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きゅう。奥さまのようすが変だ!!!!(家令視点)

 


 ポールは頭を抱えたい衝動を必死になって抑えた。

 これはいったい、どうしたことだろうか。

 奥さまが、カレイジャス公爵夫人クリスティアナさまが、ご乱心なされたのか?!?!


 今、彼の目の前にいるカレイジャス公爵夫人はいつもとお変わりなく見えた。

 いつもと同じように執務室の机の前に座り、便せんを取り出したかと思うとさらさらときれいな筆跡で文字を書いている。


 だがその佇まい。

 彼女から発せられる雰囲気。

 それらすべてが、なにか、どこか違うような気がしてならないのだ。


 いつもと変わらぬ美貌で微笑んでいるのに。

 そのうつくしさや姿形に変化など見受けられないのに!




 思えば突然王都に帰還されたことからして、尋常ではなかった。

 あの慈愛溢れる夫人が、子どもたちを領地に残したままだなんて!

 そして別人かと見紛うような乱暴な所作(あんなにブーツの踵の音を派手に響かせるなど!)に、信じられないような行動(公爵を睨む、怒鳴りつける、あげく無視する)の数々。

 ポールを始めとする使用人一同、唖然とする以外なすすべがなかった。


 奥さまは入浴途中で寝入ってしまったという報告を夫人付きのメイドたちから聞き、彼女はお疲れのようだからご本人からの呼び出しがあるまでお起こししないよう厳命した。


 そうだ。騎馬で突然帰還されたのだから、お疲れも溜まったことだろう。

 お疲れがとれたら、またいつもの夫人に戻っていることだろう。ぜひ、そうであってほしい。

 疲労回復には、睡眠が一番である。邪魔をしてはいけない。


 どうして騎馬で帰還などというそんな奇行に走ったのか。

 疑問を抱かずにはいられなかったが、それを追求することは一介の家令には不敬である。この場に公爵夫人の右腕といってもいい存在、彼女の腹心の侍女ジャスミンが居合わせたのなら、質問攻めをしてしまいそうであったが。




 深夜帰宅した公爵(ジュリアン)から、夫人のようすはどうかと質問を受けた。

 だが、すでにお休みになられましたと答える以外なかった。それがすべてだからだ。

 ジュリアンはなにか言いたげな顔でポールを見つめたが、それ以上はなにも言わないままであった。

 多忙な彼は、少ない睡眠をとるとすぐに早朝王宮へ出仕した。


 公爵夫人の突然の奇行理由をポールも考えてみた。

 不機嫌なごようすで帰ってきたのだから、領地でなにか嫌なことがあったのだろうか、とか。

 公爵閣下をとても冷たい目で見下ろしていたので、彼に対してなにか不平不満があったのではないか、とか。


 思い当たる(ふし)があるといえば、ある。公爵夫人が領地で静養することになったきっかけである夫人の落馬事件とその後の顛末だ。


 皆が夫人の心配をし、彼女の一日も早い快復を願った。

 公務や婦人会の集まりにも欠席するはめになった彼女へ、お見舞い訪問をしたいという書状が殺到したが、夫人はそれらを丁寧にお断りした。

 その代わりとばかりに、各所からお見舞いと称した花束が贈られた。私室はもとより彼女の執務室にもそれら花々が飾られ、置き場所に困るほどであった。


 だれもが夫人に気遣っていたある日、カレイジャス公爵ジュリアンが帰還した。彼は外交で隣国を巡っていたのだ。

 夫人が怪我をしたことは知らせていたが、杖を使う妻を見るのが初めてだったジュリアンは、帰還し玄関先で彼を出迎えていた妻に対し、いきなり怒声を浴びせた。

 長い付き合いであるポールには、ジュリアンの心情が理解できた。

 だが、いきなり怒鳴りつけられた夫人はショックだったのだろう。彼女は真っ青な顔で立ち竦んでいた。

 自室に引き上げたジュリアンを追いかけたポールは、部屋にふたりきりになったのを確認したあとで、自分の主を説教した。

 なぜならジュリアンは、今の状況の説明を受けないと()()()()()()()()だろうから。幼馴染みでもある自分(ポール)にしかできない諫めであった。


「開口一番に怒鳴りつけることはないだろう?」


「いや、だって……安静にしているかと思っていたから、つい……。そもそも私の出迎えなど不要ではないか」


 つい、か。

 そうだろうとは思っていたがと、ポールは内心頭を抱えた。


「あの折り目正しく心やさしい奥さまが、自分の夫の帰還に出迎えないわけないだろう⁈」


「クリスティアナは、もっと自分本位になってもいいんだ。彼女の身の安全が第一なのだから」


 彼に妻を労わる気持ちがあるのは確かだが、それを表現できない不器用さにどうしたものかとため息をつく。


「なら、そう伝えればいいのに、おまえはそうしなかった! 心配もせず容態も聞かず、いきなり怒鳴りつけられた奥さまの身にもなってみろ!」


 そう言うと、ポールの主人は顔色を悪くした。やっとクリスティアナの心情を察したらしい。


「あぁ、そうか……。帰国早々怒鳴りつける夫など、そばにいるのもイヤになるかもしれない……」


 しばらく意気消沈していたジュリアンは、熟考の末、ポールに告げた。クリスティアナはしばらくジュリアンから離れて生活した方が、心身ともに休めるだろう。おまえから領地で生活するよう提案してくれ。自分では、彼女を怒らせてしまうことしか言えないから、と。


 ジュリアンは外交成果を報告しなければならないからと、すぐに王宮へ向かった。彼はその日、王宮に泊まり邸宅へは戻らなかった。


 ポールは翌日、夫人に領地での静養を提案した。

 クリスティアナ夫人は寂しげに微笑んでいたが、とくになんのお咎めもなく、不平不満も溢さなかった。そしていつもの陽だまりのような笑顔のまま、領地へ行くことを了承した。


 そんな彼女の態度に、ポールはなんて理性的な方なのだと感心していた。

 さすが、貴族夫人の鑑と称賛されるだけのことはある。と。

 自分本位の女性ならば、ジュリアンのあの態度に怒り悲しみ文句のひとつやふたつ溢すはずだ。使用人である自分(ポール)に当たり散らしたとしても、致し方ないと思っていた。


 じつに、貴族のなかの貴族。

 鷹揚でありながら品があり、下々の者に対して寛容の精神すら持ち合わせる得難い女性。


 だと思っていたのだが。


 領地へ行って一ヶ月あまり。

 気が変わったのかもしれない。文句のひとつやふたつ、告げるために戻ってきたのかも。





 ポールの懸念をよそに、クリスティアナ夫人は昼間近まで寝室から出てこなかった。

 奥さまのお食事はいかがいたしましょうと心配するメイドたちに、食事よりもまずは夫人の休息時間が大切だと説いた。夫人のほうから声をかけられるまで待ちなさいと。

 ここに夫人の専属侍女ジャスミンがいれば、彼女を介し適切な対応がとれるものをと歯痒く思ったりもした。

 やきもきしつつも日頃の業務を熟していたポールの耳に、公爵夫人が目覚めたあとすぐに執務室で仕事をしているという報がもたらされた。

 ご機嫌伺いも兼ね夫人の執務室に足をいれて、ポールは震撼とした。


 夫人の雰囲気が、なにやら変化したことを感じたのだ。

 姿形は同じだ。一分の隙もない、完璧なまでのうつくしさ。


 けれど、うまくことばにして説明できないのがもどかしいほどの、わずかな変化を感じたのだ。

 あえてことばにするとすれば……覚悟が決まった状態……とでも言えようか。

 凛とした表情で書類をめくる夫人の横顔が、冷たく無機質な機械のようにも見えた。

 けれど、ポールの存在を横目に見た夫人は、いつものうつくしい笑顔を向けてくれた。そのことにホッとしつつ、でもそこはかとなく感じる違和に、落ち着かないような気分を味わいつつ恐る恐る話しかけて判明したこと。



 クリスティアナ夫人!

 もしやあなたは、ジュリアンの不貞を疑っているのですねっっっ!!!

 待て待て待て、待ってくれ!

 確かに!

 確かに昨夜ジュリアン・カレイジャスは高級娼館『花の楽園』へ出向きましたよ!

 ですがっ!

 あそこへ行くのは遊び目的ではありませんっっ!

 あの場を借り、他国の使者と密談するためなのですっ!

 なんなら、先代さまのときから利用していますが、決してっ! えぇ、決して不埒な目的のために赴いているのではありませんっっっ!!!

 仕事しか趣味のないあの朴念仁に、そんな器用なマネはできませんっ!

 あの男が心動かされたのは、あなたしかいませんっっっ!!!


 ――そう、しっかりと申し上げたかった。

 クリスティアナ夫人の有無を言わせぬ迫力ある笑顔の前に、娼館訪問はお仕事だったのですが……という腰の引けた意見をちょっとだけ奏上したにすぎない。ないも同然の弱い意見であった。


 それだけ、なんとも言えない異様な圧を夫人から感じたのだ。




 夫人はとてもうつくしい笑顔のまま、請求書が来たら見せろとポールに命じた。なにか絶対的な確信めいたものを彼女は持っているらしい。

 そのうえ、娼館へ手紙を届けろという。

 その手紙には小切手も入れていた。

 さらに、『一度くらい、わたくしもお顔を拝見したいと思って』などと宣った。


 それはつまり。

 公爵夫人が娼館へ行こうとしている……のであろうか。

 貴族のなかの貴族である、クリスティアナ夫人が?

 娼館へ?

 夫の不貞を疑って?


 なにを、なさる気なのだろうか……。


 自分のした想像に血の気の引く思いで、ポールは立ち竦んでしまったのだ。






※次話は、クリスティアナの一人称に戻ります。

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