たち精霊も、その流れの一部なのですよ。』
ライトは嬉しそうに何度も頷いた。
『なんだか世界中がお友達みたい!』
シルビィも優しく目を細める。
『その考え方は、とても素敵ですね。』
教師は静かに口を開いた。
「感じられた者は、その感覚を忘れないように。」
「焦って掴もうとしてはいけない。」
「自然は逃げない。」
「心を開けば、必ず応えてくれる。」
生徒たちは静かに目を開けた。
その表情は、授業が始まる前とはどこか違っていた。
見えない世界へ、一歩踏み出した者だけが浮かべる驚きと感動。
ミリアも胸へそっと手を当てる。
(本当に世界は魔力で満ちている……。)
(なんだか、とても温かい。)
教師は満足そうに頷いた。
「よろしい。」
「では、その感覚を忘れぬうちに、いよいよ最初の属性魔法へ挑戦してもらう。」
その一言に、生徒たちの緊張が再び高まる。
いよいよ、自分たちの手で初めて属性魔法を生み出す時が訪れようとしていた。
「これから諸君らには、自身の属性魔力と自然界の魔力を共鳴させ、小さな魔法を生み出してもらう。」
「成功しても失敗しても構わない。」
「大切なのは感覚を掴むことだ。」
生徒たちは一斉に頷いた。
「では、始め。」
その合図と同時に、教室のあちこちで魔力が動き始めた。
「火よ……。」
火属性の男子生徒が両手を前へ突き出す。
すると――
ボッ。
親指ほどの小さな火が一瞬だけ灯り、そのまま消えてしまった。
「あっ……。」
思わず肩を落とす男子生徒。
周囲から小さな笑いが漏れる。
「次は私!」
水属性の女子生徒が集中する。
手のひらへ淡い水色の光が集まり――
ポタッ。
水滴が一粒落ちただけだった。
「えぇ~!」
本人が思わず声を上げると、教室中からくすくすと笑い声が広がる。
「僕も!」
今度は風属性の生徒。
勢いよく魔力を巡らせると――
ふわっ。
自分の前髪だけが綺麗になびいた。
「……。」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「ぷっ!」
「あははは!」
「風は成功してるけど、自分だけじゃない!」
教室中が笑いに包まれた。
風属性の生徒も照れ笑いを浮かべる。
「これはこれで成功……かな?」
教師も思わず笑みを浮かべた。
「うむ。」
「確かに風は起こせている。」
「少し方向が違っただけだ。」
その一言に、教室はさらに和やかな空気に包まれる。
失敗しても叱られない。
誰もが同じように最初の一歩を踏み出している。
教師は優しく頷いた。
「安心しなさい。」
「最初は皆、このようなものだ。」
「魔法とは失敗を積み重ねながら覚えていく技術である。」
「焦る必要はない。」
「大切なのは、一歩ずつ前へ進むことだ。」
その言葉に、生徒たちはほっとしたような笑顔を浮かべた。
ミリアも思わず微笑む。
(なんだか、安心した。)
(みんな最初は同じなんだ。)
ロナルドも小さく笑みを浮かべる。
(これなら必要以上に力むことはありませんね。)
ライトは楽しそうに教室中を飛び回っていた。
『みんな頑張れー!』
『あとちょっとだよー!』
シルビィも優しく微笑む。
『誰もが最初は初心者です。』
『だからこそ、一歩目が大切なのですよ。』
教師は名簿へ目を落とし、静かに頷く。
「では、一人ずつ確認していこう。」
教室の空気が再び引き締まる。
次はいよいよ、それぞれの実力が試される番だった。
教師は名簿へ目を落とす。
「まずは火属性。」
名前を呼ばれた生徒が前へ出る。
深呼吸を一つ。
体内の魔力を静かに巡らせ、先ほど感じた自然界の火属性魔力へ意識を向ける。
「共鳴を意識しなさい。」
教師が穏やかに声をかける。
その言葉に従い、生徒はゆっくりと手を差し出した。
ボッ――。
先ほどより一回り大きな炎が手のひらに灯る。
「おぉ……!」
教室から感嘆の声が上がった。
教師も満足そうに頷く。
「よろしい。」
「まだ不安定だが、確かに自然界の火属性魔力と共鳴している。」
続いて水属性。
風属性。
土属性。
どの生徒も最初は小さな魔法ではあったが、先ほどとは比べものにならないほど安定していた。
成功するたびに教室から自然と拍手が起こる。
失敗して落ち込んでいた生徒も、友人の成功を素直に喜んでいた。
そんな温かな空気の中、教師は名簿をめくる。
「次。」
「ミリア・テルファメート。」
「はい。」
ミリアは静かに立ち上がった。
胸の鼓動が少しだけ速くなる。
『ミリア、頑張って!』
ライトは両手をぶんぶん振りながら応援する。
『あなたなら大丈夫です。』
シルビィも穏やかに微笑んだ。
ミリアは小さく息を吸う。
(落ち着いて……。)
(ユーリ先生のお教えを思い出して。)
ゆっくりと教壇の前へ歩み出る。
教室中の視線が集まるが、不思議と緊張はなかった。
胸の奥には、幼い頃から積み重ねてきた努力への自信がある。
教師は優しく頷いた。
「では始めなさい。」
ミリアは静かに目を閉じた。
体内の魔力を穏やかに循環させる。
急がない。
焦らない。
まるで小川が流れるように。
その感覚を身体いっぱいに広げていく。
すると、幼い頃の記憶が自然と浮かんだ。
『ミリア様。』
庭で優しく微笑むユーリ。
『焦って外へ押し出してはいけません。』
『魔力は命令するものではありません。』
『手を取り合うように。』
『相手を信じるように。』
『自然へ優しく語りかけるのです。』
(……はい、先生。)
ミリアは心の中でそっと答えた。
体内の光の魔力が、ゆっくりと外の世界へ語りかける。
すると――
ふわり――。
無数の淡い光が現れる。
まるで春の日差しそのものが、小さな命を宿したようだった。
優しく。
温かく。
決して眩しすぎることのない柔らかな輝き。
その光は、ミリアの手のひらの上で一つの球となって静かに浮かび上がった。
誰もが、その美しい光へ息をのんだ。
「……見事だ。」
教師が思わず小さく呟く。
「初めてとは思えないほど自然な共鳴だ。」
「非常に美しい。」
ミリアはゆっくりと目を開く。
手のひらに浮かぶ光球は、春の陽だまりのように優しく輝いていた。
『やったぁー!』
ライトは大喜びで空中をくるくる回る。
『すごいよ、ミリア!』
『とっても綺麗!』
シルビィも静かに微笑む。
『これまで積み重ねてきた努力の結果ですね。』
『周囲の光の魔力も、とても嬉しそうです。』
ミリアは嬉しそうに微笑み、小さく一礼した。
「ありがとうございます。」
教室から自然と拍手が起こる。
「綺麗……。」
「まるで本当に春の光みたい。」
「すごい……。」
エレノアも目を輝かせていた。
(なんて優しい光……。)
(まるでミリア様のお人柄そのものですわ。)
フェイルも感心したように頷く。
「素晴らしいですね。」
「自然が喜んで応えているように見えます。」
その様子を見つめながら、ロナルドは静かに微笑んだ。
(やはり……。)
(あなたは努力を決して裏切らない方ですね、ミリア嬢。)
教師は満足そうに頷くと、再び名簿へ目を落とした。
「次。」
「ロナルド・ユーア・ダーガトーク。」
「はい。」
ロナルドは落ち着いた足取りで前へ出る。
教室には再び静かな緊張が広がった。
闇属性。
珍しい属性であることは、誰もが知っている。
しかし、その魔法を実際に目にした者はほとんどいなかった。
ロナルドは魔法陣の前へ立つと、静かに目を閉じる。
(幼い日の庭園――)
(父王と夜空を見上げながら交わした言葉が脳裏によみがえる。)
(焦る必要はありません。)
(父上がお教えくださった通りに。)
体内の闇の魔力を穏やかに巡らせる。
深く。
静かに。
湖面が波ひとつ立てず夜空を映すように。
その感覚のまま、自然界の闇属性魔力へ優しく語りかけた。
すると――
ふわり――。
教室の光が消えることはない。
暗くもならない。
ただ、ロナルドの手のひらへ夜空を切り取ったような漆黒の球体が静かに姿を現した。
漆黒。
それは恐怖ではなく、夜空が持つ静寂そのものだった。
安心感すら覚える、美しい闇だった。
教室から小さく息を呑む音が聞こえる。
「……美しい。」
教師が静かに呟く。
「これが闇属性。」
「決して恐れるものではない。」
「静寂を宿した、もう一つの自然の姿だ。」
ロナルドは静かに目を開き、一礼した。
「ありがとうございました。」
その表情には驕りはない。
ただ自然へ感謝するような穏やかな笑みが浮かんでいた。
ミリアも思わず見惚れていた。
(綺麗……。)
(闇って、こんなにも優しい色だったのね。)
ライトも目を丸くしていた。
『わぁ……。』
『夜空みたい……。』
シルビィは嬉しそうに微笑む。
『ええ。』
『これこそが、本来の闇なのですよ。』
ロナルドが静かに席へ戻ると、教室には穏やかな空気が流れていた。
闇属性に対して不安な表情を浮かべていた生徒たちも、先ほど目にした魔法を思い返しながら、小さく頷き合っている。
「とても綺麗だった……。」
「闇属性って、怖いものだと思っていた。」
「夜空みたいだったね。」
そんな声が、あちらこちらから聞こえてきた。
教師も満足そうに微笑む。
「今、諸君らが目にした通りだ。」
「属性に善悪は存在しない。」
「火は命を育みもすれば、使い方を誤れば災いにもなる。」
「水は命を潤し、ときには大きな力となる。」
「風は恵みを運び、土は命を支える。」
「光は人を照らし、闇は安らぎと静寂を与える。」
教師は教室全体を見渡した。
「大切なのは、どの属性を持つかではない。」
「その力を、どう扱うかだ。」
生徒たちは真剣な表情で耳を傾ける。
ミリアもロナルドも、その言葉を胸に刻むように静かに頷いた。
教師は続ける。
「今日、諸君らは初めて『属性魔法』を使った。」
「しかし、これで魔法を習得したわけではない。」
教師は教壇の上へ手を置き、穏やかな笑みを浮かべた。
「魔法とは力を誇示するためのものではない。」
「自然と調和し、その力を借り受ける技術だ。」
「自然への敬意を忘れた者は、やがて魔法にも見放される。」
教室は静まり返る。
その言葉には、長年魔法を教えてきた者だけが持つ重みがあった。
「だからこそ、これからも基礎を大切にしなさい。」
「焦らず。」
「驕らず。」
「一歩ずつ積み重ねること。」
「それが、優れた魔導師への近道である。」
教師の言葉が終わると、教室中に大きな返事が響いた。
「「「はい!」」」
その声には、希望と決意が満ちていた。
ミリアは窓の外へ目を向ける。
春の陽射しが校庭を優しく照らし、若葉が風に揺れている。
(今日、初めて属性魔法を使えた。)
(でも、先生のおっしゃる通り……。)
(これは始まりなんだ。)
もっと自然と寄り添えるようになりたい。
そんな想いが胸の奥で静かに膨らんでいく。
隣ではロナルドも穏やかな表情で窓の外を眺めていた。
(自然と調和すること……。)
(父上のお言葉も、今日ようやく本当の意味で理解できた気がします。)
エレノアは教本へ丁寧に今日の内容を書き留める。
(焦らず、一歩ずつ。)
(私も、もっと精進いたしましょう。)
フェイルは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「やはり学院へ来て正解でした。」
「兄上にも、今日のことを早くお話ししたいですね。」
四人は自然と顔を見合わせ、穏やかに微笑み合った。
互いに努力を認め合い、高め合える仲間。
そんな存在になり始めていることを、誰もが少しずつ感じ始めていた。
『みんな、本当に頑張ったね!』
ライトは嬉しそうに教室中を飛び回る。
『ミリアもロナルドも、すっごく綺麗だったよ!』
『ありがとうございます。』
シルビィも優しく微笑む。
『今日という日は、皆さんにとって忘れられない一日になるでしょう。』
『うん!』
『これからもっともっと魔法が上手になるんだね!』
ライトは嬉しそうに笑った。
授業終了の鐘が鳴り響く。
教師は教本を閉じ、生徒たちへ向かって一礼した。
「本日の授業はここまで。」
「次回からは、各属性ごとの基礎魔法をさらに深く学び、実践訓練へ進む。」
「今日感じた感覚を忘れないように。」
そう告げると、教師は静かに教室を後にした。
生徒たちも、それぞれ今日の感想を語り合いながら席を立つ。
不意に、窓から吹き込んだ一陣の春風が、教室のカーテンを大きく揺らした。
ふわり、と優しい風が教室を通り抜ける。
その風に乗るように、校庭の隅に咲く一輪の白い花が、ほんの一瞬だけ墨を落としたように黒く染まった。
それは瞬きほどの時間。
次の瞬間には、何事もなかったかのように白い花へ戻っていた。
『……?』
シルビィだけが、その小さな異変に気付く。
金色の瞳が静かに細められる。
『今のは……。』
視線を向けても、そこには春風に揺れる花々しかない。
ライトは気付かず、楽しそうに笑っている。
『早く次の授業も見たいね!』
『ええ……。』
シルビィは小さく頷きながらも、もう一度だけ校庭へ目を向けた。
(気のせい……でしょうか。)
(ですが、あの一瞬……確かに何かが……。)
胸の奥に、小さな違和感だけが静かに残る。
しかし、それを口にすることはなかった。
まだ確信はない。
今は、誰かを不安にさせる時ではないと判断したからだ。
春風は何事もなかったかのように学院を吹き抜け、若葉を優しく揺らしていく。
それは、これから彼らを待ち受ける運命の、ほんの小さな始まりだった。?




