し。駄女神さまの仰るとおり!
「え? 今から、王都邸宅へ帰られるのですか? え? ひとりで? 騎馬で? 馬車ではなく?」
ジャスミンがびっくりしていますねぇ。
それもそのはず、ジャスミンには“わたくしの気が済むまでは領地にいる”と宣言していましたもの。
実際、回帰するまえは六ヶ月ほど領地に滞在しました。わたくしの骨折した足が完治するまで……という名目での滞在です。
もともとは乗馬の際、慣れない女座りをして誤って落馬したときにひどく挫いてしまった。それだけのこと。
本当のところは骨折などしていなかったのよね。
実家では男性用の乗馬服で乗馬を覚えたから、女座りは慣れていなかったのが敗因。うかつだったわ。
でも、わたくしはそのときに、ちょっとズルい画策をしてしまったの。
骨折と聞けば。
杖を使っている姿を見せれば。
さすがのあの朴念仁の旦那さまもわたくしの心配をするだろうと踏んだのよ。
いや、普通の人なら心配するでしょう?
大丈夫? のひとことくらい発するものでしょう?
だから骨折したことにして、わざと杖を使って移動するようにしたの。
わたくしの本当の症状を知っているのは公爵家の専属医師くらいだわね。(彼には真実は胸のうちに、と口止めしました。医者には患者の容態など守秘義務がありますものね)
その結果、使用人たちもオロオロとわたくしの心配をしたし、子どもたちもいつもより聞き分けが良くなってわたくしの心配をしてくれたわ。
……ジャスミンだけは、ちょっとだけ疑っているようだったけど。というかバレていたでしょうけど。(彼女にはアイコンタクトで黙らせたわ)
婦人会や公的行事も欠席し、友人知人からもお見舞いのメッセージやお花をいただいて。
なのに、ねぇ。
肝心のあの朴念仁は、心配もしてくれなかったし、お見舞いのお花すら送ってくれなかったわ。
外遊からの帰宅時、杖を使った姿で出迎えたわたくしに対して朴念仁の第一声は
『なぜ、ウロウロ出歩いているんだ⁉ 見苦しい!』
という叱責でした。
とっても苦々しい表情でわたくしを睨みつけた(実に久しぶりに視線が合いましたわ!)かと思うと、そのままわたくしを素通りしてご自分のお部屋へさっさと引き上げてしまわれて。
わたくしのことはそのまま玄関ホールに放置。
あの時はさすがのわたくしも、怒り心頭に発するという状態でしたわ。
まさかねぇ。ケガ人に対して、気遣うことばより先に叱責って。
言うに事欠いて“見苦しい”って。いくらなんでもそれはないでしょう?
久しぶりに視線が合ったと思えば、ひどい形相で睨みつけられて。
心配すらしてくれないのねって、わたくし絶望したのだもの。
そうして翌日の朝、家令を介して領地での静養を提案されましたわ。ご本人は顔も見せてくださらないまま。
家令のポールは穏やかな性質だから、“静養”とことばを選んでくれたけれど、きっと『見苦しい姿を晒すくらいなら領地へ引っ込ませろ』くらいのことは言われたのでしょう。朴念仁の旦那さまご本人はその日、日の出まえに既に出立なさっていましたわね。
ほんとうに仕事オンリー、仕事漬け、仕事が恋人、みたいな状態でしたわ。
そしてわたくしのことなど眼中にない人だということがよくわかるエピソードですわね。
わたくしはショック半分、当てつけ半分で頭にきた勢いのままに、領地へ行き半年は悠々自適に過ごさせていただきました。公爵夫人としての職務をストライキしてね。
あの半年間は常備薬となっていた胃薬が無縁の生活だったわぁ……。
あら。
でも待って。
わたくしを送り出した駄女神さまが、あのとき何かおっしゃっていましたわね。なんだったかしら。
『あの子のあの“見苦しい”発言は――【見ていて苦しい】の省略形なのよ』
……っておっしゃっていた……?
見ていて苦しい……? だれが? まさか、旦那さまご本人が?
杖をつく公爵夫人なんて“みっともない”という意味だったのではなく?
普通は見苦しいって言ったら、不愉快な所作をした人を窘めるときに使うことばではなくて?
……でも、悪気なく人の神経逆なでするようなことをポロっと口にしてしまうのがジュリアン・カレイジャスという人だったわ。駄女神さまがおっしゃることが正しいのなら、あの人はわたくしが杖を使う姿を見て、心が痛くなった……ということ、なのかしら。
でも!
そこから先よ!
ご自分の心が痛くなるのはご自分のせいよ! 自身の感情の制御くらい、ご自分でするべきなのだわ!
痛くなったという感情をわたくしにそのままぶつけるなんて、どうかしている!
もう一歩、わたくしを慮るという行為にまで進めなさいよっ!! どうかしているわよっ! ジュリアン・カレイジャス!!
わたくしはあのとき、我慢してしまった。
ジュリアン・カレイジャスの身勝手なことばの礫をぶつけられ、黙って耐えてしまった。
もう、我慢なんてしないわ。
どんなに怖い顔で睨まれたって関係ないわ。
わたくしがどんな気持ちになったのか、わたくしだってことばの礫を持って応戦してやるわ!
そう思ったわたくしは、騎馬での王都帰還を決めました。
子どもたちを引き連れ馬車を使って大所帯での移動なんて、時間がかかるだけでまだるっこしい。護衛の数もバカになりません。
身ひとつで結構!
単身でなら機動力が違います。わたくしの荷物なんて、同じようなものがあちらの邸宅にもあります。こちらに数多く持ってきてしまいましたが、いざとなったらまた作ればよいだけの話ですし。
わたくしの王都邸宅へ帰るということばを聞いた使用人たちは、最初はただの冗談だと思ったらしいです。
でもさっさと乗馬服に着替え、馬の手配まで命じたわたくしを見て本気なのだと察し、たいそう驚き騒然としていました。
ジャスミンなんて、ポカンとしていましたし。考え直すよう提言もされたし。
けれど構うものですか。
この際だわ。
貞淑で完璧な淑女、良妻賢母の鑑カレイジャス公爵夫人……なんて肩書きは無視します。今まで必死になって作りあげた公爵夫人としての姿ですが、捨てても構いません。というか、そんなものあっても無駄だということがよく分かりましたもの。
どんなにわたくしが良妻でも賢母であっても、ジュリアン・カレイジャスは朴念仁なのです。そんなこと彼になんの影響も与えないのです。あって無きがごとし、ですもの。
◇
子どもたちのことは心配だけれど、老家令やジャスミンに任せました。子どもたちは前回と同じようにあと五ヶ月ほど田舎暮らしを満喫してもらえばいい。
……あら? なにか大切なことを忘れている……?
なんだったかしら。でもジャスミンたちは信用に値するし、任せてもなんの問題もありませんわ。
ちょっとだけ、周囲の人たちへは迷惑をかけるわぁ……と良心が痛んだのも事実です。
ジャスミンなんて、単身移動しようとするわたくしのために騎士三名を選出し、わたくしを護衛するよう手配しました。突然のことなのに、よくまあ対応してくれたものです。
気心の知れた彼女には、言いだしたら聞かないわたくしの頑固さも承知のうえなのでしょう。止めるより、いち早くフォローへ転身する姿勢が彼女の有能さを物語るわね。
わたくしの馬よりちょっとだけ先行した先触れの従者が、慌てふためいてゆく先々の停留所へ伝令を飛ばしてる(公爵夫人が護衛と共に来るから馬を用意しろと伝える必要がありました)のを承知のうえで、わたくしも馬を代えつつ最速で街道をゆきます。
領地から王都への街道はちゃんと整備されているし、護衛の数が最小(随行員三名)でも問題ありませんし。馬を代えつつ騎馬での移動ならば、(乗り手の体力が続くことが前提ですが)一日程度の行程です。また暗いうちに出立したので、王都邸宅へは夕刻に到着するでしょう。
とはいえ、【公爵夫人】の移動に侍女も伴わない、ろくな荷物も持たない単独行動なんて前代未聞だという自覚はありましたし、護衛役の騎士たちへも申し訳ないわぁ……という気持ちがないわけではないですけど。
駄女神さまもおっしゃっていましたものね。
わたくしの気持ちの赴くまま、好きなようにやりたい放題すればいいって。
それはつまり、(駄がつくとはいえ)神さまからの許可はいただいているということです。
やりたい放題、やりましょう!
どうなったって、かまうものですか。
どうせわたくしは十年後に余命宣告を受け、その二年後には死んでしまう未来が確定しているのですもの。




