01 奄美剣星 著 音楽 『百光年あなたの歌が聴きたくて』
Ⅰ 恋太郎
「系外惑星の新発見をしたそうじゃないか、恋太郎?」
「一応、『ネーチャー』に論文を投稿してみたのだが、僕の発見は今どき珍しくもない。系外惑星は四千個以上も発見されている。あそこが採用してくれるかどうか」
『ネーチャー』は世界的な権威のある科学雑誌だ。また系外惑星というのは、太陽系以外の恒星系に属する惑星のことを指している。恋太郎と呼ばれた、平均よりもちょっとだけ背の高い男が発見した系外惑星は、百光年先で乙女座にあるものだった。
彼岸を終えたばかりの週末のことだ。天文台職員である恋太郎の官舎に、ノッポの男が訪ねてきた。来訪者は愛矢という恋太郎の幼馴染で哲学者だった。二人とももうすぐ三十だった。
官舎は1DKマンションで、ダイニング・キッチンには、簡素なリビングセットが備え付けられていた。
愛矢はソフアに、勧められもしないのに、どっかりと腰を降ろした。
「まあ、そう謙遜することはない。ハビタブル・ゾーンの系外惑星は希少だ」
「だが太陽系から百光年離れたところにある」
「百光年先か? なかなか遠いな。こないだ亡くなったホーキング博士の遺言で、百年先には環境変化とかで人類が滅びる確率が極めて高くなるから、リスク回避のために、地球外惑星に移住する必要があるとおっしゃっていたんだとか。――しかし百光年先といったら、ツイング・バイ航法しかできない宇宙船技術の人類がたどり着くには何十世代もかかりそうだ」
惑星にはガス惑星と岩石惑星とがある。ハビタブル・ゾーンというのは、地球型の岩石惑星で、水や大気を持った生命が暮していけそうな公転軌道に位置していることを指している。またホーキング博士という人物は、英国ケンブリッジ大学で教鞭をとっていた理論物理学者で、宇宙論の世界的権威だった。それからツイング・バイ航法というのは、紐を回転させ遠心力をつけて石を飛ばす投石器のように、宇宙船が惑星級天体の衛星軌道を利用して回転加速する航法だ。
愛矢はふと、食器棚に立て掛けられたノート・サイズのスケッチ・ブックに目をやった。画用紙にはセミ・ロングの若い娘の肖像画が水彩で描かれていた。
「ほう、なかなかの美女じゃないか。モテないおまえが、いよいよ身を固める気になったのか?」
「いや、トランジット法で乙女座の系外惑星を発見したとき量子コンピュータを使った。以来、夢にでてくるようになった美女だ。雫って名前をつけてやった」
「雫ちゃんか、儚げだな。――おまえらしいエア彼女の命名だ」
「夢の中の彼女は不思議な歌を歌っていた。どんな意味の言葉かは判らない。けれど素敵だった」
系外惑星調査は、直接観測と間接観測で行われる。直接観測は高性能天体望遠鏡で文字通りストレートに発見する方法だ。対する間接観測は、恒星が惑星によって生じるわずかな重力のブレとか、地球から見て対象とする系外惑星がありそうな恒星が直列したときをみはからって、その影を捉える間接的な方法だ。
トランジット法は、系外惑星が恒星の手前を通過するとき、恒星の明るさがわずかに暗くなる現象を利用し、明るさの変化から系外惑星を捉える間接観測だ。大半の系外惑星発見がトランジット法によってなされている。
二人は乾杯すると、金平糖を肴にして安物の国産ウイスキーを飲み始めた。
「愛矢、電波天文学って知ってるか?」
「地球外からやってくる電波を研究する天文学のジャンルだったな。恒星や惑星、星間ガス、銀河といった宇宙全体からくる波長 ――一ミリから 二十メートル範囲の――電波を、電波望遠鏡やレーダーによって観測するのが目的だっていう……」
「それら宇宙電波の中から系外惑星が発したものを拾おうという試みもあるのだが、現在のところ成功していない。けど僕は試みがいつか成功して、宇宙文明の音楽を聴きたいと願っている」
「そうだな、そうなるといいな」
二人は、一杯また一杯とボトルのウイスキーをコップに注いでいった。
Ⅱ 雫
百年後……。
天文学者・恋太郎が発見した、おとめ座の系外惑星である。そこには大気と水と生命、そして文明があった。
その惑星にある天文台だ。
恋太郎が妄想を描いた美女・雫が、若い女性天文学者として現実にいた。彼女は量子コンピュータをつかっての系外惑星「地球」の発見に成功していた。
上司である天文台の所長が、両手に紙コップのソフト・ドリンクを持って、「おめでとう、『地球』には文明があるみたいだね」と言いにきた。
すると、自分の席でノート・パソコンにデータを打ち込んでいた雫が手を休め、「そうであったらいいですね、何しろ百年前の光ですから、『地球』の知的生命体と文明がまだ残っているかどうか……」
所長は口髭を生やした初老の人だ。彼はふと、雫の机の本立てに、ノート・サイズのスケッチ・ブックに描かれた青年の水彩画が立てかけてあるのを見つけた。絵の人物は眼鏡をかけた流し髪の青年だ。
「ほお、あまた口説きにきた男どもを袖にした君が、ついに身を固める気になったのかな?」
「いえ、『地球』を量子コンピュータで解析したとき以来、私が見ている幻です」
天文台の所長と若い女性天文学者は笑って、紙コップのソフト・ドリンクを口にした。
一口すすった所長が話を続けた。
「現在の宇宙論『時空間理論』は大きく三つある。――一つ目がその瞬間にしか時間は存在せず、現在のみが実在し、過去も未来も存在しないという『現在主義・三次元主義』 二つ目が過去から現在までが存在しており、未来は人間の予想に基く仮想なものだという『成長ブロック宇宙論』 そして三つめが現在・過去・未来、同じ時空に同時に存在するという『ブロック宇宙論』だ。――このうち『ブロック宇宙論』の延長線上に、時間は流れておらず、止まった状態で現在・過去・未来が同時に存在しているという『スポット・ライト理論』というのがある」
「所長、そこまでくると、科学というよりは哲学ですね」
「そうかもな。けれども絵にした百年前の系外惑星青年と君とが、思念という『量子』情報で、スーパー・コンピューターを介し、テレパシーによるコンタクトをとっていたと仮定しよう。その場合、『スポット・ライト理論』はとても合理的に説明をつけることができるのではないかな?」
「ふふ、まるで空想科学小説みたい。――夢の中の彼は不思議な歌を歌っていました。どんな意味の言葉かは判らない。でも素敵でしたよ」
コンピュータは、物質の最小単位である量子を媒体とすることで、従来の電子よりもはるかに膨大な情報を瞬時に伝達することが可能になった。この量子には時空を貫くという説がある。テレパシーや予知能力はそこからくるらしい。
すると「スポットライト理論」「ブロック宇宙論」の手を借りなくとも、「現在主義・三次元主義」や「成長ブロック宇宙論」でも、百年前の系外惑星「地球」の天文学者・恋太郎とコンタクトしたことについて説明ができてしまうではないか。
だが、そのあたりの話をすると、所長は長くなりそうなので、雫は黙っていた。
所長が他の職員の席を回りだした。
雫は所長の背から絵の青年に目を移すと、紙コップのソフト・ドリンクを一気に飲み干し、それから再びノート・パソコンのキーボードを打ち出したのだった。
たぶん、天文台の外は満天の星だろう。
ノート20190928




