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16話『ノア』

 




 時が止まる、というのはこういうことだろうか。















 









 ──信じられない。


 それが、第一印象だった。


 と同時に、突然訪れた純然たる感動であった。


 歳はセツより少し年上くらいであろうか。


 腰に届くほど長く、艶やかなマゼンダ色の髪。


 ほろりと淡雪が溶けるようなその柔らかな面持ちには儚さと幼さが同居し、どことなくどこか現実から浮いたような神秘性が、危うい魅力すら生み出していた。


 フードの下から現れた素顔はあまりにも美しくて──見る者すべてが、ただ見惚れるしかない白皙の美貌。


 どう見ても、それは、



(……っ女!?)



 まさかの女性という展開に、セツの意識も視線も一瞬にして奪うには十分過ぎた。


 

「自己紹介が遅れましたね。ノアと申します」



 品良く微笑む麗人は、そう名乗った。


 こちらへ歩み寄る楚々とした仕草にすら気品が溢れていて、思わず見蕩れてしまう。

 同じく魅入られたように彼女を見つめていたミアもまた頬を染めて「きれいなお姉さん……」と小さく漏らした感嘆が耳に届く。


 ──しかし、なによりセツを強く惹きつけるのは、ノアの美貌というよりも、



(やっぱりオレと同じ目を、してる……!)



 その特徴的な、琥珀色を飾った二つの金色の双眸だった。

 

 ああ──目を逸らせない。


 ノアが纏う不可思議な空気に、セツの心は知らず囚われていた。どこがどう不可思議なのか、言葉にできるほど明確ではないが。


 そんなセツの視線に応えるかのように、ノアもまた、まっすぐに彼を見つめ返していた。


 互いの視線が交わった刹那。




(……?どこかで?)



 初対面の相手にも関わらずどこか懐かしい感覚に、セツは一人疑問を感じた。


 魂の奥で、静かに何かが共鳴(シンクロ)感覚に、呼吸さえ忘れる。


 恐らく時間にすれば数秒の沈黙だったのだろう。しかし、セツにとってはそれよりも遥かに長い時間に感じられたその時──


 


「……ぁ、そろそろ帰らないと、ママが心配しちゃう」


 

 不意に、ミアの小さな声が場の空気を揺らした。


 はっとして、セツも顔を上げる。


 

「あ……もうそんな時間か」


 

 気付かないうちに時間が過ぎてしまったようだ。見上げれば、街路の上空はすでに茜色に染まり始めていた。


 燃えるような夕日が三人を照らし出し、一日の仕事を終えた太陽は既に地平線に半分落ちていた。



「急いで帰らないとな。門限すぎるとオレがマザーに怒られちまう」

 


 次から次へ色々なことが起こり、重大なことから離れていた頭がようやく戻ってきた。


 そこで、

 


「もしご迷惑でなければ、君たちを街の門まで送りましょう」


「えっ?」



 思いも寄らないノアの申し出に、セツは目を瞬かせた。


 外の世界で、ここまで親身になってくれる人間など、今まで出会ったことがない。


 境遇ゆえに疑い深くならざるを得なかったし、初対面の相手からこんな言葉を向けられれば、普段であれば警戒心が先に立つはずだ。


 ──それでも。


 この時のセツは、なんの根拠もないくせに、ノアという存在をあまりにも自然に受け入れてしまっていたのだ。


 

「この街の人々が、再びあなた方に危害を加えぬ保証はありません。せめて、街の外まで見届けたいのです」



 単なる親切心か、それとも何か裏があるのか。


 だが、ノアの凛とした清廉な佇まいの陰に悪意が潜んでいるとは到底思えなかった。だから、セツは前者だろうと判断した。


 とはいえ。助けてもらった上に送ってもらうなど、彼女の方こそ迷惑なのではないだろうか。

 

 それでも遠慮が勝ち、言葉を選びながら口を開く。



「……いや、でもさ。アンタも用があってこの街に来たんじゃねぇの?オレたちなんかに構ってる暇あんのかよ?」

 


 助けてもらった上に送りまで頼むのは、かえって迷惑なのではないか。


 そんなセツの含みを察したのか、ノアは気にしなくて良いのだと首を横に振り、



「お気遣いありがとうございます。ですが、君たちを放って帰すほうが、よほど心配です。お節介とは承知していますが……どうか途中まで、同行させてください」


 

 そう言って、姿勢のいい彼女のお辞儀は惚れ惚れするほど美しく律されたものであり、向けられる側も自然と背筋を正してしまいそうになる洗練さがある。


 ともあれ、それを受けたセツとミアの二人は互いに顔を見合わせ、



「……あー、そんじゃ、頼むわ」


「ふふ。では、参りましょう」



 提案を承諾してもらえたことに、ノアはホッと胸を撫で下ろすと、セツとミアを連れてゆっくりと歩き出した。







 ◆◆◆








 先ほどの路地から移動して、その路地と繋がっていた大通りから、商店などの喧騒へと変わっている。


 そこで、ミアがグイグイとセツの袖を引っ張り、耳打ちする。


 

「ノアさん。いい人でよかったね」


「あ?」



 緩やかな足取りで隣を歩いているノアの姿をちらっと視線を送る。


 もっと早く歩けるはずなのに、きっと子どものミアのペースに合わせてくれている彼女のさり気ない気遣いなのだろう。



「……ほんとはね、あのままふたりだけで帰るの、ちょっと不安だったの。だってまあここの人たちに絡まれるのがこわいし……」



 隣を歩くセツの顔を見上げながら、ほんの少し決まりの悪い気持ちで本音を白状する。


 先ほどの街の大人たちとの衝突で、よほど怖い思いをしたのだろう。途端にどうしようもない不甲斐ない感情がセツを襲う。



「ミア……すまねぇ、オレがもっと強ければ……」


「ううん!セツは全然悪くないよ。一生懸命ミアを守ろうとしてくれたのは知ってるから。でも、ノアさんが一緒に来てくれるのはやっぱり安心だなって」


「……そうか」



 セツをフォローする言葉を添えつつ、この短時間でノアに心を開くミアを見下ろすセツは、どこかやるせなさそうにをこぼす。




(心強いのは確かだけどよ……、正直、男としては情けねぇっつーか……)



 女性だし、精巧に造られた人形のような美貌も相まって、一見ノアは屈強そうには到底思えない。だというのに、彼女の発する妙な頼もしさは一体何なのだろう。


 齢は自分とそこまで大きく変わらないように見えるノアは、醸し出す雰囲気から察するに、並大抵の人物でないことを窺わせる。

 

 それから、セツは改めて通りに視線を送り、「それにしても」と前置きして、



「……なんか、変な感じだよな」



 街の門までの道のり、遊歩道ではたくさんの人が歩いていた。


 ──誰も、彼らに関心を向けてこない。


 あれほどあからさまな敵意を向けてきた街の大人たちが、今は誰一人として、セツたちに関心を持っていない。


 あれほど悪目立ちしていたセツとミアを商人も通行人もいたって自然と受け入れており、彼らは街の雑踏に馴溶け込んでいた。


 セツが懸念したような、また街の誰かが絡んでくることはなかった。



「もう誰も、わたしたちのこと気にしていないみたい」


「そう、だな……」



 そのことに拍子抜けしたのか、セツの手を握るミアの声には安堵感が強く出ていた。


 まるで世界そのものが塗り替えられたような感覚。


 戸惑いを隠せずにいるセツの隣で、ノアは静かに言った。


 

「ご安心を。誰もあなたたちに手出しはしないでしょう。少なくと──()()()()は」


「はぁ……?」



 妙に断言するようなその物言いに、目を白黒させるセツ。


 どういう意味だ──と問おうとしたとき、ノアはふいに足を止めた。


 そして、



「ところで……君たちのお名前を、まだ聞いていませんでしたね」


 

 そこで、ノアは、ふと立ち止まり、二人を振り返る。


 セツとミアは目を見合わせると、



「えっとね……わたしは、ミア」


「ミアちゃん。ふふ、かわいい名前ですね」


「えへへ、ありがとう!ママがね、つけてくれたの!」



 にこにこ。


 目の前にいるのは無邪気な笑顔を誇るミア。そんな彼女をノアは目を細めて優しく微笑むと、今度はセツへ視線を移す。



「──君は?」



 独特の光彩を放つ琥珀色を帯びた金色の瞳が、硝子玉のようにこちらを映している。



「オレは、セツってんだ」



 そう名乗った瞬間、ノアは何処か驚いたような、信じられない物を見るような何とも言えない表情で見つめていたが、当のセツはそんな彼女の意味ありげな視線には気付いていない。


 だが、それもほんの一瞬のこと、

 


「……そうですか。いい名前ですね」



 ノアは少しばかり表情を固くしたものの、すぐに何でもないように笑みを深めながら口を開いた。



「……お二人は、ご兄妹なのですか?」

 

「違ぇよ。いやまぁ、兄妹みてぇなものだけど、オレとミアは血の繋がりはねぇ。オレたちは孤児なんだ」


「……!」



 早口で言ってのけたセツに、隣の気配が少しだけ変わる。


 乾いた声がノアの口から発された。



「──孤児、ですか」



 その表情は、明らかに曇っていた。

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