13話『衝突』
「ママは、そんな人じゃない!」
震えたミアの声が、張り詰めた空気を切り裂いた。
小さな身体を精一杯前に出し、ミアは侮蔑と嘲弄まじりの視線たちを真正面から睨みつける。
握り締めた拳は白くなり、肩は小刻みに震えていたが、その目に宿る純然たる怒り。
「ママはね、怪我したら手当てしてくれるし、夜に泣いてたら、ずっとそばにいてくれるし……!本当のパパママに捨てられて、誰も行き場がなかった私たちを拾ってくれたのもママなの!ママがいなかったら、私たち……」
声が一瞬詰まる。それでも、ミアは唇を噛みしめ、続けた。
「それに、セツだってバケモンなんかじゃない!グレースハイムのみんなもいい子だもん! 何も知らないのに悪く言わないでっ!」
その悲鳴のような幼い叫びは、もはや懇願だった。
まさか一見気弱そうな少女に反論されるとは思わなかったのか、中年の男は一瞬目を瞬き、鼻白むのをセツは見取った。
──だが、それは一瞬に過ぎなかった。
それから男は瞳を細めると、「へーぇ」と唇の端を吊り上げていやらしく笑った。
「威勢がいいな。嬢ちゃん。バケモン同士で傷の舐め合いか?あーあ、見てて胸糞悪りぃぜ」
そう吐き捨てて、細められた中年男の瞳に過る昏い闇に、セツの背筋をゾッと寒気が走った。
「ま、所詮ガキの生意気な戯言よ」
男の「悪意」が「害意」に切り替えたのだと、本能が察する。
だから、男が一歩踏み込んだ瞬間、セツは咄嗟に前に出た。庇うようにミアの身体に手をかけて、彼女を背に隠した。
「……おい!オッサン!これ以上寄るな!」
焦燥感を押し隠し、喉の奥から声を絞り出すように、精一杯気丈に振る舞う。
だが、そんなセツのの拒絶など聞く耳を持たず、嫌悪の表情さえも目に入っていない中年の男は、その様子さえも面白がるように鼻で笑う。
「アン?……今度はヒーロー気取りってやつか?ハッ!自分たちの立場分かってんのかよ!」
一歩、また一歩と距離を詰めながら、男は続ける。
「そんな態度取れるのも今のうちだぜ?今からテメェら、不届きモノを衛兵に突き出してやるよ!」
男は「なあ?」と、周囲に意味深に賛同を求めた。背後の群衆はその求めに応じて、嘲りと失笑をうまく交えて哂う。
「おお!そうだ!それが良い!」
「こいつらがいると町の評判が落ちるぜ。早く追い出してしまえ」
「グレースハイムの孤児は皆ここ街から追放しろ!」
「汚らしい。二度と近寄らないで欲しいわね」
一斉に湧き上がる群衆は口々に叫ぶ声が重なり合い、悪意の合唱となってセツたちに襲いかかる。
それは、まるで悪夢のような光景だった。
まるで逃がさないように周囲を固められ、セツたちを中心に人が円を作り出し、野次馬たちの口々から飛び出すのは罵詈雑言ばかり。
「だ、誰か……!」
ミアが助けを求めて声を張り上げるが、その声は路地に虚しく消えていくだけだった。
誰一人として仲裁に入る者はいない。
むしろこの状況を面白がるかのようにニヤニヤと笑みを浮かべている者さえいる。
「おうおう、随分と嫌われたものだな」
勝ち誇ったような男の声が、煽り立てる。
「助けなんて来るわけねーだろ?身の程を知れよ。お前らは、この街じゃ厄介者でしかねーんだ。魔女の子らめ」
──これは、本気でマズイことになった。
セツの額に冷や汗が滲んだ。
街の衛兵に捕まったら面倒どころでは済まない。
こんな事になるなら余計な事に思考を奪われないでまっすぐ帰ればよかったと、今更悔やんでも後の祭りである。
そんなセツを他所に、これまで傍観していた街の男たちが次々と周囲に集まってくる。
一触即発。まさにそんな状況だ。
なんとしてもここから逃げなければならない。
「走れ。ミア!」
ミアの手を掴んで、隙を突いて走って逃げようとしたが、そう上手くはいかなかった。
足を踏み出した瞬間、その様子を目敏く見ていたらしい別の男に、ミアの腕が掴まれてしまう。
「おっと、逃げようとしてんじゃねえぜ?」
「きゃあっ!」
掴まれた腕を強く引かれ、ミアの足が縺れて転倒しかける。
「やだ! 離して!」
「ミアに触んな!」
襲いかかる凶行に立ち向かい、怒鳴り、最大限の力で男の手を振り解こうとしたが、どんなに抗おうと所詮は子どもの力。複数の男達には到底敵いはしない。
次々と伸びる大人の手。
最初とは比べ物にならないくらい強い力で腕を捕らえられていて、ますます振り解く事は出来なかった。
恐怖と焦燥は募る一方だ。だから、セツは
「離せよ!ガキ相手に、大人数人がかりで力でねじ伏せようなんて、卑怯だぞっ!」
しかし、男達はセツたちを解放する素振りは全く見せない。
むしろセツの強気な態度は、男達を余計に煽るだけの物だったらしい。
最初に絡んできた中年とは別の男が無造作にセツの前髪に手を掛け、目線の高さを合わせるようにして顔を覗き込んでくる。
そしてゆっくりと、言い聞かせるように口を開いた。
「あーん?この街に紛れ込んだ余所者を排除するのに当然な対処だろうよ!正当防衛ってやつだ!」
セツの髪を掴んだままの男は、下卑た笑みを浮かべた顔を近づけて答えた。
「なーに。飼ってるガキの一人や二人が消えたくらいじゃ、あの教会の連中もさほど気にしないだろうよ」
逆光で真っ黒に塗り潰された男達の顔と、軋む身体と、注がれる嗜虐の目。
(こんなのってアリかよ……ッ)
セツはこれから自分たちに訪れる結末と、泣きたくなるくらいの悔しさにきつく唇を噛んだ。
どうしてこんな事をされるのか、心の底から理解出来なかった。
彼等に危害を加えた訳でも何でもなく、お使いを頼まれてこの街を訪れただけなのに。
確かに、中年男のぶつかってしまったことは注意力を散漫していたセツに非があったかもしれない。
だからといって、この街の奴らに好き勝手にされなければならない理由なんか何処にもないはずだ。
このままこの見知らぬ街の大人達に乱暴され、踏み躙られてしまうのだろうか。何て理不尽なんだろう。
しかし、いくらセツが理不尽だと思ったとしても、大人達にしてみれば憂さ晴らし半分、自分達にとっての異分子排除が優先なのだ。
グレースハイムの気味の悪い孤児がどんなに傷付いたとしてもそんな事はお構いなしで、この街に近寄ったのが悪い、程度にしか思わないのだろう。そうでなければこんな暴挙を笑いながら出来る筈がない。
(チクショー……)
藁にも縋る気持ちで再び周囲を見渡したが、やはり助けてくれそうな気配なんてどこにもなかった。
もう、逃げられない。
襲い来る諦めに、抵抗し続けていたセツの身体から力が一瞬抜け落ちるも、視界の端で、ミアの怯えきった泣き顔が見えると、
(だめだ!今ここでミアを守れるのは、オレしかいねぇ……!)
またじたばたともがき始めた。
極められた大人の腕を解こうと抗う──この後に及んで無意味な抵抗を試みるセツの往生際の悪さに、中年男は舌打ちする。
「ケッ、孤児ごときが大人に盾突いていいと思ってんのか!」
そう言って、セツの胸倉を掴み、持ち上げる。
それでも、セツはせめてもの反抗として、ギロリと、猛り狂った瞳で相手に睨みを利かせることをやめなかった。
そんなセツの態度に腹を立てたらしい。今まで作り笑いを浮かべていた中年男の顔が、明らかな険を滲ませたものへと豹変した。
「なんだその目は!!まず、生意気なクソガキには躾が必要だな」
激昂した中年の男は、顔を怒りで染めて、剥き出すセツの敵意をねじ伏せようと、拳を振り上げた。
その光景にセツが観念して、反射的に目を閉じようとした時、
「そこまでです」
──声が、した。
再び交差する運命を告げる──始まりの声が。




