じゅう。【百合はどちらで観賞できますか】
あれから調べて知ったこと。
高級娼館『花の楽園』のオーナーは女性でした。その方から返信のお手紙をいただきました。
娼館へ行きたい、お会いしたいというわたくしの希望は、とても慇懃で丁重なおことばを使って拒否され、代わりによそで会いましょうとの申し出を受けました。
会いましょう、会いましょう!
あちらから指定された面会場所は、王立植物園。テーマごとにいろいろな地域の花や植物が観賞できるとてもステキな場所です。
なかでも、最近完成した亜熱帯地方の植物が見られることで評判の温室は、物珍しい花々が咲き乱れ南国の色鮮やかな鳥も飛び交い、この世の風景とは思えないほど素晴らしい場所なのだとか。いま王都ではとても人気のおでかけスポットでもあります。
とはいえ。
指定場所はそんな人気の所ではなく、昔からある薔薇の庭園を指定されたのですけど。
……まあ考えてみれば?
妥当な提案かもしれません。先方さまはきっとわたくしの身分とかを考慮してくださったのでしょう。
カレイジャス公爵夫人であるわたくしが娼館に乗り込んでいった……なぁんてことが公になったら大スキャンダルまちがいなしですからね。
別にスキャンダルになっても、わたくしは構わないのだけど。世間一般の常識とやらが、わたくしの行動を諫めようとしている……ような気がしてなりません。
つまらないことね。
なにせわたくしには神の加護があるのだからっ……!
いいえ。ちがうわ。いい加減な駄女神の恩寵でしたわ。
もう好き放題してやるんだから……っと思い切ったつもりでも、あとから「いいえ待って、あの文言はやっぱりまずかったかしら」とか「ポールが怯えていたのはわたくしが睨んでしまったせいかしら」とか、いろいろと思い悩んでしまいました。
でもね。
怒鳴ったことですっきりしたのは事実だし、ポールにはちゃんと淑女の笑みを浮かべて話していたはずだから、彼が怯えていたように見えたのは別の要因だわ。たぶんね。
◇
「恐れ入りますが……道を尋ねてもよろしいでしょうか? 【百合はどちらで観賞できますか】」
指定された植物園の薔薇の庭園で。
わたくしの背後から道を尋ねる女性の声がかけられました。もちろん、護衛役の騎士は遠ざけています。ひとりで散策したいからと言ってね。(姿は見えるけれど会話は聞こえない……そんな距離に控えてもらっています)
振り返ればそこにいたのは全体的に濃いグレーの訪問着を着て、日傘をさしたマダムのお姿。どうやらこの方がオーナーさんなのですね。
【百合はどちらで観賞できますか】
じつはこれ、暗号なのです。『花の楽園』のオーナーがわたくしに話しかける第一声はこれ、と伺っています。
植物園に来て、花の話をしているのだもの。そのこと自体を不審に思う人はいないでしょうね。
でも、人影がまばらな薔薇の庭園を指定し、そこで百合の花の咲く場所を尋ねることばを合言葉にチョイスするとは。オーナーさんって、もしかしたら自虐の趣味があるのかしらね。
百合はとてもうつくしく芳香の豊かな花。
けれど、その生息地は森林や谷間など日陰の場所が多いのだとか。
自分たち娼婦はそういう『日陰の身』だという揶揄が含まれているのでは……? なんて思うのはわたくしの考えすぎかしら。
「おそらく、五番街にある【秘密の花園】でしょう」
わたくしも最初に決められた【合言葉】を返します。
でも、つい、五番街なんて付け加えてしまいました。
『花の楽園』は五番街にあると聞いたせいですが……これではお店の名前を言わなくても、どこを指したことばなのか、聞く人によってはすぐに解ってしまう返しだったかもしれません。
わたくしの返答を聞いたマダムの紅い唇が、ちいさな笑みを刻みました。
黒いベールのついた帽子が、マダムの顔の上半分を隠しています。目元や首元、手などにさりげなく視線を向けるけれど……年齢が如実に表れるところを巧みに隠したお衣装を品よく着こなしていらっしゃる。
おかげでお年がよく分かりませんねぇ。わたくしより十歳くらい上かしら。
お帽子に隠れて分かりづらいけれど、プラチナブロンドがうつくしいわね。
口元の艶やかさといい……ちょっと年齢不詳の美人さん、なのは確か。
なんてね。
気おくれしている場合ではないわ。
「わたくし、比喩表現とかあまり得意ではないの。だから、単刀直入に尋ねますわ。隠し事はなさらないでね?」
「――はい」
一瞬、意外そうな顔をなさっていたけれど、マダムははっきりと頷いてくれました。
「わたくしの夫の浮気相手の【姫】に、会うことは可能かしら」
「――は、い?」
あら。
笑顔のまま固まってしまいましたわ。なんだか先日のポールを思い出すわ。
「手を引けとか、無粋なことを言うつもりなどないわ。お相手のお顔を見てみたい。ただそれだけ」
「――え? あの、」
「もしかしたらお相手はひとりじゃないの? だいたいはお客ひとりに担当の【姫】がひとりつくものだって聞いていたのだけど、違ったかしら? あぁ、お客の財力によって面倒をみる【姫】の数が変わるってことかしら」
わたくしの仕入れた情報などたかが知れていますものね。
浮気相手がひとりじゃないなんて想定していなかったけれど、あり得ないことでもないわよね。
「お待ちください、奥さま!」
「なあに?」
マダムがこめかみを押さえながら聞いてきます。
「あのぉ、もしかしたら、旦那さまの浮気調査に乗り込もうとしていらっしゃる……のでしょうか」
「調査なんてする気はないわよ。お相手のお顔を拝見したいだけだもの」
調査するまでもないし。
お顔を拝見して、「夫をよろしくお願いしますね」とでも言いたいというか。
とくになにをしたいというでもないのだけど、心を決めるために必要な儀式、とでもいうのかしらね。
そう思っていたわたくしに、マダムは戸惑った表情のまま口を開きました。
「えーと、ですね、まず根本的な問題として……密命がある、というわけではないのですね?」
「密命?」
なんのことかしら。
「わたくしどもが、国家からの密命を請けて場所の提供をしたり人を派遣しているのは……ご存じですよ……ね?」
「知ってるわ」
お義母さまからもちゃんと伺っていました。ポールもそんなこと言ってましたし。
「あぁ……。今回、国王夫妻の信任篤いカレイジャス公爵夫人から家紋入りのお手紙を受け取りましたでしょ? 小切手も同封されていましたので、これは国家というか……王家からの密命なのかと腹積もりをしていたのですが」
「え」
王家からの密命だなんて、そんな大げさな。
「ふだんはカレイジャス公爵閣下から王家の家紋入りの文書が届いておりましたから……。そのご指示ならともかく、夫人からのお手紙など、なにぶん初めての事態でしたので……。えぇ、わたしどももそれなりに戸惑いまして……。これは夫人を経由して王家から……というか、内密で王妃さまからの仕事の依頼なのかと」
「え」
「なにぶん、王家には今お年頃の王子殿下がいらっしゃいますでしょ? 閨指南の依頼ではないかとか……そんなふうに思っていたのですが……違うのですね……」
「――」
あぁ、わたくしたちカレイジャス公爵家が王家から信任篤いことと、わたくし自身が王妃陛下から特別仲良くさせていただいていることを鑑みて、そう想定していたのね。
そして、そういう派遣業務も請け負っていたのね……。知らなかったわぁ。
とはいえ、それは表の業務に近い依頼ではありますわね。うちの子たちはまだ幼いからそんな想定したこともありませんでした。
「ご夫君の、浮気相手の顔を見たい……だけ……」
いやだわ、マダムったら。
扇を広げてお顔を隠すなんて。肩がわずかに揺れているから、笑っているのはまる分かりでしてよ!




