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自作小説倶楽部 第19冊/2019年下半期(第109-114集)  作者: 自作小説倶楽部
フィナーレ
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00 フィナーレ/奄美剣星 著  『百年戦争英雄譚 リッシュモン大元帥』

挿絵(By みてみん)

挿図/Ⓒ 奄美剣星 「リッシュモン大元帥」




 淑女ならびに紳士の皆様、今宵も当劇場に足をお運び戴き誠にありがとうございます。私は当一座の座長。今宵当一座の名優たちが演じますのは、英仏百年戦争時代を終わらせた男、「正義の人」の異名をとるリッシュモン大元帥(1393-1458)の物語であります。ついつい同時期に活躍したジャンヌ・ダルクの華やかさに目がいくのですが、本当の意味でイギリス軍撃破に成功しフランスに勝利を成し遂げたのはこの人でした。


               *


 一四二九年五月。

「ジャンヌ・ダルク? その娘の軍勢が、司令官アランソン公に協力してオルレアンをイングランド軍から奪還しただと? 愉快、ああ、実に愉快だ!」

 翌六月。

 ロワール川流域にイングランド軍が集結し、態勢を立て直そうとしていました。それをさらにアランソン公とジャンヌ・ダルクの軍勢が掃討しようとオルレアンから出撃しました。

 間もなく三六歳になる「正義の人」リッシュモン大元帥は、騎兵隊二千と弓兵八百の手勢を率いてその娘に合流しようとしておりました。大元帥はブルターニュ公国領主一族で、公国住民はケルト系のブリトン人、付き従うのも公国ゆかりの勇士たちです。

 対して、アランソン公と幕下のジャンヌ・ダルクたちは帷幕のテーブルを囲んで僚友諸将と、大元帥とその手勢を自軍に迎えるか否かを協議しました。本来ならば諸将がもろ手を挙げて大元帥を歓迎すべきところなのですが、フランス王国は当時、深刻な宮廷闘争のただ中にありました。

 宮中の実権を握る侍従長ラ・トレモイユが、掌中にある気弱な王太子シャルルを焚きつけて、剛直な大元帥を追放していたのです。

 侍従長は王太子の命であるとして早馬を送っていました。


 ――大元帥の合流を許すな。場合によっては一戦を持しても良い――


「王太子殿下の御命令とあらば……」アランソン公とジャンヌ・ダルクは仲間の将軍たちに胸の内を伝えますが、古参の将軍たちは、「侍従長は私服を肥やすだけの俗物。おのが権勢を揺るがせかねない大元帥を権力の中枢から追い落とした。勝利を確実にするには、侍従長よりも大元帥に従うほうがいい」という意見が多数を占めました。


               *


 まずはフランス王国軍のアランソン公がモン橋を奪取し、ボージャンシー城を包囲。そうはさせぬと英国軍が北から救援に押し寄せてまいりましたが、要衝のモン橋をフランス側に押さえられてしまったので断念。北のイル・ド・フランス方面に撤退を試みます。

 リッシュモン大元帥を加えたフランス軍は、大元帥が率いてきた騎兵隊が前衛に、大元帥やジャンヌが後衛となり、イングランド軍を追撃しました。

 ここでイングランド軍は大逆転の秘策を思いつきました。

「街道をパテーの町に向かって行くと途中に森がある。わが軍は前衛隊、砲兵隊、輜重隊、主力部隊、殿軍で構成されているが、まず森に輜重隊や砲兵隊を隠して陣地を構築する。次にその手前にある街道の両側沿いには生垣があって、弓兵隊を潜ませるには格好な場所だ。

 弓兵隊による奇襲が成功したら、殿軍と本隊とで、フランス軍に斬り込む。そうすればフランス兵は恐れおののき後退。背後にある絶壁の谷から落ちて全滅だ」

 ですがこのときイングランド軍にとって不運な出来事が生じます。フランス軍斥候が戦場を見回ったときに森から一頭の鹿が飛び出てきて、その際イングランド兵があろうことか歓声を上げた。このためフランス軍は敵伏兵の存在を知り、イングランド側の目論見は水泡に帰しました。

 フランス軍騎兵を率いていたのはラ・イル将軍。この人と一党は、戦闘時は頼もしい傭兵隊長だが、平時になれば野盗と化して村々を襲うワルで、騎士道精神というものは持ち合わせておりません。イングランド長弓隊隊列が弓を発射する前に、名乗りもあげず、隊列も整えず野盗そのままに、わさわさと殿軍に襲い掛かってイングランド軍の後方を塞ぎ、呼応してフランス軍本隊と、イングランド軍本隊を挟み撃ちにしてしまいました。

 対してイングランド本隊軍は前衛と合流してピンチを切り抜けようとしましたが、前衛は本隊が撤退したと勘違いして隊伍を瓦解、さらに本隊もパニック。そこをフランス軍本隊が襲って壊走させることに成功します。

 この野戦によって英国側のボージャンシー城は開城しました。

 ところが直後、侍従長に操られた王太子シャルルは、再び大元帥を戦場から追放し、七月のランス戴冠式にも招待しません。


               *


 翌一四三〇年、ジャンヌ・ダルクは、英国側に与していたフランス王族・ブルゴーニュ公の軍勢に捕獲され、身柄が英国に引き渡され、さらに翌年の一四三一年に処刑されました。ジャンヌの僚友であった将軍たちは、独自に奪還を試みたものの失敗。そして結局、侍従長ラ・トレモイユと、王太子シャルル改め国王シャルル七世はジャンヌを見殺しにしました。そのため国民の批判が二人に集中し権力基盤が揺るぎます。それにより復権した大元帥は、一四三三年、侍従長を逮捕投獄し失脚させました。


               *


 国王は、失脚したラ・モトレイユの悪事の数々を知り、対してリッシュモンに私利私欲がないことを理解し信頼するようになります。するとリッシュモンはここで長年胸に秘めていた大軍事改革を断行します。

 戦闘が終わればお払い箱になって野盗と化す傭兵たちを、常備軍にして、税金から給料を支払うという画期的なシステムを完成させるというもの。この際、虎の子のブリトン人騎兵と弓兵隊が、勅令隊・国民弓兵という常備軍の中核となり、これ以後、占領地での略奪はほとんどなくなったといいます。

 そして一四五六年、シャルル七世を認めなかったパリ市民が、その人を国王として迎え開城。さらに二年後、リッシュモン大元帥は薨去しました。


 それでは淑女ならびに紳士の皆様、今宵の舞台はここまで。次回のご来場を団員ともども心よりお待ち申し上げます。

          ノート20200131

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