NO.0.9/病院
目の前を色々なものが過ぎ去って、気がつけば、俺は病院にいた。
すぐ左側には椅子があったけど、座る気はない。
俺は、目の前をただじっと見つめ続けた。
どれだけの時間が過ぎたのだろう。
でも、時間の感覚は俺にはもうなかったし、確かめる気も起きなかった。
俺はそこに立ち続け、ただ待っていたんだ。
「・・夏希・・・・・」
俺がそう呟いたすぐ後、背後から大きな足音が聞こえてきた。
誰かが何か叫びながら、走ってこっちに向かってくる。
それが俺の名前だと気づいたのは、すぐのことだった。
「律斗!!」
とうとう俺まで追いついたそいつは、いきなり俺の胸倉を掴んで言った。
「夏希はッ!!夏希はどうした!!」
やけに切羽詰った声音で、懸命に問いかけてくる。
俺は、やっとそいつの顔を見た。
「律斗!!夏希はどうしたんだよ・・・・・ッ!!」
「こう・・・す・・・・・」
そいつは小三からの俺の友人で、それと同時に、夏希の彼氏でもあった男。
無我夢中で俺の胸倉を掴み、問いただしてくる幸介からは、危うさが漂っていた。今にも泣き出しそうな子供のように、ただ一生懸命で・・・・・。
でも、俺は意識が朦朧としていて、すぐに今の自分の状況を理解する事はできなかった。
「なん・・・で・・・・お前が・・・・・ここに」
そう呟いた俺に、幸介は歯軋りを立て、怒鳴る。
「なに言ってんだよ!!律斗ッ!!」
なんだ。
なんでこいつはこんな泣き出しそうな顔で俺の胸倉を掴んでるんだ。
なんで俺を問いただすんだ。
夏希・・・、夏希はどうしたか・・って、夏希は・・・・・。
夏希・・・?
俺はたしか、夏希と自転車・・・で・・・・・。
ああ、そうか。
俺は、やっと我に帰った。
そう、夏希は。
「・・・・・夏希は・・・」
俺は静かにそう呟いて、すぐ前にいる幸介を通り越し、もっと前の方に向かって指を差した。
幸介が、俺の指差した方向にゆっくりと振り返る。
手術室。
そう言うのが正しいだろう。
そこには、手術中と記してあった。
そう、夏希はあの中にいるんだ。
「うそ・・・だろ・・・・・」
幸介は目を見開き、力なくその場に膝をついた。
「・・・なつきぃ・・・・・」
幸介の瞳から、とうとう涙が流れ始める。
そして、額の前で祈るように両の手を組んだ幸介は、しばらくその場からは動かなかった。
俺は、それを黙って見ている事しかできない。
きっと彼が次に動くのは、あの扉が開く時だろう。
彼は喜びでまた泣いてしまうに違いない。
なぜなら、彼女は戻ってくるのだから。
何食わぬ顔で「これくらいたいした事ないわよ」と言って、俺達に微笑み返すのだから。
そしたら俺は、今日言おうと決めていた言葉をきっと言うんだ。
たとえ、その言葉を聞いて彼女が表情を濁したとしても。
なあ、夏希・・・。
―――お前、死なないだろ?
静かだった。
俺には何も聞こえず、ただ思い出は過ぎ去っていくだけだった。