さん。十二年ぶりの光景
「奥さま。そろそろ頃合いかと」
「頃合い? なんの?」
実直な侍女の提言に首を傾げるわたくし。
実質的には十ニ年ぶりの風景なのです。
領地邸宅の庭にいることは理解しましたが、当然のことながら、今日この日のいま現在、なにが行われているのか理解していません。
本来なら即答すべきところでしょうが、とぼけたフリして尋ねたわたくしに、ジャスミンはちょっと意外そうな表情を見せながらも答えてくれました。
「エリカさまたちが厨房に突撃し、中を引っ掻き回している頃かと愚考いたします」
あぁ! なるほど『今日』はあの日でしたか。
子どもたちに【宝探しゲーム】をさせていましたね。
わたくしのお葬式の日、ジャスミンが王都の邸宅で再現してくれましたが、もともとはここ、領地邸宅でわたくしが画策したものでした。
邸宅内のあちこちへ隠したメッセージカードを探し当てると、次のカードへのヒントがわかるという仕組みの【宝探しゲーム】
わたくしの療養に、一緒に連れてきた子どもたちのために企画したゲームです。
子どもたちを楽しませるという主目的のほかに、裏の目的が三つ。
暇を持て余していた彼らに邸宅内部の構造をしっかり把握させること。(いくら広いからといって迷子にでもなられたら困りますもの)
領地邸宅のすべての使用人たちへ、子どもらの存在を認知させること。(下級使用人にとって、わたくしたちは突然訪れた異邦人ですものね)
そして子どもたち自身へ、上級貴族として意識を持って行動できるかのちょっとした試験を兼ねていました。
「ジャスミンは、あの子たちが厨房に突撃してると推測したのね」
「はい。とても楽しんでミッションカードを探されていましたので、夢中になって我を忘れている頃かと」
そうそう。したわね、こんな会話。
「エリカは聡いとはいえ、まだ九歳の子どもですものね。弟たちや従者を引き連れて夢中になってしまっても、しかたないわね」
そうです。
わたくしの子どもたちは、長女のエリカが九歳。双子の弟たちが七歳。
むしろ今回問題なのは、子どもたちに付けたまだ若い侍女と従者たちのほうです。
子どもらの将来的な従者にするつもりで厳選した彼らは、わたくしの子どもたちより、ちょうど五歳から十歳ほど年上です。
長女のエリカには二歳年上の女子と五歳年上の女子を付けました。
双子たちにもそれぞれ五歳年上の従者を二人ずつ。
そして彼らを統括する侍従長として十歳年上の子を長男ダミアン付けにしています。
つまり、十七歳の侍従長(候補)を筆頭に、エリカには十四歳と十一歳の侍女(見習)を。息子たちには十二歳の従者(見習)をふたりずつ。
もう分別も身につけている彼らは貴族の子弟が厨房に突撃するなんて、上級貴族としてあるまじき破天荒だと理解しているはず。していないと困りますわ。
ちゃんと主を諫めて自重させていれば、褒めてあげるのだけど……一緒になって楽しんでいるのなら、釘を刺さねばなりません。
——なんて、考えていましたね。過去のわたくしは。
【巻き戻したわたくし】にとって結果など既知の出来事です。素知らぬフリもなかなか大変ですわね。
やんちゃな息子たちを御しきれず、厨房へ突撃したあの子たちを諌めなければなりません。
「うふふ。ジャスミンの慧眼を確認するためにも、ゆるゆると行きましょうか」
そう言いながら立ち上がったわたくしは、いま一度辺りの風景をぐるりと見渡しました。
見慣れた、今となっては懐かしさすら覚える庭園のやさしい色彩。
その向こうに広がる田園風景は、生まれ育った実家・伯爵領の景色のように見えて安らぎを覚えたものです。
ほんとうにわたくし、過去に回帰しているのですね……。
「奥さま?」
ジャスミンがわたくしの行動に疑問を持ち呼びかけたのは当然でしょう。「行く」と言いながら立ち上がり、ぼうっと景色を眺めてしまったのだから。
「なんでもなくてよ。いま、行きます」
死ぬ直前の、あの凄絶な痛みを耐えた経験を持つわたくしにとって、内心の動揺を隠すなど造作もないこと。
平静を装い厨房へ向けて歩き始めます。
あら。もしかしたらわたくしの淑女度が上がってしまったかもしれませんね。
こんなわたくしだけれど、いま、わたくしの中にはさまざまな気持ちが同時に湧き上がり、どう収集をつければいいのか、混乱の極みにいますわ。
ほんとうに回帰してしまったことへの混乱をベースに、神は唯一だと思っていた常識の瓦解(神が複数いるなんて!)と、子どもたちを心配する気持ちはもちろん、大好きなジャスミンにもう一度出会えたことへの喜び、懐かしい風景に再び出会えた郷愁、そしてなによりも駄女神へ感じるこの憤り。
心拍数は上がるし、体温も少々上昇しているし、なによりもちょっとイライラしていることを自覚してるし!
(だからこそ、牧歌的な風景へ目を向け心を落ち着かせようとしているのだけど)
◇
厨房前には子どもたちが項垂れて直立不動。
彼らの前にさらに姿勢正しく立ち塞がりお説教をしている老家令のジョルジュ。
いまは亡き先代公爵にお仕えしていたジョルジュには、かねてよりこの【宝探しゲーム】の詳細と意図を説明済みです。そしていざとなった時のお説教役も依頼済み。
厳かに、決して感情的にならず理路整然と、何が悪かったのか淡々と説明する姿がとても好ましいですわね。
なにやら学園の園長先生のような風格ですわ。
あら。前回もそうでしたが、エリカがちらりとわたくしを見ました。老家令から受けるお説教のお味はいかがかしら。
うふふ。一瞬ホッとしたあとの、失望の表情が愛らしいこと。
きっとあの子、わたくしに救ってほしかったのね。
この家で誰よりも強い権限のあるはずの公爵夫人に。
でも一通りのお説教は聞かなくては、ね?
聡いあの子のことだから、このお説教までがわたくしの認可のもと行われていたのだと理解したことでしょう。
厨房の入り口からは、料理長のジェロームがわたくしに会釈しています。その困ったような表情で、思っていたよりも子どもたちに荒らされた事実が手に取るように分かります。
彼にも事前通達はしていました。子どもたちが来るだろう時間帯に、できる限り火は使わないこと、刃物や重い大鍋などは簡単に触れないよう手配をお願いしていました。
とはいえ、子どもの行動力はいつも想定の上をいくもの。前回もそりゃあヒドイありさまだったと報告を受けましたわ。
厨房担当の使用人には迷惑料として、特別手当を支給して……ついでに彼らの使う制服やリネン類を一新させることでお詫びとしましょう。
前回は、わたくしたちが王都へ帰る直前にリネン類を一新させたけれど、同時でも構わないでしょう。
そしてわたくしは……。
老家令のお説教が一段落ついたあたりで子どもたちを引き取り、叱咤激励とともに反省文の提出を義務付けました。
年若い侍女・従者たちへも『公爵夫人』からの忠告をさらりとしました。
主人のあとをついて回るだけの役立たずなら代わりはいくらでもいますものね。いざとなったら主人を護る必要があるのに、先のことを見られない、諌めることもできない無能はいらないわ……と。
その後の彼らへのフォローはジャスミンに任せ、わたくしは王都邸宅へ戻ることにしました。