致死量のサラダ、婚約破棄を添えて
初、婚約破棄もの。
よろしくお願いします!
2021年6月5日、ジャンル別日間ランキング5位ありがとうございます!!
「公女。貴殿との婚約は破棄させてもらう」
殿下がそう宣言なさったのは、よく晴れた冬の終わり、春祝いの前夜のこと。
北果ての公国では、短い春の訪れは何よりも喜ばれる。祝祭は一年で一番華やかな行事で、農村から宮廷まで皆揃って準備にいそしむ。この小さな国立学園でも、その風景は変わらない。身分の上下も日頃の不平不満も、今だけは忘れて手を取り合う。祝祭の準備は何もかも滞りなく整い、後は明日を待つばかりという、そんなときだった。
壇上に立ってわたくしを見下ろす殿下は一人冬のなかに取り残されたみたいに冷ややかな眼差しをしている。わたくしは、いや、広間に残っていた者は皆一様に言葉を失った。
優秀な方だと聞いていた。
大陸二強の一角たる帝国の、たくさんいる後継者のうちの一人として生まれ、聡明さと母君の身分の低さ故に疎まれた。だからこそ、たった一人でこの北果ての地へ婿入りするしか生き残る道がなかったのだと。
「殿下……それは、その、我が国を出て行かれるという意味ですか?」
「何故この私が出ていかねばならん」
なにゆえって。小さく誰かがつぶやいた。
「確認させていただきたいのですけれど、殿下はわたくしの伴侶となるべく、この国にいらっしゃったのですわね?」
殿下は眉をひそめた。
いえ、この婚約押しつけてきたのはそちらですからね? 大国なのをいいことに無理やり候補にねじこんだこと、まさか忘れていらっしゃるのかしら。わたくしはいいのだけれど、周囲の学生たちが一斉に気色ばむ。
彼らは知っているのだ。殿下はあくまで「婚約者候補の一人」であり、資質を試されている最中だということを。
「そちらからのお申し込みでしたわね? わたくしは末子とはいえ公家の直系ですから、本来ならばこの国の貴族と婚姻するはずでしたわ。けれど、殿下はとても熱心に、根気強く交渉なされたと伺いました」
「……ああ」
短い返答に不満がはっきり見えてしまう時点で、このひとは巨大な帝国を治める器ではなかったのだろう。追い落とされるのも納得というか。
根負けして学園に入学させたのはお父様だけれど、それは婚約を認めたという意味ではない。あくまで候補の一人になれたというだけだ。絶対途中で脱落する、というのがわたくしたち公家の一致した見解だった。
しかしまさかこんな形で。
成立していないものを破棄して、ご自分が優位であるかのように振る舞うなど……ああ、そうだわ。こぼれそうになるため息を扇で隠して、わたくしはわずかに目を細めた。「酔っていらっしゃる」のだ。
「理由をお聞かせ願いますわ。わざわざ春祝いの前夜に、殿下から、大勢の前で婚約破棄を言い渡されるいわれはございませんけれど」
「ふん。さすが、悪名高い毒の公女だな。そのふてぶてしい振る舞い、心根の醜さがあらわれている」
「……おっしゃっている意味がわかりかねますわ」
いや、嫌みとかではなく。訳がわからない。なにこのひと。ちょうど近くにいた友人たちに目をやると、彼女たちも目を丸くしていた。
「悪名ですかあ……?」
「あなたにもそう聞こえた? 私の耳がおかしいわけではなくって?」
「三人揃って空耳ということはないでしょうが、しかし」
「ええ、ええそうよね。毒の公女は確かにわたくしの呼び名ですけれど……」
勝ち誇り胸を張る。格好だけなら庭園に置かれた英雄の彫像にも負けないでしょうに。
「はっ! 取り巻きどもにまで見放されたか。貴殿の悪行を知っていれば当然だが……哀れなことだな?」
哀れなのは殿下の頭の出来では。
喉奥で台詞を殺そうとして、肩がふるえる。殿下の演説はますます勢いづく。
「他人に猛毒を食わせて嗤う女が、この私と婚姻などできると思うか? 貴殿のような女たちに、我が母上は殺されたというのに」
殿下の母君はとてもお美しい方だったという。息子である殿下は彼女譲りの華やかな面立ちで、学園でもそこそこ人気があった。
あくまで観賞用として、だけれど。
この国は小さいし特殊だ。外の人間が根付くことは非常に難しい。
「……学園を何と勘違いしていらっしゃるのかしら」
「おい。殿下は、まさか一度も講義を受けておられないのか?」
「まさか……」
「だがそうとでも考えなければ説明できないだろう」
「確かにな。昨年の春祝いの後だろう?殿下が中途入学されたのは」
このざわめきが何よりの証拠だ。
「私を愚弄するか!卑しい貧農どもが!!」
殿下は苛立ちを隠せず声を張る。
この方、舞台役者に向いているかもしれない。帝国の皇子のひとりなんてつまらない肩書きよりよっぽどお似合いだと思う。
「公女から毒を渡された被害者がいくらいると思う! 私は幸いに生き残ったが、哀れにも亡くなった者までいるのだぞ! 公女よ! 貴殿が開いた茶会のことだ! 忘れたとは言わせぬ!」
わたくしは深く息を吐いた。おかげで会場は一気に静まり、いまや息遣いさえ目立って聞こえる。誰もがわたくしを見ていた。
「殿下」
わたくしは努めて穏やかに問いかける。
「この学園は何を学ぶ場なのか、今一度説明させていただけますか?」
北の平原を越えた先に、国土の半分を野山が覆い尽くす公国がある。平原や山脈を挟むとはいえ、二大国たる帝国と皇王国に接しながら独立を保ってきた国だ。
毒の国、と呼ばれている。
かつて竜が呪ったといういわくつきの大地は、刺激的な動植物の楽園だ。
紳士淑女を恥じらいのない獣へ堕落させる花蜜や、触れるだけで皮膚を焼く野草で溢れかえる地を治めるのは、とても難しい。
公国を興したのは流刑という名の死刑を言い渡された人びとだった。生まれもった身分も剥奪された官位も、ここでは何一つ役に立たない。けれども後に公家と呼ばれる一族には、死を目前にしても消えぬ誇りと、ささやかな耐性と、勇気があった。
公家は色んな動植物の食べ方を模索したのだ。
ここは毒物の宝庫だ。まともな方法で生き延びることはできそうもない。じゃあどうする?
帝国なら、奴隷に食べさせて安全なものだけ選ぶだろう。法王国なら信仰にのっとり清貧を求める。あるいは、殉教者たれと教える。
でも公国は違った。
公家が自らの命を危険にさらして国民の毒見役を担ったのだ。
死にいたる者のほうが多かった。生き残ったわずかな者が細々と血を繋ぎ、知識を蓄え、この地へ流れ着く民を保護した。
この伝統は、安定した食糧を確保した現在でも続いている。
新種を発見したら、まず食べるのは公家だ。次に、公国貴族。
食べ合わせ、処理の仕方、どの部位に毒がつまっているのか。毒性の強さはどの程度のものか。あらゆる角度から検証し、安全が確保できてからようやく民の食卓に並べることができる。
いつの時代からか、これは公家に限らず公国の民すべてに言えることだけれど、私たちは毒への耐性を生まれ持つようになった。
毒の大地は生きるものに厳しいが、慣れれば外敵を寄せ付けない堅牢な砦になる。
おかげで、小さな小さな公国は、建国初期の数回しか戦というものをしていない。それすら、まともな戦とは言えないものだったという。
敵が水を飲み苦しむ。敵が獣を食い昏倒する。果ては花粉を吸い込んで絶命する。
一切脚色がなくてこれだから、毒の国は、一部では幻やおとぎ話の類いとさえ思われているらしい。
「さてそれでは」
わたくしは広間に集まるたくさんの生徒たちを見回した。
半数以上が他国から送り込まれた留学生である。
確かに皇子殿下の言う通り、生まれが貧しい農家の者もいる。貴族や裕福な商人の家に生まれながら、家督を継げぬからと送り出された末子たちもいる。
彼らの境遇に共通するたったひとつのことが、皇子殿下にはついぞ理解できなかったらしい。
「毒ばかりのこの国で、皆様は何を学び、いずれ祖国でどのようなお立場になるのでしょう? 殿下、おわかりになりますかしら?」
皇子殿下が「わたくしの茶会」の意味すら知らないだなんて、誰も思いもよらなかった。
あれこそがこの学園の「授業」だというのに。
観賞用とはよく言ったものだ。たった一度の授業で怖じ気づき寮へ引きこもった彼のことなど、春祝いでもなければ誰一人近寄りもしない。
「この学園は、毒見役を育てるための教育機関なのですよ。毒を食するなど初歩の初歩。身をもって症状を知り、耐性をつけ、対処法を学んでゆく場所です。もちろん、すべての者がすべての毒を克服できるわけではありませんわ。だからこそ茶会からはじめるのです。明日の春祝いにはたくさんの料理が並びます。初年度には致死量のサラダだったものが、卒業する頃にはゆっくり最後まで味わえるようになる。そこまでたどり着いてやっと、堂々と故郷へ戻ることができます」
わたくしの通称は、蔑称どころか尊称なのだ。
学園の生徒たちが目指すべき姿として、わたくしはこの学園に籍を置いている。学ぶ内容がこれだから生徒にも教師にも年齢制限などない。公家のなかでも一番の耐性を持つ者が在籍する習わしで、わたくしは五歳からこの学園にいるのだ。
まあ、毒に強いどころか毒なしの食べ物はまずいとさえ感じる公女は外交向きではないし、ね。
社交や旅につきものの食事を楽しめないのだから。
ともかく、それほどの耐性を持つ身で、他国からの婿入りなど成立するはずもない。
今回はお兄様が留学していた頃に付き合いのあった皇太子の頼み(というか、帝国の規模からすればほぼ命令)だったから、縁談まがいの話を受けたわけだけれど。
今さら青ざめる皇子殿下があまりにも哀れで、思わずうふふと笑みをこぼした。
「春祝いは、我が国にとって何よりも重要な祝祭ですの。遅刻も欠席もするわけには参りませんから、本日はこれくらいに致しましょう。……よい春を迎えられますこと、お祈り申し上げますわ」
翌日、皇子殿下が部屋からお出になることはなかったらしい。ひとつの菓子だけを延々食べて肥え太り、もはや観賞にも堪えなくなったと友人たちは大げさに嘆く。
「お聞きになりました? あの方、最初の茶会でいただいたお菓子以外は口にしようとなさらないのですって!」
「あらあ。けれどあれは、中和剤になるお茶と食べあわせなければならない、と、決められておりますのにねえ」
わたくしとしては、予想通りとしか言えない。
「高い依存性と幻覚作用を持ち、脳の機能を低下させる。あの夕べは、おそらく酩酊状態にあったのでしょうね」
友人たちはそれでやっと先日の醜態に納得したらしい。
「道理で堂々としていたはずです」
「それでもですわ! 酔っていたから、で済ませられる範囲を逸脱しているでしょう!」
「そうですわねえ。国外では自白剤に使われる成分を含んでおりますし、あれがあのお方の本音なのでしょうねえ」
「そろそろ退学の手続きも終わる頃ではありませんか?」
腹違いとは言え実の兄に追放された身で、行き先などあるのかしら。
「あのお方なら、流浪の役者でも食べていけそうね」
お兄様や友人いわく、わたくし以外には致死量のサラダとやらを楽しみながら、ちょっとした思いつきを口にする。
「だって、ずいぶん劇的な口上でしたもの」
友人たちが大真面目にうなずいた。
「ええ、ええ。ほんとうに」
喜劇的でしたわねえ、というひとりの声を皮切りに、昨夜の出来事が物語だか脚本だかになってゆく。小さなことさえこんな遊びにしてしまうのは、長すぎる冬を家のなかで過ごすからだろうか。
わたくしは前菜を食べ終えて次はどんな毒を味わえるものか予想した。
低木が葉を揺らし、咲いたばかりの花が香る。
春の訪れを祝う歌声が、そこかしこで響いている。
ありがとうございました。
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