8話 新婚さんの胸きゅん
ウェズとウツィアが結婚したのは春先、公爵家の庭で小さな婚姻式をあげた。
なにもしないつもりだったところに公爵家の執事長や侍女長が物申したからだ。貴族がやるような形式的なものではなかったけれど、ウツィアはそれだけで満足していた。
「旦那様、式を挙げてくださりありがとうございます」
「ああ」
(可愛い)
ウェズとしてはただの契約である以上あまりやりたくはなかった。本当に一緒になったのではと勘違いしてしまう。口付けをした時にいっそ契約なんてなかったことにしたいとも思った。
ウツィアは改めて自分の夫を間近で見たことで結婚したんだと静かな実感に震える。デビュタントで遠目から見ても今間近で見ても、ほんの僅かに金が混じる赤髪に薄い赤褐色の瞳は鮮烈だった。式では仮面をつけていたけれど、とってくれる日がくるのだろうかと色々考えている内に婚姻式が終わる。
「長い時間馬車の移動で疲れただろう。私は寝室に行かないから、よく休んで」
「はい」
今日初夜がないと聞き、身構えていたウツィアは拍子抜けした。後継を早くという焦りはなさそうに見える。
万が一と思いつつベッドに横になると疲れがでてそのまま寝てしまった。
* * *
「……夢ね」
ウツィアはよく夢を見る。だからどれが現実でどれが夢かもよく分かっていた。
「よかった。君が、この子が無事で本当によかった」
「うまくいくって出てたのに」
「そうだな……ウツィア」
「はい」
「……ありがとう」
あの渋面がこんなにこやかに笑う?
夢から醒めてウツィアはウェズと同じような渋い顔になった。
「願望夢ってとこかな」
これっきりだと思っていたのにウツィアは同じ夢を三日連続で見た。日を重ねるだけ夢の中の会話が進む。
「ウツィアに救われ、この子にも救われるとは思わなかった」
「大袈裟だわ」
「君との結婚だって夢だと思っていた。子供はもっとないと思っていたから」
「私は夢が叶いました」
「え?」
「愛し愛される相手と結婚して子供もできて……嬉しいです」
「ウツィア」
* * *
頬を撫でる夫の優しい手つき、瞳にこもる熱はとてもリアルだ。物語の幸せな結末を見ているよう。
この現実味を帯びた夢を見て三日目でウツィアは確信した。
「みていたんだわ」
ウツィアは今でこそ自分で調節ができるけれど、それまでは相手の感情や過去・未来がほぼ自動的に分かってしまう能力をもっていた。
「旦那様を意識するあまり、あり得る未来をみたというのが妥当かしら……旦那様を私が救う、か……」
悪い結果でないならいいかと一人頷く。これが離縁の夢だったら落ち込むだろうし。
(あの渋面な旦那様を笑顔にさせるにはどうしたらいいかしら? やっぱり子供を作るのがいいってこと?)
子供が生まれて救われたと解釈するなら今すぐ子供を作るしかない。
(でももうみるのはだめね。閉じとこ)
結婚して夫であるウェズを意識しすぎてみてしまったのを意図的に閉じた。もうありえる未来の夢を見ることもない。こういうのは相手の了承があってみることにしているから。
「旦那様、失礼します」
許可を得てウェズの執務室へ入る。中には執事長のマテウシュがいた。夫と二人で話がしたいと伝えるとなんなく了承して出ていってくれる。
「何か不足があったか?」
「旦那様にお伺いしたいことがあります」
書類のサインを終えて真っ直ぐ見つめてくる。すぐに逸らしてしまったけれど、きちんと話を聞いてくれる人なのだと感じ、ウツィアは思いきることにした。
「後継は望まれないのですか?」
「後継?」
「その、子は作らないのですか?」
女性からこの話をするのははしたないだろうなと思いつつはっきり告げる。再び目を合わせ、静かに返された。
「作るつもりはない」
一瞬あの夢が未来をみたのではなく、ただの願望だったのではと頭をよぎる。嫌な考えは振り払った。
「なら……旦那様は何故私と結婚したんですか?」
「……」
仮面で顔の右半分を覆う渋面の大きな男性。夢でみえた時の柔らかい表情はどこにもないし、みえないようにしているから当然何を考えているかも分からない。
(こんなに近いところにいる……目の前に)
ウツィアの後ろ姿しか見つめ続けてなかったウェズは対面で目と目を合わせて話せることに少しばかり感動していた。けれど今は契約のことを語らず、この話を誤魔化さないといけない。唇に力を入れて視線は逸らさずウェズは応えた。
「必ずしも子を目的としなくても良いはずだ」
それは応えになってないとウツィアの心は曇る。
ウェズは来るだろう契約終了の時に備え、なるたけウツィアを綺麗なままで解放したかった。自分の手つきにしたらその後の縁談が不利になるのではと思ってのこと。
(それは建前か)
自分がこれ以上ウツィアにのめり込まない為というのが本音だろう。傷跡のある自分を晒して怖がられるのも嫌だったし、へたに距離を詰めて嫌われたくもなかった。好きだけど近づけない。王女が聞いたら笑われそうだなとウェズは内心小さく自分を笑った。
「……私と結婚して、旦那様は何を望まれるのです」
「……」
愛し合って本当の夫婦になりたい、なんて言えるはずもない。自分のような見た目で世間からの評判もよくない者が好かれるとは思えなかった。
「女主人としての役割ですか?」
「必要ない。好きにしてくれれば」
なにもしないで屋敷にいろとはどう言うことだとウツィアは詰め寄りたかった。けれど金で買われた身で言える話でもない。
「……旦那様、この後お時間ございますか」
「?」
ウツィアは今日これ以上話を進めるのをやめた。初対面同士でぐいぐいせめても仕方がない。
急な話題転換に少しきょとんとしていた夫に告げる。
「昼食を一緒にいかがですか?」
向かい合って食事、というのはウェズにはとても魅力的だった。
「食事が無理ならお茶でも」
「……今日は時間がとれない」
(緊張しすぎて無理)
「分かりました」
夫となった人のガードが固い。
仕方ない。それでも今日はという言い方をしたから、行ってもいい気持ちは少なからずあるはずだとポジティブに考えることにした。
「……君」
「はい」
「そのネックレス……」
何に気づいたのかと思ったらネックレス。王城の庭で知り合った人からもらったもの。あの人は男性だったから、貰ったということは伏せておこう。そこさえなければ夫の瞳と似た色の宝石だし丁度良い。
「珍しい宝石ですよね。お気に入りなんです」
微笑んで言うウツィアにウェズの内側、心臓がぎゅんと締め付けられた。自分が贈ったネックレスを気に入っている。
(お気に入り……嬉しい)
(あ……少し雰囲気が柔らかくなった? 気のせいかな?)
もしかしたら夫婦として仲を深められるかもと思ったウツィアは翌日粉々にされることになる。
出会い編でウェズが渡していたインペリアルトパーズなネックレスを常用するのを見て幸せに満たされる夫(笑)。こうしたウェズの胸きゅんがちょいちょい出てくるようになります。妻ウツィアが察しの良い方なので、雰囲気柔らかいなと感じ取れて本当よかったねとしか言いようがない。