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14話『始まりの予感』




 開かれた少年の瞳には、一体何が映るというのか。



 ただ絶望を知る無垢な瞳は、希望を見つめられるのだろうか。


















 誰かが助けてくれるだなんて、とうに期待は捨てていた。


 祈っても、叫んでも、ここでは意味がない。


 それが、この時代で孤児として生きてきたセツの、身に沁みついた現実だった。


 ──それなのに。


 深い失意と諦めの中から、新たな声が響き渡った。




     「そこまでです。」

 


 目の前に、その人物がいた。


 確実に誰もいなかったはずのその場所に、だ。


 そして中性的で、透き通った声だった。


 この荒れ切った最悪の空気の中では、あまりにも異質で、場違いなほどに静かな声だった。


 だが、その一言は、街の大人たちの野卑な罵声も、ざわめく雑踏も、セツ自身の荒い呼吸さえも、すべてをねじ伏せるように響き渡った。


 反射的に声が聞こえた方へ目を向けると、そこには細身のシルエットが佇んでいた。


 深くフードを被った、旅人のような格好。


 顔の半分以上は影に隠れ、年齢も性別も判然としないのに、そこに佇むだけで淀んだ空気が払拭されるような、清廉な気を纏っていた。


 

「事情はよくわかりませんが、子どもに乱暴を働くのは、感心しません」



 再びその者の口から言葉が紡がれ、総身を震えるような戦慄が走った。


 穏やかな声音は鼓膜を心地よく叩き、紡がれる言葉には他者の心を震わせる力がある。


 セツは自分の置かれた状況すら忘れて、ただひたすらその存在感に打ちのめされた。



「ですから──これ以上の狼藉は見過ぎせません」



 進み出てくる、その人物は一歩、雑踏へと踏み入る。


 それだけで、先ほどまでの殺伐としたこの場の空気が、嘘のように緩んだ。


 胸にのしかかっていた重圧が、ふっと軽くなる。


 

「あぁん?なんだてめえ。関係ねぇだろうが!」



 唐突に現れた乱入者に腹を立てたのか、中年男は荒々しくセツを掴んでいた手を離し、乱入者へと向かう。


 そのまま崩れるようにして地面へ座り込んだセツだったが、それでも、瞳だけはフードの人物の姿を捉えたままだった。


 どうしてか、その者から視線を逸らす事が出来なかった。



「このガキどもが、俺にぶつかってきたんだよ!大人しく見てろってんだ!」



 怒鳴りながら、中年男が相手に掴みかかろうとするも、



「どうか落ち着いてください」



 男が伸ばした腕は、届かなかった。


 ──優しく制するように、重なるように、華奢な手が、狼藉を働こうとするその右手に添えられたからだ。



「力は、誰かを傷つけるために使うものではありません。あなたの怒りが正当なものであったとしても、暴力は、それを証明する術にはならないのです」



 そして、最後に、



「──ここは一つ、()()()願いませんか?」




 それは、脅しでも命令でもなく──ただの、お願い。


 あまりにも場違いで、穏便に振る舞うその申し出に、セツはとんでもない要求だと内心で首を振る。


 大人たちがそんな簡単にセツたちを解放してくれるになら、そもそもここまで事が荒立てることもないのだ。


 そんな言葉ひとつで、この場が収まるはずもない。


 そう思った──その瞬間だった。



(なんだ……?)



 セツが違和感を覚えるより早く、すでに“異常”は起きていた。


 中年男が、何かに打たれたようにビクリと身を震わせる。



「────」



 やがてはその場で目を伏せ、静止した。


 ──そして、次の瞬間。


 状況は一変する。




「……ああ、わかった。ここいらで勘弁してやるよ」



 あまりにすんなりと相手の要求を受け入れる殊勝な答え。


 嫌悪や邪険といった負の要素を全て排した中年男の妙に穏やかな態度に、セツは衝撃を隠せずに大きく目を見開く。


 そして、



「おい、ガキ。ソイツに感謝するんだな。次からは気をつけろよ」



 淡々と、それだけ言い残すと、中年男はそのまま姿を翻した。


 さらに奇妙なことに、それに続くように、周囲の大人たちも一人、また一人と、無言で立ち去っていった。


 ついさっきまで、悪意と侮蔑を浴びせていた者たちが、何事もなかったかのように背を向けていく。


 まるで、何か大きな権能に突き動かされるように。



「どういう、ことだよ……」



 セツが無意識の内に言葉を漏らす。ミアは口元に手を当て、ただ驚くことしかできなかった。


 トラブルは、実に穏便な形で解決した。


 だが、そのことに安堵するよりも、街の大人たちのらしくもない引き際と、唐突感を否めない不自然な展開に、セツは地面に座り込んだまま、一連の光景をただ呆然と見つめていた。


 それきり彼らの姿が見えなくなると、その場に残されたのは、セツとミア。


 そして、謎のフードの人物──たった三人だけだった。


 先ほどまでの怒声や罵声が幻だったのではないかと思えるほどに、路地の空気が澄んでいた。



(一体、何が起こっているんだ……?)




 言い知れない困惑と無理解だけが──セツの中に蔓延していた。

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