侵入
暖かな目で、ご覧ください。
「……そこにいるのは誰? ヤコブ?」
ーー皆眠っていると、思っていた。
さっと冷水を被せられたように背筋が凍る。一瞬だけ固まった少年は、数分前に侵入してきた窓を仰ぎ見た。
その脱出口に向かうには、声の主がそっと開いた扉の前を通らねばならない。事前に頭の中に叩き込んでいた地図を開くも、他の窓は大通りに面しているものばかり。深夜とはいえ、大通りを歩くのはリスクが大きいが、そうも言っていられない状況だ……少年はしばし逡巡していた。
「あら? あなた誰かしら」
その間に、寝室であろう部屋からはそっとこちらを伺う視線が出てきていた。思わず少年はそれを見てしまい、視線がばちりとぶつかった。
ーー逃げないと!
「待って待って。通報しようとか考えてないから」
しかしあろうことか、その視線の主は一目散に踵を返した少年を引き留めた。
ーー嘘つけ!
少年は構わず、大通りに面した窓に手をかける。
「……嘘だろおい!」
思わず声を出して、開かない窓を意地でも開けようと揺さぶった。
「ああ、そこ閉じられてるから開かないわよ」
家主はなんてことないとばかりに言う。
それでよくよく目を凝らしてみれば、窓縁が外からわからないように打ちつけてあった。
ーー終わった。
ふうっと息が出て、少年は蹲る。後ろから来るランプが、絨毯に映る影を揺らめかせる。
「大丈夫? お茶でも淹れましょうか」
上から降ってきた呑気な声に、少年はのろのろとその顔を上げる。
50歳くらいだろうか、淑女然とした痩せた女が、目尻に皺を寄せて微笑んでいた。
「ね、あなたずいぶん若いけど、何歳? 12歳くらいかしら?」
「……」
「聞いてる?」
少年は黙り込み、じっと湯気の立つカップを睨んでいた。対するその淑女は、それには目もくれず少年の顔を覗き込む。
「っう、うるさい」
視線から逃げるように、少年は紅茶に映る自分の顔を覗き込んだ。赤い顔は、影の中で怒ったように歯を食いしばっている。
「……何なんだよあんたは」
「何って、見ての通りのおばあさんよ。目が冴えちゃって、ぼんやりしてたの」
けろりと言ってのけた淑女に、少年は顔を上げ、疑わしいとばかりの視線を送る。
彼の祖母よりは少し若いが、目尻の皺が多いところはどこか似ている。カップを取ってから再び戻す、その一連の動作は一つ一つ丁寧で、気付けば少し尖った顎をゆったりと撫でている。光る目は少年を面白そうに見ていて、彼は思わず目を逸らした。
「それで、お名前は?」
「……」
再び、少年は口を閉ざす。よく知らない人物に、無闇に情報を与えてはいけない。
「身なりはそこそこ良いわね。どこか裕福な家の子かしら?」
「っ……」
ぐっと唇を噛み締め、意固地に口を閉ざした少年に、淑女はニッと笑った。先程の穏やかな笑みとは違う、意地の悪そうな笑みだ。
「図星だね。うーん、この辺りだと……」
「っうるさい! 俺は関係ない!」
短気な少年の突然の爆発に、淑女は焦りもせず「シー」と指を立てて息を吐く。
「静かにしないと、隣の人が起きちゃうわ。マーシャはそういうのに敏感なのよ」
その言葉にぐっと言葉を飲み込めば、再び夜の静寂が辺りに染み込んでくる。
「……俺をどうするつもりだ」
恐る恐る口を開いた少年に、淑女は何やらぶつぶつと考える。
「そうねえ……バレたくなければ、私の頼みを聞いてもらおうかしら」
ーー来た。
静かなその声に、少年は体を強張らせていた。