03 奄美剣星 著 川・海 『考古学者の食卓』
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「貝刃」
「久しぶりにつきあえよ」
同業の旧友からそんな電話があって、僕は田舎に帰った。海の日だった。
駅に迎えにきた旧友は、家に直行せず、海へ向かった。
駐車場に車を止め、堤防に上がると、海水浴場の砂浜が臨めた。
長さ数キロはあるだろう砂浜なのだが、浜茶屋のような気の利いた施設はなく、地元の学生たちと見物人が、ビーチ・バレーの大会をやっている一角だけが華やかだった。
海水浴場は、隣接した漁港・防波堤に寄った幅二百メートル、奥行き三十メートルほどの区画だ。ブイにトラロープが巻きつけられ、海面が腰になったあたりまでが遊泳区画で、その外側は、すべてサーファーたちの領域になっていた。
「海で泳ぐというよりは、子供たちが波打ち際で水遊びをするって感じだな」
「津波があったからね。海底地形が変わったらしい。それに子供たちも、昔と違ってあまり泳がなくなった。……というか、子供自体が少なくなったし」
センチメンタルな話題をつまらないと思ったのだろう、旧友は話題を変えた。
「この辺で、いい魚屋を見つけたんだ。ちょっと寄っていく」
震災のあと、突貫でこしらえた防波堤を降りてすぐの駐車場に、真新しい更衣室があった。更衣室の裏手に外付けの足洗い場があり、僕らは足の裏についた砂を落とした。
魚屋は駐車場を出て、そう遠くないスーパーの横にあった。こじんまりした店だが、案外と品数が多い。驚きだったのは、高級食材のアワビが一個百円弱だったことだ。そのあたりの事情について、店の親爺さんに聞いてみると、こう答えた。
「高いのは料亭で使うものだけさ。一般向けならこんなもんだよ」
そういうものなのか。
旧友が親爺さんに聞いた。
「あれ、アンキモがなくなったね」
「アンキモかい、昨日、みんな売れちまったよ。ここの船の解禁は、あと一か月先だ。漁場は限られているからね、港ごとに、漁獲割り当ての期間が決められているのさ。今は、カツオとカジキマグロ、それからイカの刺身がお勧めさ」
旧友は、僕に、フランス料理のフォアグラ・ソテー風にしたアンキモ料理を食べさせたかったらしい。けれども、ないものは仕方がない。
「ならイカを四つ」
*
学芸員になった旧友は、亡くなった彼の祖父の家に一人で住んでいて、そこから勤務先の資料館に車で通っていた。住まいは、少し古びてはいるが、洒落たログハウスで、画家だった故人のアトリエでもあった。ほのかに絵具の香りが残っていた。
「この辺にある縄文時代の貝塚からは、カキやハマグリが多く出土している。ハマグリの貝殻を見ていたら、貝刃があった。レプリカを作ってみた」
旧友は包丁を使わない。自作の石器で調理し、庭で焼いた土器で、ソテーやらスープをこしらえる。
貝刃というのは、石器の要領で貝殻を素材にこしらえた、ナイフの一種なのだが、案外と切れた。そいつで、イカの触手を解体して刺身にし、素焼きの皿に載せた。内臓は土鍋に載せて焼いた。
「土器は大洞式土器を模している」
大洞式土器は、縄文時代後・晩期のもので、別名を亀ヶ岡式土器という。江戸時代から美術品として好事家たちに愛され高値で取引された。縄文の器面を磨りけして、「工」の字をした縁取りをした優美な意匠がある。
飲み物は密造葡萄酒で、甕に山葡萄を突っ込んで発酵させたもの。アルコール度数は五度かそこらで、通常のワインの三分の一だ。
イカの触手部分の刺身を平らげたところで、オリーブ油を敷いた土鍋で内臓を焼き、仕上げはバジリコを振りかけただけ。木製の匙ですくい取り、土器皿に載せた。
「アンキモのソテーの代わりだ。イカの内臓に近い味がするだろ」
イカの内臓といえば、イカスミのパスタを思い浮かべるが、スミを含めたそれらをまとめて焼くと、アンキモにもウニにも似た味がする。
旧友は僕にこんな話をした。
「いま、『料理の考古学』という本を書いている。書きあがったら送るよ」
考古学というものは、新しい発見があるたびに、古い仮説は破棄され更新されていく。これから述べる話も、現状での仮説をまとめただけにすぎない。
*
一千万年前、アフリカにナカリピテクスという類人猿がいた。それが八百五十万年前に、ウラノピテクスとゴリラに分岐、さらに七百万年前にサヘラントロプスとなって直立二足歩行しだす。チンパンジー程度の脳容量だが、サヘラントロプス以降、この系譜を人類と呼ぶ。猿人だ。そして四百万年前、アウストラロピテクスが出現する。アウストラロピテクスは、ライオンなどが倒して食べ残した草食獣の死骸をあさっていた。
ここまでが古人類学の領分だ。
以降が、人類が道具を扱うようになってからの考古学の領分となる。
アウストラロピテクスは、骨髄が好物で、二百四十万年前から石で獣骨を砕きだす。
そして、二百万年前、人類は新しいステージとなるホモ・エレクトスに進化する。原人だ。ホモ・エレクトスは、加工した石器であるハンドアックスを手にして、初めてアフリカの外へと出て行った。アフリカ北部から中東に、そこから一部は欧州へ、さらに一部は海沿いにインド、インドシナ、中国へと向かう。インドシナのホモ・エレクトスはジャワ原人、中国のホモ・エレクトスは北京原人と呼ばれた。
ホモ・エレクトスは、初めて火を道具として使用した人類だ。――ということは、焼き肉を発明した人類だということになる。
四十万年前に出現した旧人と呼ばれるところのネアンデルタール人は、二十万年前にルヴァロワ尖頭器と呼ばれる石槍と服を発明した。しかし料理という面でいうと、あまり見るべきものがない。七万年前から一万五千年前までを最終氷期というのだが、ネアンデルタール人は、過酷になっていく自然環境に耐えきれず、四万年前に絶滅した。
ネアンデルタール人が絶滅した四万年前あたりから最終氷期が終わる一万五千年までを後期旧石器時代といい、現生人類ホモ・サピエンスが、次々と新型石器を生み出すとともに、テントを発明して、洞窟以外の場所にも居住できるようになった。
そしてついに一万五千年前に最終氷期が終わる。以降は中石器時代だ。
人類はカヌーを発明し海へ出た。そして銛や釣り針、網を発明して、魚介類を食べるようになった。つまり刺身や焼き魚が食卓に上ったわけだ。
磨製石斧を使うようになる新石器時代は地域によってかなりのばらつきがある。中国の石器時代は八千年前というから、日本の場合はこれに準じて八千年前あたりになるか。炭素C14測定の精度が上がって弥生時代がは三千年前に遡っている。つまり八千年前から三千年前までが新石器時代になるわけだな。
この時代から大陸では穀類を、日本では栗や団栗といった硬果類を、パンにして主食とするようになった。
――ここでパラドックスが生じた――
日本では、新石器時代の要件の一つである土器が、一万六千年前に発明された。縄文土器だ。
他方で、中国の奥地ではさらにもう少し古い土器が発見され、シベリア・アムール川流域でもやはり見つかっている。
そうだとすると、後期旧石器時代に土器が発明されたことになってしまう。ゆえに中石器時代・新石器時代の定義がゆらぐパラドックスになったため、見直しの必要が生じた。
とにもかくにも土器の発明で鍋料理が生まれ、さらにソテーも生まれたというわけだ。
*
そんな色気のない話を肴に、東の空が白々と明けるまで延々と喋り続けた男二人の宴だった。
ノート20190729