TSして清楚系美少女になった俺は人生超イージーモード!~になるはずだった~
朝起きたら、女になっていた。
「……嘘」
呟いたその声音は、聞き慣れたダミ声ではない。
わかりやすい朝おんの状態に驚きはしたが、思ったより自分の状況を受け入れられた。視線を下に落とせばそこそこ大きめな膨らみが二つ、そしてそれにかかる長い黒髪。思わず「マジか」と呟けば、その声音は天使のような透き通るものとして響く。
慌ててベッドから飛び降り、なんとか今の自分の姿を確認できるものを探す。だが、美少女の部屋のくせになんだか可愛らしいぬいぐるみがセットになった鏡台とか、お姫様みたいな過剰な装飾がされた手鏡といった可愛らしいものはちっとも見当たらなかった。仕方なく、スマホのインカメラを使えばレンズを通し微妙に視線が逸れた美少女の姿が見える。
巨大な胸に似合わずほっそりとした輪郭に、高く整った鼻筋。くるん、とカールした睫毛の下にある大きな瞳は、呆然としたような表情でこちらを向いている。それに指を伸ばせば、彼女の方もこちらに白魚のような手を伸ばしてきて俺と彼女の手が画面越しにぴったりと重なる。この手の話ではよくある自身の確認方法を経て、間違いなく自分が美少女になったことを確信した俺は――「うおっしゃあ!」と拳を突き上げる。
「ちょっ、ヤバ! 異世界転生!? いや、TS! マジでやった! しかも超美少女! ちょっと微笑んでみせるだけで人生楽勝じゃん! 超勝ち組じゃん! やった! やったぜ……!」
かつての自分はどこにでもいる普通のオッサンだった。度が高い眼鏡をかけ、朝から髭を剃ると満員電車に揺られ一介の社畜として生きる。きっと誰にも必要とされない、誰も見てくれないしょぼくて惨めな一般人だった。
だが、今の自分はどうだろう? 女なら誰もが羨み、男なら思わず見入ってしまう最高級の美少女。それも人によって好みが分かれる元気っ娘系やロリ系ではなく正統派美少女。無難、だがそれゆえに至高。誰からも愛される、むしろ嫌われる理由がない清楚系ヒロインだ。これでテンションが上がらない方がおかしい。
いや、ほんとマジで。女ってだいたいどこの世界でも特別扱いしてもらえるし、美少女ならそれはもう生きてるだけで破格の待遇だ。馬鹿でもノロマでも、美人なら絵になる。何だったら、「天然キャラ」とか「ドジっ子」みたいにプラス評価されることだってある。長所は「可愛いだけじゃなくて〇〇」として過大評価。短所は「でも可愛いから」で帳消し。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。美少女なら美少女であるというだけで、何をしても好意的に評価される。人生ベリーイージーモード確定だ。
「よっしゃぁ! まずは女子の友達で百合ハーレムだな。いや、男子たちにサービスして女神扱いされるようになるのが先か? どっちにせよ、最高の日々の始まりだぜ……!」
これから始まる、バラ色の日々に思いを馳せていればドアの向こうから「ちょっと桜花! 何をドタバタしてるの!」と母親らしき女の声が聞こえる。
なるほど、今の俺は「桜花」という名前らしい。いかにも美少女っぽい、それでいて奥ゆかしさを忘れない絶妙な名前だ、名前までいいとは、とことん俺はツイている。いいじゃないか、桜花ちゃん。俺、もとい私がこれからの美少女ライフを謳歌してやろう。「おうか」なだけに。
元オッサンの華麗なる美少女JKライフが、今から始まるのだ!!!
「桜花、早くしなさい! 桜花が行かないとお母さんが仕事に行けないでしょう! モタモタしないで、早く!」
言いながら、桜花の部屋の扉が乱暴に開かれる。
桜花によく似た顔立ちの彼女は、苛立たし気にこちらを睨みつけていた。美人ではあるのだが、どことなくキツめに見える表情と目の下の隈が気になる。しまった、美少女とはいえ家族の関係を壊してはいけない。私は慌てて髪を整えると、母であるその女性へとにこやかに話しかける。
「お、お母さんゴメン! 今すぐ支度するから、ちょっと待っ……」
「言い訳しないの! 遅れちゃうでしょ!」
ヒステリックに壁を叩く母親に、びくっと肩が震える。途端に、強いアルコールと石鹸の香りがぷんと漂ってきた。きしんだ壁も、掃除が行き届いていないのかなんとなく湿気臭い気がする。どうも「桜花」は決して、裕福な暮らしをしているわけではないようだ。まぁ、美少女になれたんだからそれぐらいは我慢するか。この見た目なら、ちょっと優しくすれば大概の男はコロッとして色々プレゼントしてくれるだろうし。
せっかくだから自分の体を弄り、美少女の体を思う存分に堪能したかったが今は時間がない。初めて身に着けるスカートに手間取る……なんてこともなく私はブレザーにプリーツスカートの制服へ袖を通し、学校へと向かう準備をするのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うわ、くっさ」
「キモっ!」
「……ぷっ」
悪意に満ちた笑みが、私を包み込む。
美少女なら人々の視線を集めるのもやむをえないことではあるだろう。だがこちらにチラチラと目をやり、小馬鹿にしたように笑うそれはどう足掻いても好意的には受け取れない。
「おっはよーオーガ! あ、間違えちゃったぁ。ごめんねぇ」
言いながら、「桜花」の同級生らしい少女がこちらを見下ろしてくる。
着崩した制服に、うっすらと化粧をしているのかやたらテカテカした唇。そのくせ鼻は低く、ピリオドのように小さな目は吊り上がりのっぺりとした顔で悪目立ちしている……ルッキズムとかなんとか言われるかもしれないが、はっきり言ってブスだった。それも「優しそう」とか「いい子そう」なんてフォローもできそうにない、見るかに性格の悪そうなブスだ。
……なんでこんな女が桜花のような超絶美少女を見下せるんだ? と疑問を感じていたら後ろから強い衝撃をその場に倒れ込む。それと同時に背後から、男子生徒三人が近寄ってきた。
「おいおい、そんなに大げさなリアクションされたらまるで俺たちが突き飛ばしたみてーじゃねーか」
「ひっでぇなぁ。なぁ、今の痛かった? 痛かった?」
ニヤつきながら現れたのは男子三人組。どれも大してイケメンでもなく、さして前世の「俺」みたいなブサメンでもない至って普通の少年たちだ。普通なら桜花のような美少女に目尻を下げてもいいだろうに、今は虫をいたぶる子どものような残酷で無邪気な笑顔を浮かべている。その様子を面白くて堪らない、といった様子で眺めるブスは起き上がろうとした私の背中を踏みつける。
「ちょっとアンタ、デブで目障りだからしばらくそのまま這いつくばってくんない? そうしないとみんなの邪魔だし、ただでさえ臭いんだからさ。とりあえず、そのまま床でも舐めててよ」
その言葉と共に、背中にかけられる力が強くなる。思わず「うっ」と呻き声を上げるがクラスメートは誰一人として助けてくれず、それどころか笑いながら写真を撮る人間までいる。「ウケる、これアップしたらバズるかな?」などとはしゃぐ少年少女たちを、私は信じられないような思いで見ていた。
いや、まず「デブ」ってなんだ? 桜花は巨乳で豊満だが決して太っているわけではない。私を踏みつけるブスがガリガリで胸も絶壁だから羨ましいのかもしれないが、それにしたって何故このような扱いを受けるのか? というか男子たちも美少女がイジめられてたら助けてくれたっていいだろうに、なぜこのブスと一緒に桜花へ酷い仕打ちを行うのか? わけがわからない……ぐるぐる頭が回る中で、教室の扉が開く音が聞こえてくる。
「こらー、お前ら席に着けー」
穏やかな中年男性の声に、私はばっと顔を上げる。
助かった、先生だ。どうやらこのクラスの担任らしいが、教師ならさすがにこの状況をなんとかしてくれる。いや、なんとかしなければならないはずだ。ましてかつての「俺」と同じオッサンなら、この桜花がいかに美しく守ってあげたくなるかよくわかるだろう。今こそ美少女の力を発揮すべきだ、このブスたちにとびきりのざまぁを――そう願いながら、私は担任に手を伸ばす。
「助けて」そう叫ぼうとした矢先に桜花を踏みつけたブスと、それを嘲笑っていた男子たちがさっと潮を引くように離れていく。こういう、悪事をやり慣れた連中は大概逃げ足が早いものだ。だがさっきまでの状況はごまかせない、桜花がイジめられている現場をその目でばっちり見たはずだ。すかさず私は潤んだ瞳で健気な美少女を演じ、オッサン先生の元へと駆け寄る。
「あの、先生! 私――」
「春山、席に着け。ホームルームだぞ」
「いや、さっきの見て――」
「『席に着け』」
これ見よがしにうんざりした顔をする担任は、私を一瞥すると溜め息をつく。その瞬間、私は背中がぞっと粟立つのを感じた。
あらゆるゲームに存在する、ノンプレイヤーキャラクターのように同じことしか繰り返さない教師。例え桜花が美少女だろうが、どんなに理不尽な仕打ちを受けようが彼は行動を起こさない。生徒を差別しない、と言えば聞こえはいいが要は揉め事を起こしてほしくないのだ。だからたった一人の生徒が犠牲になって、クラスが回っているならそれでいい。教室という一つの大きな空間が、仮初めの平穏を保てているならそれが無難。だから――桜花の美貌も、ブス女の所業も関係ない。ただ、「教師」という駒の一つとして動き続けるだけなのだ。
三度、「席に着け」と言い放つ担任を前に呆気にとられる私。
クラスメートたちはそんな私をクスクスと笑い、中には消しカスや紙くずをぶつけてくる者までいる。桜花の美少女っぷりは前世の「俺」が太鼓判を押す、微笑みかければほとんどの男は陥落するだろう。――それなのに、思春期真っ只中のコイツらはどうしてこうも平気で美少女を嬲る? 「ブスの嫉妬乙」にしても、少しは異常だと思わないのか? 美人が苦しむ姿を見て、何が楽しい?
全身から血の気が失せていく中で、私はただそんなことばかりをずっと考えていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それからの私は、ただひたすら苦痛に耐え忍ぶ日々を送っていた。
イジメのボスらしいブス、岡部はありとあらゆる罵詈雑言を浴びせ続けた。
「何その目? マジでキモいんだけど」
「くさっ、春山さんちゃんとお風呂入ってるの~?」
「つーかよく学校来れるよね。早く死ねばいいのに」
女子はそうやって言葉の暴力と嘲笑を、男子はもっと直接的――髪を引っ張られたり、偶然を装って叩かれたり蹴られたり、胸や尻を触られたりといった肉体的な暴力を受けた。もちろん担任は見て見ぬふり、それどころか親ですら私の異常に気がついた様子はなかった。
「桜花! また鞄を汚したの!? 何回言ったらわかるの、いい加減にしなさい!」
「どうしてそんなにお母さんを困らせるの! 嫌がらせ!?」
「アンタみたいな娘、産むんじゃなかった!!」
家でも、学校でも、居場所がない。美少女なら引く手数多だろうと思っていたが、毎日が地獄だとそれが表情に出てしまうようだ。町を歩いても、男たちは一瞬「おっ」という顔をするが声をかけようとはしてこない。明らかに遊び人っぽい軽薄そうな男も、スケベが全身から滲み出たサラリーマンも、誰も私に近寄ってこなかった。
そして、気がついたのだが――どうやら美少女の体は「メンテナンス」が必要なものらしい。
サラサラだった髪は適当に洗い、乾かしていたらボサボサニなった。食生活や洗顔に気をつけていなかったら、つるつる卵肌に吹き出物が出るようになった。腕や足にはすね毛が生え、最初に放っていた美少女特有のいい匂いはいつの間にかしなくなっていた。その一つ一つがまた岡部のイジメのネタにされ、「近くにいると吐きそうなくらい臭い」とか「春山さんって毛深いねーゴワゴワしてる」とか言われるようになり――仕方なく美容を研究しようとしたが、元オッサンの私にとってそれは未知の世界で全くわからなかった。
脱毛? 使い慣れない剃刀を使ったら、素肌を切った。母親はそんな私を心配するでもなく、床を血で汚したことをガミガミ言うだけだった。
化粧? 眉毛を剃る? 眉は剃りすぎて、いつもは働かない教師陣に「校則違反だ」と注意された。化粧道具も一生懸命、使ってはみたが左右非対称になって岡部にさんざん笑われてしまった。
美肌? 美髪? 母親は毎日、コンビニ飯かインスタント食品しか与えず栄養・健康面なんてまず考えられそうにない。そもそもイジメのストレスで寝不足だ、目の下には隈が浮かんでいる。
そのうち口臭・体臭も気になるようになり、岡部の言っていた「臭い」という悪口が自覚せざるをえない事実になってしまった。毎日毎日、苦痛に晒される日々が耐えられず自室に引き篭もろうとしたが母親が「学校に行かないなんて何を考えているの!」「お母さんを困らせないでちょうだい!」と癇癪を起すので外に出ざるをえない。制服で当てもなくブラブラしていたら、お節介な誰かの中途半端な親切で母親を呼ばれてしまった。その後、クラスメートに勝るとも劣らない折檻を受けたので私は嫌でも学校に行かざるをえない。
「どう……して……」
昼休み。仕方ないのでトイレに籠り――それでも岡部たちがドアの向こうから口汚い言葉を吐きかけ、水をかけたりするのだが今の私には慣れたものだった――唯一、残った可愛らしい声でそう呟く。
もう心も体もボロボロだった。せっかく清楚系美少女になったのに、その名残はもう微塵も残っていなかった。ただオッサンだった頃の「俺」の記憶に縋り、絶望する私はポケットからカッターナイフを取り出す。チキチキと音をさせ、その刃を出すと――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私、もとい「俺」は朝起きたらオッサンになっていた。
いつも思いつめたような表情をしている母親も、いじめっ子たちもいなくなったが代償はそれなりにあった。くたびれた容姿に、仕事に追われる日々。良くも悪くも社会の歯車の一部へと溶け込み、埋没していく自分。……だけど、それが私にはかえってありがたくもあった。
職場では仕事さえしていれば文句を言われないし、多少何かあっても「お金がもらえる」と思えば割り切れる。スキンケアやヘアケアも最低限で十分、それどころか身だしなみに気を遣うというただそれだけの行為で周囲から格段に評価されるようになった。
男性としての体は……正直まだ慣れないところがある。このやっぱり、トイレやお風呂は自分だとわかっていてもなんだかまだ恥ずかしい……でもまぁ、家で一人ゆっくりくつろげるのは心の底から晴れ晴れした気分だった。
誰も俺を必要としない、誰も俺を見ていない。なんて素晴らしいことなんだろう。学校という監獄に閉じ込められなくていい。何事も自分で決められる。飲み会とか満員電車とかは決して楽しいものではないけど、例えばいやらしい目を向けられたり性的なことを言われなくて済むのでかなり楽だ。
……もともとの、「私」は今どうしているのだろう。母親譲りの美貌、しかしそれをストレートに褒められた経験はあまり無い気がする。どう考えても苦痛なあの状況で、果たしてやっていけるのだろうか……
気にはなったが、今この状況を捨てたいとは思わない。俺はこれから、どこにでもいる普通のオッサンとして生きていく。それで幸せ、十分満足だ。
TSする前の清楚系美少女は、もういない。