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 日もだいぶ傾いてきた頃に起き出した少年は、もそもそと誰もいない家を出る。


「肉、牛乳、カリフラワー、カボチャ……」


 いつものように市場を巡りながらぶつぶつと買い物メモを確認していた少年は、目の前の人影にぶつかりそうになって慌てた。


「おお! 何かいると思ったら、臆病なチビ助じゃあないか!」

「ちっこ過ぎて全然気付かなかった!」


 路地裏から、わらわらと少年たちが出てくる。少年はむっとするも、皆が少年より大柄なのは事実であるから言い返せない。

 それもそのはず、彼らは皆、少年より年上で、成長期真っ盛りだった。


「おい、なんか良いもん取ってこれたのか?」

「……」

「なんとか言えよ」

「また失敗したのかよ」

「やっぱ無理なんだよこいつには」


 ぐっと歯を食いしばっていた少年は、押し殺した声を上げた。


「……ごめん、エンリケ」

「……」


 笑っている子供達の中で一人だけ、黙ったまま少年を見下すエンリケは、言い出しっぺの癖にその整った顔をピクリとも動かさない。

 少年に、嫌がらせとしか思えない気まぐれな「お使い」を言い渡したり、誰かを無視したり、かと思えばどこぞの喧嘩に加わって相手をボコボコにしたり……その癖、いつも他人に興味がなさそうに澄まし顔で別の場所を見ている。

 他の皆はそんなエンリケをカッコ良いと慕うが、少年はそんな彼が嫌いだった。


「別に」


ーーほら、やっぱり。


 いつものように、興味がないとばかりに踵を返したエンリケは一度も振り返らない。代わりに、他の少年たちに取り囲まれる。


「なんだこれ」


 少年が熱心にみていたメモに、彼らが目をつけないはずがなかった。


「お前、俺たちのお使いよりもこっちのお使いの方が大事なのかよ」

「だからいつも失敗してくるんじゃねえの?」

「うるさい! 返せ!」

「うわ、チビ犬が吠えてる」

「そんなにこれが大切なのかよ」


 そう言って笑った一番大柄なマイクは、それをクシャクシャにして水溜りに投げ捨てた。少年が飛びつく前に、取り巻きがそれを無惨にも踏み潰す。

 それを見て一通り笑った少年たちは、満足したのかやっとエンリケの後を追っていった。


「……」


 無言でびしょ濡れの紙を拾い、破れないように広げてみたが、ほとんどの文字が潰れてしまっている。

 唯一、残っていたのはーー


「……生姜」




 その日、少年は日も暮れただいぶ暗い時間にやってきた。


「まあ、来てくれたのね。もう来ないのかと思ったわ」

「……」


 いつもよりはしゃぐその声に、少年は顔を上げることができない。俯いたまま無言で袋を差し出した。


「どうしたの?」

「……メモ、失くしたから、覚えてた分しか買ってこれなかった」

「あらあら、それで落ち込んでたのね」


 淑女はなんてことないとばかりに少年の肩を叩いた。


「大丈夫よ。あなたが来てくれるだけで、私は十分楽しいし、嬉しいのよ」


 少年の足元に溢れたそれに、淑女はそれ以上何も言わない。ただあやすように背中を叩いた。


「生姜、買ってきてくれたのね。早速紅茶を淹れましょう」


 そして広がる生姜の香りに、出てきた瞬間に手が伸びる。そっと啜れば、美味しい美味しいとこれを飲んでいた祖母の姿が目に浮かぶ。

 それはとても温かな思い出で、ほっと一息つけばすぐに眠気が襲ってきた。


「大丈夫だからね。ゆっくりお休み」

「うん……ばあちゃ、」


 少年は、安心したようにとろとろと眠りに落ちていった。


ーー夢を見た気がする。


 淑女の声が聞こえてきたのだ。


「ああ、帰ってきてくれたのねえ」


 とても、とても嬉しそうな声。

 脳裏に浮かぶのは、15歳で止まったままの男の子。


ーーああ、俺は。


「ずっと待ってたのよ、ヤコブ」


ーーヤコブの代わりだったのか……。


 夢の中でも寝たフリをしていた少年の意識は、また沈んでいった。




 しばらくして目を開けると、そこに見知らぬヤコブの姿はなかった。淑女は、本を片手に今日も木椅子でこっくりと船を漕いでいる。そのうちまた悪夢で目を覚ますだろうが、それまでは束の間の休息が必要だった。


「うう……やこぶ」


 ここでもまた、ヤコブである。

 少年は、黙ってソファから起き上がり、クッションを首に添えた。




 それから数分もせずに、予想通り、さらなる悪夢に魘され始めた淑女を起こす。


「ああ……おはよう、ヤコブ」

「……違うぞ」

「え? ……あらごめんなさい。見間違えちゃったわ」

「エヴァンだ」


 キョトンとした淑女に、少年は念押しするように言った。


「俺の名前、エヴァン」


 淑女は、嬉しそうに目尻に皺を寄せてくれた。


「そう……エヴァン、エヴァンね。私は……アグネスよ」

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