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1話『悪夢の名残り』★




 誰かが自分を呼んでいる気がした。



「……ツ、ねぇ!」




 誰かが自分を揺さぶる感覚がした。




「ねぇってば!いい加減に起きて!セツっ!」




 はっ──!



 少年は目を見開いた。




 暗闇は消え去り、目の前には──、










 












「もう〜!やっと起きてくれた!」


挿絵(By みてみん)


 夕日の微かな木漏れ日が揺れている。目の前には、心配そうに覗き込む可憐(かれん)な少女の顔があった。腰まで届くウェーブのかかった長い白銀の髪を靡かせて、理知的な瞳がまっすぐこちらを見つめている。




「ア、ズラ……か?」


「わたし以外に誰だと言うのよ?」




 訝しがるアズラに対し、少年はぼんやりとした意識のまま、あたりを見回す。




「ねぇ、大丈夫?セツったらずっと魘されてたのよ。悪い夢でも見たの?」





 夢……?


 いや、そんなはずは──。


 荒い息をつきながら、『セツ』と呼ばれた少年は自分の手を見つめた。


 そこには、まだ闇の冷たさが残っていた。




「まったく!最近のセツったらだらしないわよ!とにかく居眠りが多すぎるもの!」


「居眠り……?」




 ぷりぷりとアズラの怒った声が頭上から降ってきた。依然とぼんやりなセツの様子を見て、彼女は腰に手を当てながら続ける。




「勘弁してよね!今日だってセツがサボっている間、わたしがその分の働きをしないといけなかったんだからっ!」





 ああ──そうだった。(まき)集めの最中に、つい木の下でうっかり居眠りをしてしまったんだった。


 そして、セツは悪夢を見ていた。ほんの短い夢だ。謎の殺戮者が、セツを追いかけて来る嫌な夢。ここ毎日ずっと同じような夢をぐるぐる繰り返し見ていた。



「……はぁ」



 どうやら今日もまたその夢を見てしまっているようだ。






「ちょっと、何よ。ため息なんかついて。わたしの話ちゃんと聞いてるの?」





 胡乱(うろん)げなアズラの声に、セツはハッとして顔を上げた。





「あぁ……すまない。そんなつもりじゃなかったんだけど……」


「どうせ今日もまた『ちょっと休むだけ』とか言って、すぐ寝ちゃったんでしょ?」


「……否定はしないな」




 図星だったので、セツは適当に肩をすくめると、アズラは不満げに唇を尖らせた。



「セツってばしっかりしてよね〜!将来お父さんの跡継ぎになるお方がそんなだと先が思いやられるわ」







 アダム──セツとアズラの父であり、神によって創造された最初の人間。いわゆる【人類の始祖】なる存在だ。


 アダムが生を受けた瞬間、彼の眼は世界の誕生を見届け、足は大地に初めての一歩を刻んだ。まるで、すべての始まりを自らの証として示すかのように。

 人類の原点として、この世界に降り立った男は、やがて神が次に創造された女、エバを伴侶として迎え入れる。二人は運命の交わりを果たし、その間に生まれたのがセツ──人類の正統な後継者、すなわち【継祖】として選ばれた存在であった。




「別に、オレ自身が望んで父さんの後継者になった訳じゃないさ。生まれた時からそう決まっただけで」


「そんなこと言わないの!お父さんもお母さんもみーんなセツのこと期待してるんだから!わたしたち人類の希望だって!」


「はは……、荷が重いな」




 そう呟くセツの頭に流れる言葉は、はっきりとした、父の願いであったから。




『我が子よ。お前は人類の新たな始まりを導く者となれ』





 物心ついたときから、アダムはセツに強く()き聞かせてきた。力強く、しかしどこか悲哀を湛えたその響きは、セツの心に深く刻まれていた。


 聡いセツは幼いながらも、自分に寄せられる期待の大きさをはっきり理解していた。アダムの継承者──それは血筋のみではない。意志を、記憶や歴史を継ぎ、いつかは神と人間の架け橋を(こころざ)して、『人類の未来を繋ぐ者』として生きていかねばならないことを。

 正直な話、セツにとってそれは途方もないほど重い使命だった。しかし、逃げ出すことは到底許されなかった。運命が告げている。セツが歩まねば、人類の物語はそこで途絶えるのだと。


 ──そう、全ては己が生まれながらにして神が定めた崇高なる宿命なのだ。


 日々そんな風に自分に言い聞かせて、セツは己の宿命に身を委ね、ただ流れに逆らわずに生きることを努めた。


 だが、それでも、


 時折、この身にのしかかる期待という名の重圧が耐えがたい苦悶となって襲うのも事実だった。




「ちょっと、セツ!またボーっとしてるわよ!」




 物思いに(ふけ)ていれば、アズラがセツの(ほほ)を軽くつねりながら呼びかける。だがその呼びかけも今の彼には届かないようだった。



「……また、考えごとなの?」



 不意に、アズラが心配そうな声に切り替わると、ようやくセツは我に返る。彼女は少し寂しそうな目で彼を見つめていた。



「……ねぇ、セツ」




 アズラが不安げな顔で覗き込んでいた。「なんだ?」と返すと彼女は少し躊躇う様子を見せたが、すぐに口を開いた。





「最近……何か悩んでるの?……なんだか元気がないみたい……」


「……」


「私じゃ、その、力になれないことなの……?」


「はは、大げさだな。ちょっと居眠りしただけで、そこまで心配する必要ないだろう」


「本当にちょっとした居眠りならなんの問題もないわよ。だけどね!こうも毎日頻度が多すぎるともはや異常よ。何か悩み事で眠れていないんじゃないの……?」


「いや、夜は普通に眠れているさ。ただ……」




 ただ、ここ最近毎日同じような悪夢ばかりに苛まれ、生きた心地すらしないなんて、そんなことを言えるはずもなく、セツは曖昧(あいまい)に笑った。


 アズラはじっと彼を見つめていたが、やがて諦めたかのように大きく息をついて立ち上がる。




「まぁいいわ。とりあえず薪もこれだけ集めれば事足りるし」


「ああ。ならばオレが持とう。女の子のお前ではさすがに重いだろう」





 そう言って、地面に置かれた薪の束をアズラは指差す。セツも立ち上がり、落ち葉のついた服を軽く払ったあと、薪の束を軽く持ち上げた。




「ええ。是非ともそうしてくれると助かるわ。人類の継祖様はなんて頼もしいのかしら!」


「まだ根に持ってるのか……」




 サボった分だけしっかり働いてよね、と言わんばかりの、皮肉まじりなアズラの声色にセツは苦笑いを隠さない。そして、薪の束を肩に担ぎながら、アズラの横に並んだ。




「……それにしても、もうこんな時間か」




 セツがちらりと空を見上げる。空は群青に溶けかけ、星々が淡く瞬き始め、夕焼けの名残が薄く森を照らしていた。



「さっきまで夕焼けが綺麗だったのにね。すぐに夜になっちゃうもの。ねぇ、早く帰りましょ。夜の森って不気味だもの」



 そう促すアズラの波打つ髪が、微かな風に揺れた。森の奥からは、夜を告げる虫の声が響いている。




「アズラは案外怖がりだからな」


「はいはい。口じゃなく足を動かしてよね〜」




 軽口を叩きながらアズラは微笑み、先に歩き出した。セツもそれに続く。穏やかな時間が二人を包み込む。



 ──次にアズラの突拍子(とっぴょうし)もない発言を聞くまでは。





「それに、あまり長い時間セツを独り占めしちゃうと、“◼️◼️◼️”にも悪いし」


「──?何だって?」





 不意に襲われるのは──違和感。


 おかしい。確かにアズラは言葉を発しているのに、その単語だけが頭に入ってこない。まるで”認識”そのものが不可能のようだ。




「うん?だから、◼️◼️◼️のことよ?」


「……すまない。聞こえないのだが」




 やはり、おかしい。律儀にもう一度繰り返してくれたアズラなのだが、何故か肝心な部分だけが全然聞き取れないのだ。


 音がねじ曲げられるように、まるで誰かが作為的に妨害しているかのように、そこだけにノイズが走る。


 セツは眉間に皺を寄せ、首を傾げた。





「……アズラ、それって誰のことだ?」


「はぁ? 何言ってるの? セツ大丈夫? 夢のせいでまだ寝ぼけてるんじゃない?」




 そんな彼の態度にアズラは怪訝な顔をして、セツの表情から感情を探し出そうとでもするように目を細めた。だが、セツの方にはそんな目で見られるような心当たりがない。


 ただ──


 “聞こえない”はずの言葉が、自分の中にある『何か』に抵触(ていしょく)するような、奇妙な感覚だけが残った。




「あ!わかったわ。さては、照れ隠しでしょう!」


「なんで、そうなるのだ……」


「セツってば、普段は何を考えているのか分からないけど、◼️◼️◼️のことになると、わかりやすいもんね。にしたって、露骨すぎるけど」


「──っ、だからっ!さっきから誰のことを言ってるんだッ!?」


「…………」





 茶化すような言葉。そして、いよいよ噛み合わない会話に痺れを切らすセツだが、勢いの増すセツと対照的にアズラの態度は静寂に近づき始めている。


 追及する姿勢でいるセツに、アズラは自分の唇に指を当て、その指先を舌で舐める。子どもらしい見た目に合わない、どこか艶めいた仕草。


 普段とは似つかわしくないそれにセツが眉を顰めると、アズラの唇は妖しく歪み、






「──誰のことだと思う?」





 あまりにも想定外な問い返し。


 挑発的な微笑。わずかに湿った唇。まるで全てを見透かすかのような瞳。


 普段の彼女とはあまりに違う雰囲気に、セツの背筋が無意識に強張る。




「────」




 口の中が急速に乾いていくのを、感じていた。




「…………」


「…………」





 沈黙。


 意味の読めない沈黙が、二人の間に張り詰める。


 まるで、セツが何か答えを出すことを待っているような──そんな沈黙。


 だが、その緊張を最初に破ったのはアズラの方だった。





「──なんてね」


「……は?」




 セツは思わず呆けた声を漏らす。




「ぷっ、あはは!もう、ほんとセツってば、冗談が通じないんだから!」




 アズラはケラケラと笑いながら、再び歩き出した。




「ちょっとからかっただけなのに、そんな真剣な顔しちゃって……やっぱり照れてるんじゃない?」


「……からかった、だと?」




 セツは眉間に皺を寄せながら、アズラの背を睨んだ。


 さっきの雰囲気は、とても冗談で済ませられるものではなかったはずだ。




「だって、セツがあまりにもおかしなことを言い出すものから、わたしまで悪ノリしちゃったじゃない」


「……悪ノリって、なんだそれ」




 後ろ手に手を組んで、アズラが悪戯げな笑顔を浮かべてそう言い切る。その堂々と悪びれもしない態度を見て、さすがのセツも虚を突かれた。




「でも、少し()()()()しすぎちゃったのかも!嫌な気持ちにさせたのなら謝るわ。ごめんね?」




 けれど、本人が素直に謝罪した以上、それ以上追及するのも妙に躊躇われた。セツはじっとアズラを見つめたまま、静かに息を吐いた。




「……別に、謝るほどではない」




 そう答えながらも、胸の奥には釈然としない感覚が残っていた。アズラは冗談だと主張するが、一体、




 ──()()()()が『冗談』だったのだ?



 先ほどの言葉、あの表情、そしてあの不自然な沈黙──。


 何かが、引っかかる。それがある限り、セツの不信感は完全に払拭(ふっしょく)されない。




「なら、よかった!」




 けれど、アズラは何事もなかったように微笑み、楽しげに歩き続けている。

 セツは目を瞬かせたが、この話題をこれ以上続けるつもりはアズラにはないらしい。彼女は「でもさ」と話の内容転換をにおわせながら、




「今日のセツが十分におかしいのは事実でしょ」


「……そんなに、おかしく見えるか?」


「うん、すごく」




 即答だった。


 セツはわずかに顔をしかめ、アズラの横顔をじっと見る。相変わらず彼女は悪びれる様子もなく、森の中の一本道をひょいひょいと歩いていく。




「ボーとしてるっていうか、なんていうの……心ここにあらずみたいなことが多いのよね。疲れているんじゃないの?」


「そうか……?」


「きっと、そうなのよ!」




 軽やかに言い放ち、後ろ手に組んだまま、踊るように一歩跳ねる。


 その無邪気な仕草を見ていると、さっきまでの違和感がすべて、自分の気のせいだったのではないかという気すらしてくる。




「自分に無頓着(むとんちゃく)なのはいいけど、あまり心配掛けさせないでよね!」




 気を取り直そうと、アズラは軽口を交える感覚で雰囲気を調整する。そんな彼女の意図を察したのか、セツもようやく厳しく強張っていた頬をいくらか緩めて、アズラの言葉に「気をつけるさ」とほんの少しだけ相好を崩す。




「ほんとにー?」


「ああ」


「無理しないでちゃんと休むんだよ?」


「善処はするさ」


「怪しいな〜ほら!早くしないと、置いていっちゃうからね!」


「本当にマイペースなやつだ」




 速度を上げ、もはやお構いなしに先を歩くアズラの背中を見つめながら、セツは薪を抱え直し、静かに後を追った。



(疲れている、か)



 ──確かに、そうなのかもしれない。


 薪集めの最中に寝てしまったこともそうだし、何より、さっきまでの妙な感覚がずっと尾を引いている。



 聞き取れなかった誰かの名前。


 誰かが作為的に隠しているような、あの奇妙な現象。そして、アズラの豹変。だが、アズラの言うとおり、それがすべて自分の疲れのせいなのだとしたら……?


 セツはそっと息を吐いた。



 ──もう、気にするな。



 そんな言葉を、自分に言い聞かせる。




「……ねえ、セツ」




 ふいに、こちらへ振り向くアズラの声がした。




「ん?」


「帰ったら、また()()()でご飯食べよ?」


「……ああ、そうだな」




 いつもと同じ日常。

 いつもと変わらないやり取り。

 いつもの延長線。




 ──そのはずなのに、けれど、セツの胸の奥に(くすぶ)る違和感は、やはり消えなかった。



 その正体は分からず、セツは漠然とした不安を抱えながら、アズラの背中を追った。


   





 

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