01 奄美剣星 著 夕刻 『河原院の怪異』
秋の月夜。
荒れ寺の僧坊横の草むらから若い女の悲鳴があがった。女は用を足しに行ったのだ。
僧坊に駆けつけ夫は、妻が扉の奥に引き込まれてゆくのを見た。だが、引き込んだ者の姿は見えない。
夫は、扉を開けようとしたのだが、内側から錠が掛けられて閉ざされた。そこで扉を蹴ったり体当たりをしたりしてどうにか内部へ突入できた。このとき夫は暗闇の奥で光りを放つ人の姿を見たのだが、それは一瞬ですぐに消えた。夫が松明で中をのぞくと、干からびた女の遺体が梁天井から吊りさげられているではないか。
怪異の仕業だ! 変わり果てた妻は血を吸いつくされたのだ。先ほどの光りを放つ者にやられたのに違いない。
*
「……なるほど、東国から京へ上ってきた御主人と奥さんは祇陀林寺で一夜を明かそうとした。ところが御主人が馬を繋いでいるとき、奥さんが用をたそうと僧坊横に行った。このとき僧坊の戸口が開いて中に引き込まれた。ご主人が扉に体当たりして中に踏み込んだものの、すでに奥さんは怪異に血を吸いつくされた後だった」
――これはいかん――
若い夫から事情を聞いていたのは看督長の夏山茂樹だ。看督長は、赤狩衣、白衣、布袴に白杖といった、当時としては異形の装束をしていた。
後白河帝の御代、京都の警備を担っていたのは検非違使と北面ノ武士の二つだ。検非違使は従来からある宮中直轄の官だが、対する北面ノ武士は三代前の白河帝が創設した近衛兵のような官だった。このため検非違使は、検非違使別当・権大納言卿の配下であり、北面ノ武士の風下に立たされていた。
偉丈夫の夏山が不精髭をくしゃくしゃとかき混ぜ始めたとき、火長が調書を書き終えた。
看督長である夏山の麾下には火長と下部を合わせた十四名がいた。このうち火長までが正規の官吏で、下部は元罪人から採用した非正規職員だ。
帳面と筆を置いた火長が夏山に言った。
「祇陀林寺といえば河原院。河原院といえば昔から化物屋敷で有名、地元民はけして近寄らない。――ときどき事情を知らない、御主人のような旅人が怪異の難に遭う」
桂川河畔にある京都六条の祇陀林寺は、もとは河原院といった。河原院は、六条大路の南に面した四町とも八町ともいう広大な敷地をなす邸宅で、平安時代初頭、従一位左大臣にまで登った権勢家・源融によって創建された。その源融は、もともと嵯峨天皇の皇子であったが臣籍に下って貴族になった人だ。だが代を重ねるごとに次第と権勢は遠のいてゆき、このころの子孫といえば辺地の受領として命脈を保つのみであると夏山は聞いていた。
河原院は、源融没後、子の昇が相続したのだが、この人には広大な屋敷を維持するのが手に余り宇田上皇に献上されたため、仙洞御所と名を変えた。ところが宇田上皇は、昇の没後、手に入れたばかりの仙洞御所を昇の弟・仁康に下賜してしまう。
そのことに対する憶測がまことしやかに人の口に上った。
いわく。
上皇が河原院滞在中に融の怪異が現れ、「ここは私の家です」と言った。だが上皇は肝が据わっており、「お前の息子から貰ったのだ」と一喝したところ怪異は姿を消し、二度と現れることがなくなった。
さらに時代がくだると話は面白おかしくなる。
宇多上皇が、妃であるところの御息所京極氏と河原院に滞在しているとき、暗がりから融の怪異が現われ、「御息所がほしい」と言い放った。もちろん上皇は断った。だが御息所は昏睡状態に陥った。そこで上皇は、高僧を呼んで祈祷させたところ、御息所が息を吹き返した。――だが、この話には異説もあって、御息所は、そのまま息絶えたとも言われている。
*
平安京の市域はあまりにも広大であったため、造成期から後白河帝の時代に至るまで、ついぞ埋まるということがなかった。平安京は、市域北端の内裏から南端の羅生門に至る朱雀大路を境に、西側を右京、東側を左京と呼ぶ。
夏山茂樹は左京にある邸宅の一つを訪ねた。
いや、邸宅というよりは空地の草原に建った、河原院といい勝負のオンボロ屋敷だった。そのオンボロ屋敷にはやたらと蜂がいる。いや、いるというよりも飼っているらしいのだ。――異国では蜂を飼って蜜をとることを生業としている者たちがいると聞くが、日ノ本で、こんなことができるのは、あの方とその父君だけだ。
庭という名の草むらで、作務衣の上から網を被り、蜂の巣箱から蜜蝋を採取していた人の名を若御前という独身女性だ。若そうに見えるのだが、実のところ、いくつなのかは判らない。
父親は風流人として知られる太政大臣・藤原宗輔だ。宗輔は、式神を陰陽師のごとく蜜蜂を自在に操るという意味で、蜂飼ノ大臣と呼ばれた。
ゆえに若御前の異名は虫愛づる姫君だった。若御前は、父親から笛・琵琶・箏と、蜂飼いの業を受け継いでいた当時第一級の文化人であった。当時の貴婦人は眉を剃ってお歯黒染めをしていたのだが、若御前は因習を醜いとして拒否した。そういうところは千年先をゆく感覚の持ち主なのだ。
夏山と若御前とは、男女の仲ではなく、笛の弟子と師匠の関係にあった。
年齢不詳な男装の伶人・若御前はふっと笑った。
「夏山氏、卿は妖怪と幽霊の違いを知っているかね?」
夏山が怪訝な顔をしていると若御前が続けた。
「怪異には妖怪と幽霊とがある。妖怪というのは妖精、あるいは子孫が途絶えたことで祭祀してくれる者を失った一族の始祖・氏神が妖精化したものだ。これに対して幽霊は一般的な死者の魂魄だ。――妖怪は定まった場所で逢魔が刻に現れる。対して幽霊は場所や時間のしばりがない」
「逢魔が刻といえば日の出日の入りのころ。若御前はそこに本件の鍵があると?」
「左様、怪異によって妻の血を吸われたという東人が、河原院に入ったのは月夜の晩だったそうではないか。屋敷の主・源融が怪異の正体であるならば、氏神崩れの妖怪に相違ない。ならば東人の妻を襲ったのは幽霊だったということになる。だが怪異化したとはいえ氏神の縄張りに、格下である幽霊が勝手に入って許される道理はない」
――なるほど、やはり怪異の所業ではなく、人の仕業か!――
*
看督長である夏山は、麾下にいる火長と下部を合わせた十四名を率いて夜の河原院に踏み込んだ。
そこで一芝居打ち、若い下部の一人を女装させ僧坊の廃墟で用をたすふりをさせた。すると案の定、戸が開いて中から「怪異」の手が現れ、女装した下部が引き込まれかけたとき隠し持っていた匕首をズブリとその手に刺した。
「怪異」は悲鳴をあげてのたうち回った。「怪異」に化けていたのは盗賊だった。
夏山は捕縛した盗賊に尋問した。
盗賊いわく。
化物屋敷になっている河原院を根城にして女をさらっては河内の悪所に売っていた。東人夫妻がやってきたのはまさに鴨といもの。源融の怪異になりすまし妻をさらったのだ。また、梁天井に吊ってあったのは、たまたま己の人生に絶望した遊女の亡骸が、屋内にあってミイラ化したものである。盗賊はオブジェのごとく、干からびた遊女の亡骸を見て楽しんでいた。そして「光る者」については、追跡者をからかうための、ちょっとした仕掛けだと白状した。
仕掛けというのは、蓋にヒト形の窓を彫った円筒の奥に灯明を置いたものだ。これを暗闇の壁に向けると、あたかも光る怪異のように見えるというわけだ。
すぐに悪所に売られていた東人の妻が夏山らにより救出されたことはいうまでもない。
ノート20191030




