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自作小説倶楽部 第19冊/2019年下半期(第109-114集)  作者: 自作小説倶楽部
第110集(2019年8月)/「夏の虫」&「逢瀬」
9/30

04 深海 著  逢瀬・夏の虫 『蛍籠』

挿絵(By みてみん)

挿図/Ⓒ 奄美剣星 「絵巻」




「今夜もよろしくね」


 佳紫子(よしこ)が格子を下げると、御簾の向こうにいる御方が腰を上げた。

 左大臣家の姫である女主人は、いそいそと単衣を脱ぎ捨てて、自ら少年がまとう水干に腕を通し、ぬばだまのごとき長い黒髪をひとつに結わえた。その手際の良さに佳紫子(よしこ)は呆れた。


「姫様、またもや、おしのびでございますか?」

「ええ、藤吾さんに笛を教えてもらうの」

 

 まったく、はしたない。

 幼なじみにして、長年側仕えを務める佳紫子(よしこ)が文句を言い出す前に、姫は御簾(みす)の向こうからさっと這い出てきた。急いで襖を開け、後は頼むと部屋から出ていく。持ち物は横笛一本。それだけだ。

 この数ヶ月というもの、姫はあずまの国から流れてきた武士に夢中である。右大臣家が雇った用心棒で、若君の護衛についているらしい。実直で真面目な人らしいのだが、笛をたしなみ、その腕前は相当なもの。右大臣が時折、宴に呼んで吹かせるほどだという。

 出会いは、必然であった。

 右大臣家の若君はしばしば姫のもとへ通ってくるのであるが、武士を守るためについてきたのである。

 若君は鼻高々、こやつは笛の名手なのだと姫に彼を紹介し、その腕前を披露させたのであった。


「ほんと、あそこの若様は、少々どころじゃないお馬鹿さんですわね」


 姫はたちまち、見目良い笛吹き武士に惹かれてしまった。それ以来、しばしば男装して、こっそり近くの神社で武士と逢瀬を繰り返している。

 少年に身をやつした姫には、佳紫子(よしこ)の弟がつかず離れず護衛につく。だから姫の身の安全を心配することはないのだが――


「毎回、朝帰りになるのはちょっと……。ここに通えるほどのご身分ではない御方に執心するなんて、困ったものです」

 

 やんごとなき姫たるもの、その身分にふさわしい公達が通ってくるのをただただ、私室で待つものである。こちらから会いにでかけるなど、実に卑しい行為であるのに。

 佳紫子(よしこ)はため息をつきながら、御簾の向こうに入った。脱ぎ捨てられた単衣(ひとえ)をきちんと畳み、一番上に羽織る唐衣(からぎぬ)だけ、自分のものと取り替える。真紅で鶴の透かし織が入った見事な錦だ。

 今宵もまた、姫のふりをしなければならない。

 脇息にそっと肘を置いた佳紫子(よしこ)は、背筋をぴんと伸ばして台座に座した。

 ほどなく襖が開けられて、快活な声が部屋に響いた。


「姫! こんばんは! ねえ見て下さい! 見て下さいよ!」


 右大臣の若君だ。姫より五つ年上のはずだが、実に無邪気で屈託のない人である。彼は挨拶もそこそこに、御簾の前に何か細長いものを置いた。

 御簾から透けてみえるそれは、麦わらを編んで作られたものらしい。細やかな編み目は巻き貝のような模様に編まれていて、美しい螺旋を成している。


「あら、それはもしかして」

「ふふっ、灯りを消しますね。そうしたらよく分かりますから」


 若君は部屋の灯りを吹き消した。しかし部屋は真っ暗にはならなかった。若君が持ってきた細長い螺旋を成すものに、襖に描かれた松の絵がほのかに照らされている。螺旋の筒は、なんとも淡く柔らかな光を放っているのだ。

 目を細めて眺めているうち、それがゆっくり明滅し始めたので、佳紫子は思わず、まあと声をあげた。


「蛍ですのね?」


 うっかり姫の声を真似るのを忘れてしまった。佳紫子は慌ててごふんごふんと、風邪で声がおかしいのだと言いたげに咳き込んでみせた。


「今日、川で取ってきたんですよ。姫に見せたくて」

「わ、わたくしに、ですか。ありがとうございます」

「いっぱい取ってきたんです。だからこんなに大きい蛍籠を作ったのですよ」

「ほ、本当ですね。両手で抱きかかえないといけないほど、大きいですわね。って、もしかして若君が手ずからお作りになったんですの?」

「そうですよ。籠の編み方は色々あるんですが、これが一番綺麗かなと思って。虫取りってほんと楽しいんですよね」


 蝉に鈴虫、こおろぎにきりぎりす。

 指折り数えているらしい若君に、佳紫子は苦笑した。

 虫を持ってくるのはこれが初めてではない。カブトムシだのトンボだの、毎回のように捕まえたものを見せにくる。甘いお菓子を持ってきたり、面を被ってごっこ遊びをしようなどと誘ってくることもある。歌詠みや雅楽などはまったく興味がなさそうで、蹴鞠をするときはしごく本気で勝負する。奔放で、人を疑うことを知らない。

 この人は実に無邪気で幼い。御簾ごしにうっすら見える顔も童顔だから、醸す気配はまるで十かそこらの少年のよう。腕白小僧といった風情であるので、姫は、頼りない人だと感じてしまうのだろう。決して悪い人ではないのだが、佳紫子も、この人はもっと大人になったらよいのにとしばしば思う。いや、これはありがたいことと思うべきか。若君の幼さはいつも、格好の言い訳になるのだから。


「本当にあなた様は、幼い子どものようですわ」


 佳紫子はつんと澄まして言い放った。呆れかえった反応をして、御簾の中には決して入れず、早々にお帰り願う。そんな、いつもの手順を踏もうとした。


「わたくし、かように子どもっぽい御方とは……」


 しかし、彼女の冷たい声は途中ですぼんだ。


「あ……」


 蛍籠が激しく明滅したからだ。

 何事かと思いきや、たくさんの光の粒が、籠から一斉に飛び出した。まるできらきらまたたく星が流れ出てきたかのようであった。


「あはは、ありったけ取ってきたんですよ」


 その光の絢爛さに、佳紫子は息を呑み、しばし見とれた。部屋中に広がった光は明滅し、部屋にきらびやかな星空を成した。黄金色の輝きが、佳紫子の目を静かに焼いた。


「なんて……なんて眩しい……」

「お気に召しましたか?」

「え、ええ。言葉を失ってしまいました」

 

 よかったと、若君は明るく笑った。


「素敵な贈り物とお気持ちをありがとうございます」


 佳紫子が上品に頭を下げると、御簾の向こうから少し低い声が流れてきた。いつもとは雰囲気の違う、真摯な声が麗々と。


「いつもあなたのいるところを、照らしたいです。どんなに暗い夜でも」

「えっ……」


 いつもの若君らしからぬ言葉に、佳紫子はどきりとした。若君が近づいてくる。今にも御簾を押し上げてきそうなぐらい近くに来る。


「お、お待ちください」


 佳紫子は焦った。難癖をつけて突っぱねなければ。早々に帰ってもらわなくては。

 どきんどきんと心臓が早鐘を打つ。その鼓動に合わせて蛍が明滅する。

 どきんどきん。きらりきらり。どきんどきん。きらりきらり……


「中に、入っていいですか」

「い、いや、だ、だめで……」

「いいですよね、佳紫子さん」

「ええっ……!?」


 姫では無いことがばれている? 佳紫子はたちまち固まり、ぼたりと扇子を落とした。

 御簾が上がる。若君が楚々と入って来て、満面の笑顔をこちらに向けてきた。


「あは。やっと入れました。ああ、こわがらないでください。姫じゃないことは、始めから知ってましたよ。うん、何ヶ月も前から」


 若君は、握っている右の拳をそっと佳紫子の前で開いてみせた。

 小さな蛍が彼の手の中にいた。


「僕、藤吾に姫と逢い引きするように命じたんですよ。姫を家から引っ張り出して欲しいって頼んだんです。だって僕が会いたいのは……」


 わずかに伏せられた瞳に、蛍の光が映り込む。

 佳紫子は呆然とその光を見つめた。そっと手を伸ばすと、若君は蛍を彼女の手に移してきた。ひとこと、囁きながら。


「好きです、佳紫子さん」


 どきん。

 佳紫子の鼓動がまた、光の明滅と重なった。

 きらりと、まばゆく。


 

 

 蛍籠 ――――了――――

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