「なあなあで行こうよ」
世の中は何度でもやり直せるというが、好きなようにやり直せるのは金と才能のある者だけである。
才能のないものは、必死に努力し、ありとあらゆる手段を駆使して、わずかなチャンスに喰らいつくしかない。
――ある浮浪者の言葉
「勝手気ままに生きてたぁいのさぁ」
インターネットに繋いだタブレットを眺めている中学生になったばかりの僕。そこに映るのは2人組ユニットのロックなライブ映像のサビ。あの頃、僕にはカミサマが居た。それは、空から眺めているだけの神なんかじゃない、今を生きる、カミサマだった。
「どんなことがあろうと、最後は死ぬなら関係ないからぁああああ!……」
――なあなあで行こうよ――バンド物語――
あの頃流行っていたバンドといえば、2人組ユニットReality Voidをあげる人は多いと思う。破壊的でありながら繊細で芸術的な曲調に、魅せられたファンは数知れず。一部ファンは自らを信徒と名乗り、彼らを崇め、場合によっては暴動を起こしたことまであった。
そんなことがあったからか、テレビ出演はほとんどなくとも、テレビは彼らの広告塔の一つとして機能していた。トップとは行かずも、新曲のたび高順位をキープするヒットチャート。信徒、ファンを自称する芸能人。挙句、今の若者はけしからんという代表例として、彼らの曲が取り沙汰され、批判されることもあった。けど、そうなると信徒に叩かれ、SNSで晒し上げられるまでが通例だった。
かくいう僕も、彼らのことが大好きな、所謂"信徒"だ。新曲のCDがでたら即購入し、ファンアイテムも机で勉強ができないほどに持っていた。
今回の新曲、"インスピ"も最高を越えた最高で言葉が見つからなかった。僕なんかが語るのもおこがましいけど、あえて言うなら、人を勇気づけることの出来る曲だと思う。
勝手気ままに生きたいと決意表明をするサビ。けど、その勝手気ままは、休みたい時は休みたい、けどやりたい事はやりたい、そういう自由な意味で勝手気ままと表している。そして、最後は失敗も成功も、最後は同じ、だから胸張って生きようというメッセージを感じる。それらの歌詞には、常に自分の想いを吐露して生きているであろう彼らの生き方が垣間見えた。
一回りも違わないのに、テレビでも取り上げられるほど伝説的な彼らの生き方には痺れる思いがあった。けど、もしどちらが推しかといえば、僕はvoid sideのVoid U を選ぶだろう。彼はV系のような荒髪にメッシュとインナーカラーを入れた、一見近寄り難い人物に見える。彼のライブでの真剣でありながら力強いパフォーマンスを見るとなおさらだ。事実、このバンドの衝動的な方向性は彼の性根の影響が大きいと分析していた人もいた。
しかし、そうともなれば悪い噂の一つ二つは出そうなものが、彼には全くとない。むしろ彼と関わった人物はたびたび、ファンサービス に溢れてる、心は明るい色をしている、と言う。
それらの話とはちょっと違うけど、僕も、彼の人柄の良さを知るエピソードを知っている。それも、他に誰も知らないような逸話をだ。
その時、僕はReality Voidのライブを生で見に行っていた。近所でライブが行われるからと、親に頼み込んでついて行ってもらったことを覚えている。
実際に、生で見たライブは最高だった。熱気は霧のように会場を覆い、心の底からの充足を感じていた。
思い冷めず、蒸し饅頭のようになった僕は、親元を離れて、会場の廊下を小走りで進んでいた。あの興奮を冷ますことは、氷であろうとできないと感じて、あるがままにヒートアップしていた。
すると、部屋が一つ、目に入った。この火照った体を少しでも冷やすかと扉に体を密着させる。その扉からは、酷い悪態が聞こえてきた。
「……めだ、駄目だ……目だ!」
しかし、僕は気づいた。この部屋には足音や生活音から逆算した人の気配が、一つしかないことを。その声は人に向かって罵倒しているのではなく、自分を罵っていたのだった。
「駄目だ、こんなんじゃあ、あいつを、あいつを立たせてあげられない! もっと、ふさわしい自分にならなくちゃあ……!」
そして、その声の主に気づいた時、心の底が破裂するような興奮に襲われた。そう、彼は、Reality Voidの、時にはボーカルでもあり、時にはベースも弾く、Void Uその人だった。
彼は自分ばかり注目が集まる今を嘆いていた。そして、その状況が自分にあると思っていたのだった。
僕の破裂した心臓が縫い上げられる。カミサマは、この世界への責任感が強いんだな、と感動の思いを胸に、安寧の思いでこの場を去った。
こうして人気も絶頂にあったReality Voidだが、その栄枯盛衰はあまりに早かった。Reality sideのReality L moon が脱退をすることになったからだ。
ネット上で行われたその報告の会見では、Void Uのみが立っていて、彼曰く、L moonはついていけなくなって、自ら辞める道を選んだらしい。そして、これからはVoid side がReality も担い、ソロで努力していくとのこと。
この時、僕はあのライブの時のことを忘れて、きっとカミサマであるvoidが凄すぎて、人間の世界であるRealityが追いつけなかったんだ、と恣意的な解釈をした。きっと、カミサマなら素晴らしい楽曲を一人でも作れるに違いない、と。
けど、それはまやかしだった。3ヶ月後に出たReality voidのニューシングルは初回入荷すらろくに捌けることもなかった。人とは案外薄情なものだ。
それでも、熱心な信徒は買い支えようとしていて、その結束はむしろ固まったのだけど、それもReality voidの完全解散会見で幕を下ろした。会見は、テレビで報道されることもなく、ネット上でひっそりと行われただけ。一世を風靡した新進気鋭のカミタチは、時代の荒波に飲まれ、妖怪のように姿を消したのである。
しかし、僕にとってこのバンドの解散は大きな変化をもたらした。今まで信じていたカミサマが万能ではないとわかった時、覚えた感情は、不思議な安堵だった。人のように悩み、苦しむだけの人だった彼ら。信心を裏切られてなお、彼らは僕の片隅に残り、離れることも離すこともない、大切な心の栄養となった。
そして、高校に入った僕は一つの決心をした。彼らの始まりのように、学生バンドを組もう、と。
*
バンドメンバーは、思ったよりすぐに集まった。皆、心の底に憧れみたいなものがあって、たまたまその感情に正直な奴らが集まってくれた、ってことだろう。僕はメインボーカル。他のポジションの研究もしていたし、そちらの方が向いているのかもしれないけど、思いの丈を伝えるにはここが一番と思ったからだ。バンドメンバーも意外とすぐ納得してくれた。
さて、そうなると曲を作らなくてはならない。僕たちはプロでもなんでもないから、作詞家や作曲家なんていやしない。
特に作曲の人員の不足は致命的だった。僕は長らくかのバンドを研究してきたからか、多少のコード進行とかはわかる。けど、それでもどれがよくてどんな雰囲気があるかなんて、さっぱりだった。
試しに、ベースから楽器を借りてそのコードを弾くために、弦に手をかけた。ベースの低い音が部屋に響き、バンドメンバーもそれを耳にした。
自分としては少々自信がなかった。ベースは相当音楽をやってきた人物だ。その音楽性と合わないかもしれない。そう思うと、心は自然臆病になった。
けど、ベースの彼はこう口を開いた。
「そんな感じで、いいんじゃない?」
えっ、と口から漏れた。彼に気を遣っているのかと訪ねると、
「そう言われても、ねぇ。結局最後は、自分の心で決めるのがいいのさ」
と微笑んでいた。
この一言は、僕を安心させた。確かに、この仕上がりに疑問を持っていた。けど、多分心の中のどこかでは、これでもいい、そんな思いがあったのかもしれない。そうだ、これでいいんだ。
それと共に、一つの哀悼が胸の内を覆った。あのバンドの彼は、きっとこういう思いが足らなかったんじゃないか、と思ってしまったのだ。Void sideは完璧を目指した故に、理想から遠ざかる今を恨んだのかもしれない。そう思うと、"インスピ"が湧いてきた。この思い、曲に書き記し、調べとしよう。
*
こんなふうにバンド活動に勤しんでいても、学生の本業は勉学だ。それも、テスト前ともなると心は追い急がれる。バンドメンバーと勉強会中の僕も、ノートを前ににらめっこだ。
何度も数式を書いていくにつれ、うつらうつらとしてきた。けど、こんなところで折れていては、良い点は取れない。手を平手で鞭打ち、気合を入れる。けど、その眠気は取りきれない。集中力は途切れて、あまり、進みもよくない。
その時、バンドではギターを弾く少女が、心配したのか声をかけてくれた。
「大丈夫? こういう時は寝た方がいいんじゃない?」
けど、それでは勉強は進まない、と思っていたけど、
「大丈夫、明日は明日の風が吹くよー」
と、のんびりとした事を言っていた。もっともなようでもっともじゃない、けど、僕はその自分の欲求に身を任せ、腕を枕に眠ることにした。
*
テスト期間も終わり、憂がなくなった時、バンドのライブを行うことになった。インディーズデビューも終わり、この町では少しずつながらも名も知られてきた頃だ。
リハーサルはつつがなく終わった。けど、やっぱり本番は別だ。緊張のままに、ドラムの小柄な彼に声をかける。すると、彼はふふっと笑って、
「大丈夫だ、葵。これはテストじゃない。100点の欠けのない宝玉のような正解は、ありやしないさ」
と、励ましてくれた。
この声は、緊張をだいぶほぐしてくれた。大丈夫、今の僕たちなら、大丈夫だ!
ついに、本番のライブが行われる。ライブ中継を行うカメラもあった。どこで放送されるのかはわからないけど。曲が始まる。曲名は、"なあなあで行こうよ"。
周囲ではバンドメンバーが全力の演奏をしている。これには、僕も、答えなくては! 歌に思いの丈を乗せ、ついにサビだ。
「考えなしに突っ走ってー つまづいてすっ転んでー けど、完璧じゃないからさ それがとっても愛おしい 迷い迷い迷って 論理ぐるぐる回っても」
ねぇ、カミサマ、聞こえていますか? 貴方は自分の歌を、どう思いましたか? あなたが自分の望んだ生き方を僕は出来ていないかもしれないけど、僕は、
「最後は自分の心のままにー!」
そんな風に、心のままに生きたいんです。少しくらい適当だって、いいじゃないですか。自分の心に聞いてください、完璧を求めていましたか? この声が、届いていなくても、僕は、今、ここで生きて、自分色をカンバスに描き続けているんです。
*
ライブ中、いずこかの部屋の中、この部屋にはボロボロにされたシングルの表紙が飾られている。その中には、あの学生バンド、そしてReality voidの表紙もひどく汚されていた。
その中で、一人の住む者がライブ映像を見る。そして、机の上を殴りつけた。
「ざ……けんなや!」
そうして、CDを一枚、それはライブを行なっている学生バンドのものだった。それを思い切り、地面に叩きつけ割る。
「ふざけてやがる……坊ちゃん共がよぉ!」
そうして、紙を一枚取り出すと、黒く、黒く塗り潰しだした。
「クソガキが、ド腐れが……」
その髪は、全盛期と変わらない色に染められていた。
ふと、鍵が開く。振り向いた彼の目に映ったのはなつかしい顔だった。
「なぜ入れたんだ?」
「合鍵。昔のもの」
「今更、今更帰ってきたって……」
「帰ってきたんじゃない。生きてるか、確認しただけだよ」
訪ねた彼は机の上を覗き込む。
「み、見るなよ……」
「相変わらず変わらないね。子供というか」
そこには、歌詞の書かれた紙が、バラバラに散らされていた。その中の一フレーズ、おそらくサビはこうだ。
――
六等星を探して
街の中駆け出した
僕が逃した六等星はきっと何処かで輝いてる
ああ果てなく遠い空の向こう棲む人よ
あの六等星はここよりも
強く輝いているだろうか
――