17話『詮索』
己の出自を語るセツに、ノアの表情が大きく崩れた。
そこに浮かんだ複雑な感情の波が見えたとき、セツは困惑するしかない。
そのセツの戸惑いに気付いた様子で、ノアは少し身を乗り出し、
「……セツさん」
「ん?」
そっと控えめに呼びかけられ、隣を歩くノアに目を向けると、彼女もセツを見ていたのか、視線がぶつかった。
風に煽られたノアの長い髪が、柔らかに靡く。
炎のように揺れる赤紫の色に、セツは思わず目を奪われた。
──やっぱり、きれいだ。
そんな感想が、自然と胸に浮かぶ。
もしかして、自分はこの人に惹かれているのだろうか。
今日初めて会ったばかりの相手なのに。少し話しただけで、何も知らないのに。
この先、もう二度と会うこともないかもしれないのに。
自分でも、何を考えているのかわからなかった。
「あの……もし差し支えなければ、あなたのことを聞かせてもらえませんか?」
「オレの?」
「はい。孤児とおっしゃっていましたが……生まれたときから、その、養護施設に?」
そう言い、ノアは透き通った金色の瞳でじっとセツを見る。
美しい顔をしていて穏やかな表情をしているが、目だけは何か探るようにこちらを見ている。その視線に、セツは少し考える。
「いや……生まれたときからかは、正直わかんねぇけどさ。物心ついたころには、もう施設にいたぜ」
「あなたの、ご両親は……?」
「……さぁな。孤児院の前で倒れてたから、捨てられたんじゃねーの?」
どこか他人事な物言いに、ノアは首を傾げた。その反応を見て、セツは言葉を継ぐ。
「……実はオレ、拾われたとき、記憶がねぇんだ。親が誰だったのかも、どんな顔してたのかも、ぜんぜん。これまで一度も、“両親がいた”って実感すらねぇよ」
「記憶喪失、ですか。……では、“セツ”というお名前も、施設の方がつけられたのですか?」
「え、あ、いや。理由は知らねぇけど、なぜか自分の名前だけは答えられたんだ」
「……なるほど。ご自身のお名前だけ」
「ああ、不思議だろ?」
「……」
戯けたように肩を竦めるセツ。
だが、それにノアはなにやら深刻そうに眉を寄せ考え込んでいるようだから、セツも口を噤む。
「最後に……、あなたとミアちゃんが育った施設の名を、聞いても?」
「え?──グレースハイムだけど?」
セツがそう口にした瞬間、ノアが息を詰めたのがわかった。
どうしたのかとセツがノアの顔を覗きこむと、そこにはさっきまでの美しい微笑みはなく、代わりにまるで何かに耐えるかのように眉を顰めた表情があった。
それが「グレースハイム」という言葉に起因していることは火を見るより明らかだった。
同じだ、とセツは思った。
違う面持ちではあるものの、今のノアの目は街の大人たちと同じで、セツの心を突き刺すような光を放っていた。
グレースハイムのよくない風評で予測はしていたが、こうも露骨な反応をされると居心地が悪い。そんなセツとは裏腹に、
「──あなたは、“魔女”という存在を、信じますか?」
なんの脈絡もない、唐突な問いだった。
それまでの会話の流れとはあまりに違い、セツは思わず足を止めてノアを見やった。
「ハッ!また、“魔女”かよ」
ノアの言葉を、鼻で笑い飛ばしたい感覚がセツの胸に湧き上がる。
「信じられないかもしれませんが、魔女という存在は、御伽話や伝承だけのものではありません。……実在しています」
ノアは気後れした様子ながらも己の意見を口にする。が、それを聞いたセツの反応は苛烈だ。
文字通りに彼は歯を食い縛り、
「なんだよ……アンタも、オレたちのマザーがその魔女だと言いたいのか?」
不服の感情をそのまま声に乗せて、絞り出すように問いを発した。
今のノアの言葉が何を意味するのか解らない程、セツは鈍感ではなかったからだ。
知らず、視線が厳しくなるセツに対して、あくまでもノアは落ち着いた態度で首を横に振る。
「いいえ。断定はしません。とはいえ、可能性もゼロではありません」
「な……、」
愕然と目を見開いてそちらを見れば、ノアはその表情にほんの少し険しさを宿しながら瞳を細めて、
「ですが、あなたも知っているはずです。“グレースハイム”にまつわる、良くない噂が絶えないということを」
「……!」
──否定は、できなかった。
悔しいことに、ノアの指摘は事実だったからだ。
『グレースハイムの孤児は定期的に消える』
『魔女が黒魔術を使って、怪しい儀式が行われている』
『悪魔崇拝主義の貴族と間に人身売買が行われている』
これまで外の世界で、その不愉快な噂を耳にしてきた。
それが真っ向からノアの発言を否定してかかるのを一瞬、躊躇われた。
だが、そんなものは所詮、根も葉もない噂でしかない!
大して伸びてもいない爪が手のひらに痛いくらい突き刺さるほど、セツは力を込めて思った。
「なんなんだよ……ッ」
感情を押し殺そうとして失敗したような、そんな声が響く。
無力さが、空虚さが、世界の理不尽さが、セツの体に重く圧し掛かっていた。
急速に浮かれていた気分が降下していく、またしても現実を突きつけられたような気分だった。見たくもない事象から目を逸らしているだけだということが身に染みて、心が痛い。
──やっぱり、外の世界の奴らと分かり合えなんだ。
セツは自分の心の中にあった期待を打ち消す。
自分と同い存在を見つけたからと言って、多分昔の自分みたいに笑えるわけじゃない。やはり昔とは違う、笑い方も忘れてどうしたらよいのかわからない。
消えてしまいたいと漠然とまだ考えていた。
ぐっと拳を握りしめれば、握力のせいか、ツメが掌に食い込む。
「どいつもこいつも噂を間に受けやがって……っ、本当のことを見ようともしねぇくせに!」
顔を上げ、ノアの発言に意識を尖らせて、その顔を睨みつけてしまう。意識して視線を鋭くしたつもりはないが、そうなることも堪えられない。
「みんな、ありもしねぇ噂だけ信じやがって……もう、たくさんだ!!」
「セツ……」
堪え切れない怒りを舌に乗せるセツを、ミアが儚く瞳を揺らして呼ぶ。
袖を引かれる感触に気付けば、ミアがセツの手を握っているのがわかった。その気遣いを受けて、セツはがっくりと首を落とす。
「……マザーはっ、オレたちを拾ってくれて、育ててくれたんだぞ。あの人は……オレたちを守ろうと、いつだって……!なのに!どうして、みんな彼女を嫌うんだ!」
握った拳を胸の前に押し付けて、セツは必死に叫ぶ。自分の中に生まれた迷いを掻き消すように、迷う自分を叩き潰すように、今にも泣きそうな顔で。
その反応にノアは沈黙し、しばしの時間をおいてからおずおずと切り出す。
「……申し訳ありませんでした」
俯きかけた顔をゆっくりと上げ、ノアは真正面からセツを見つめた。
「先ほどの言葉の数々、あなたの信じてきたものを軽んじるものでした。真実がどうであれ、あなたがその“マザー”という存在に救われてきたのは、本当のことでしょうね。非礼を心からお詫びします」
そう言って、本当にすまなさそうに頭を下げるノア。
その謝罪には真摯さが溢れ出していて、ひどくあっさりと、セツの内側にわだかまっていた嫌な感情が溶けるのがわかった。
「あ……いや、オレの方こそ、悪りぃ。街の奴らならともかく、旅人のアンタに怒ったところで、八つ当たりでしかねぇよな……」
だから、セツは深々とため息を漏らして、ひどくひどく力なさげに、仕方なさそうに、薄く唇をゆるめたのだった。
誠意しか感じられないノアの謝罪に、セツはそれを落とし所として矛を収めることにしたのだ。
今までささくれ立っていた空気がふわりと軽くなる。
それからセツは「行くぞ、ミア」と彼女の手を引いて街の門の方へ足を向けた。
セツとノアの間に流れた奇妙な雰囲気に、ミアはその眉を困惑にひそめて二人を見たが、結局はなにも言葉にできないまま彼らのあとに続くのであった。




