エピローグ
エピローグ 真実は虐げられる側にある マルコム・X
ワガツマ邸 三階
私とカイドウ、そして、テルとメイは向かい合う形で立っていた。右横にはアンとテルとメイとヨスミの部屋に通じる四つの扉が並んでいる。事件について語るには丁度いい状況と言える。
座るわけでもなく立っていた四人は少しばかりの興奮と緊張感を抱いている。気が立っていると言っても差し支えない。今この場で殺人事件がもう一つ起きても、誰も驚くことはないだろう。場合によっては全員が死んでも想定内で片が付く。
「保釈してくださったことについては。」
「また直ぐに戻ることになるのに感謝するとは、ずいぶん礼儀正しいものだな。」私は扉の方へと顔を向ける。「一時的だ。これはただのバグでしかない。」
瞬間の誤作動であればバグと片づけられるのか。直すことができなければバグは最早仕様なのか。
この事件は、いや、詫状業務は誰にとってのバグで、誰にとっての仕様なのか。
その意味を知るための最後の会話なのだろう。
ここに来るまでに、私はカイドウを呼び、少しだけ近くのコンビニの前で話をした。詫状業務について、ワガツマ四姉妹について、この事件について。
「これから事件について説明する。」私はテルとメイに目を向ける。「以降のことは当然、推理ではなく憶測の域を出ることはない。」
「ただ、まだ出てねぇってだけだ。」カイドウがテルとメイを睨み、唾を床に吐き捨てた。
「この推測を公庄會の本部にこれから報告するが、ある程度、信用性のある推測だと承認された場合、構成員をこの屋敷へ強制的に侵入させ調べつくす。」
「だから、バカみてぇにベチャクチャ喋らねぇで、てめぇらはさっさと詫状に一筆入れれば。」
「あなたたちの推理が合っているのであれば。」テルが顎を僅かに上げる。
「合っていると答えるだけですわ。」メイが同じようにわずかに顎を上げる。
カイドウが言葉を遮られ、歯ぎしりをする。聞きなれた音だ。むしろ安心すらする。
「緊張なさらなくて結構ですわよ。」テルとメイの指先が私の首に絡みつく。「首吊りにトラウマのある三流探偵さん。」
その瞬間、鼻息の荒くなったカイドウがテルとメイの手を片手でつかみ無理矢理離してみせる。引きはがすというよりも引きちぎる、否定するというよりも拒絶する、というように行動には大きな暴力性とそれを行使することで生まれる快楽さえ垣間見える。
このようなこともこれから見なくなるのか、とそんなことを考えながら視界に今現在の状況を映す。見渡しながらもどこか遠くから眺めるような感覚を味わう。
テルもメイも、それこそカイドウも同じ感覚なのだろう。
だからこそ、最後であるからこそ。
ここにいる全員から、勝ちたいという思いと下品さがにじみ出てきていた。
「てめぇらはさっさと負けて、親の脛でも齧っとけよクソ双子が。」
「あなたの喉に齧りついて引き千切ってあげようかしら。」
「齧りつく以外でしか口の使い方を知らないなら、お前の喉はいらないな。」
「そんなアカネコさんの喉はトラウマ一つで声も出なくなる貧弱な喉ではありませんか。」
下品上等だ。どれだけ下でも品があるのだから上等ではないか。
ここにいるのはクズだけだ。
正義の使者は最初から殺しておいた。
さて喋り殺してやる。
「事件について説明させてもらう。」私は扉へと近づいてから三人に振り返った。「この事件は首を噛みちぎられた第一の事件、首を吊るされた第二の事件、ナイフで刺された第三の事件によって構成されている。公庄會である私たちの詫状業務の対象となっているものは第一の事件のみで、第二、第三の事件は対象外となっている。ちなみに、第二、第三の事件の犯人はそれぞれテルとメイであることは判明している。」
「当たり前のことを長々と話すのが探偵さんのお仕事なのかしら。」
「おいクソ片割れ。黙って聞いてねぇとぶち殺すぞ。」
「私たちが仕入れた情報も同じく三つだ。一つ目は真夜中に響くサイレン、二つ目はやる気のない警察官、そして三つ目はワガツマ ダイスケの代表作の詩だ。それぞれの噂は捜査の結果、一つ目の噂の真夜中のサイレンは女性の叫び声であったこと、二つ目の噂の原因はそれまで空き巣被害が多発していて最近急激に収まったためであることが分かった。」
私はテルとメイを見つめる。瞳が揺れ動いているようなことはまるでなかった。おそらくまだ感情を揺さぶる程度には達していないということか。
それでいいのだし、それがいいのだ。
死ぬ寸前までは必ず生きている。
正気でいてもらわないと、狂気に堕とすこともできないのだ。
「今回は第二の事件と第三の事件についてから話を始める。」
「あら、犯人は私共テルとメイであることは分かっていることではありませんこと。」テルがわざとらしく微笑む。
「それ以上に何を知る必要があるのかしら、ぜひ、教えていただきたいわ。」メイも同じように微笑んで見せる。
「何故、二人も殺す必要があったのか、ということだ。」
「理由なく人を殺してはいけないかしら。」
「そもそも殺人自体してはいけない。」私は鼻で笑った。「第二の事件は首吊事件だった。被害者はおよそ裕福とは言えない生活をしていた男で、アパート暮らしで独り身だ。警察は中々素性を割れずにいて苦戦したようだな。さて重要となるのはこの男がどうやって生活をしていたのかということだが。」
「アルバイトかしら。」
「日雇いでもしていたかもしれない。だがそれ以上に割のいいバイトがあった。」
「あら、何かしら。」
「いくつかのキーワードがある。一つ目はどうやって生活を続けてきたのか分からない男がいる。二つ目は男の部屋にあった場違いな高級財布についてだ。そして三つ目は空き巣の被害が収まりやる気を失った警察官の理由だ。これでどう考える。」
「そりゃあ、なぜかお金を稼いでいて、不釣り合いなほど高級な財布が部屋に落ちてたらスリ師かなぁって思うけど。」
「三つ目を考えれば。」
「あ。」カイドウが目を大きく開く。「そっか、第二の事件の被害者は空き巣の常習犯だったんだ。だから場違いなほど高級な財布が部屋にあったし、警察官も増えた空き巣被害を食い止めようとした。」
「本当に空き巣犯かどうかは、落ちていた高級財布についている指紋と空き巣被害者の指紋を調べれば分かることだ。」私はカイドウに掌を軽く向ける。「それから、どうなった。」
「その男の人は第二の事件の被害者だから、死んだ、死んじゃったんだ。だから空き巣被害も収まって警察官はやる気を失った。」
「空き巣常習犯がワガツマ テルに殺される理由があったとしたら、何をしてしまったから。」
「空き巣をしようとしてワガツマ邸に忍び込んで。」
「何か秘密でも見てしまった。」私はテルとメイを見つめた。「とかな。」
カイドウは少しばかり興奮していた。手がかりと手がかりを結んでいく快感に目覚めたのだろう。今は憶測で良いのだ。この憶測を確かめるべきだと思う空気が少しずつ充満していくことこそが目的そのものなのだから。
「第三の事件、フジサキという女の刺殺事件だ。」
「フジサキに関する情報はタトゥーのお店で教えてもらったね。」カイドウが自分から推理へと分け入っていく。「足の甲にタトゥーを彫っていて自分の娘にも彫らせたことがある女の人ってことくらいだけど。」
「いや、それ以外にも重要な情報がある。」私はテルとメイを見つめた。「ここにいる四姉妹が全員、血が繋がっていないことだ。」
「どういうこと。」
「孤児院出身者が偶然集まってできた四姉妹であるということだ、そしてもう一つだが。」私は扉を強く叩いた。「この四姉妹は基本的に素性を明かしていない。」
分かり切っていて反吐がでるが、こここそがこの事件の全てにして、始まりであり、終わりでもあったのだ。
見よ、過去は幾度となくアキレスに噛みついた。
「何がいいたいのかしら。」
「フジサキの本当の娘がこのワガツマ四姉妹の内の誰かだな。」
テルとメイの瞳がわずかに揺れた。
それが見たかった。
「そうでなかったら、フジサキとワガツマ一族につながりが存在しなくなる。」
「仮にそうであったとして何故殺す必要があるのかしら。」
「そこにお前らワガツマ四姉妹が基本的に素性を明かしていないというスタンスが絡んでくる。」
「何を恐れていたと思っていらっしゃるの。」
「タトゥーってこと。」カイドウが小さくつぶやく。
「フジサキは娘との繋がりをタトゥーという形で表現した。つまり、フジサキの体のタトゥーと同じものが見つかれば、血の繋がりがあることを証明してしまうことになる。加えて言わせてもらえば、アンとヨスミのどちらにも私とカイドウは会わせてもらっていない。」私は長く息を吐いて見せた。「そのタトゥーが彫られているのは、アンかヨスミのどちらかだろう。」
「今この場にいる私共、テルとメイにタトゥーがあるかもしれませんわよ。」
「お前ら双子は比較的、四姉妹の中では表に出ている。それはつまり素性を割られるようなことがないと踏んでいるか、素性が割れたところで不都合なことが起きない立場ということだ。」
「挑発じみたことしてくるあたりで、陽動が見え見えなんだよ、死ねやバーカ。」
カイドウの言う通りだ。少しばかりテルとメイの頭の回転速度に乱れが生じてきたのだろうか。無理に動かせば故障し齟齬が出る。その齟齬はいつしか致命傷になる。
「アンかヨスミのどちらにタトゥーが彫られているか。」私は目を細める。
縄で首を絞められて重力に従う男の姿が頭に浮かんだ。そのまま頭の中に残して口を開き次の言葉を発していく。
「第二の事件の空き巣犯を殺した動機も。」私は少し視線を周辺に泳がせる。「おそらく盗みに入ったときにこのワガツマ邸でタトゥーの彫られたフジサキの娘が誰なのを偶然見てしまったんだろう。」
「だから。」カイドウが真剣な表情になる。「殺された。」
何故、フジサキの娘が誰なのかがわかると問題なのか。
すべてはこの屋敷に充満するワガツマ四姉妹の秘密に収束していく。
一本の糸になり、それはいつしか目に見えない誰かの意図になる。
「さて、最後に第一の事件の犯人の話をしよう。」私は両手を軽く広げてみせた。「必要なキーワードは幾つかある。
一つ目、四姉妹は必ずワガツマ ダイスケの言いつけを守る。
二つ目、四姉妹の年齢は上から三十代、二十代前半、同じく二十代前半、そして三歳にも満たない子供である。
三つ目、アン様は特別製の鍵のかかった部屋に閉じ込められていた。
四つ目、テルとメイにはアリバイがある。
五つ目、アン様の部屋にカメラが入ったことがある。
六つ目、フジサキの足の甲にはタトゥーがある。
七つ目、アン様は達筆である。
九つ目、ワガツマ ダイスケの代表作の詩の題名が。」
テルとメイが驚いた表情をして僅かに痙攣して見せた。完全に想定外であったことがうかがえる。
この題名にすべてが宿る。
喰らって死ね。
「暗く輝く鳴く四角。」私は静かに笑った。「であること。」
その瞬間、視界が揺れた。強く揺れて瞬間的に体が発火したような気分になる。
口から漏れ出る言葉が制御できない、開いた口から唾液が飛び出す。
目の中に指を入れられ、下から上へと抉られる。
そういう痛み。
頭が折れ曲がり、首が折れ曲がり、足が折れ曲がる。
熱くなった喉からせり上がる酸性の液体を感じる。
そして。
血が顔を濡らす。
生暖かく粘り気のある血が侵食してくる。
吐き気が止まらない。
「何してんだっ、動くんじゃねぇっぶち殺すぞっ。」
カイドウが叫び、拳が飛ぶ。
その寸前、私がカイドウの肩を掴む。
「問題ない。」私は鼻で笑った。「大丈夫だ。」
目の前には私の肩を掴まれて動きを止めたカイドウと。
血に染まった小さな鍵を持って私を睨みつけるテルと後ろで驚いた表情のメイがいた。
「どうした、俺を殴って何か変わったか。」
テルは肩で息をしたまま、鍵を握った拳を上下させている。血は鍵を飲み込むように付着し、そこから一滴ずつ整然と地面へと落ちていった。
部屋に生まれる汚点は、どこかテルとメイの二人をようやく地面に着地させた。
やはり、私の勘は正しかった。
お前らは。
いや。
この双子は。
いや。
テルとメイは。
いや。
そう、強いて言うなら。
ワガツマ ダイスケの娘たちは、ただの家族思いだった。
カイドウの体から力みが消えたのが分かった。肩が降り、呼吸も穏やかになる。そして僅かに見えた瞳は丸く穏やかで、何かの行く末を見守るようでさえあった。
右のこめかみから流れる血に触れてみる。少し温かく量も少ない。抑える気にもならなかった。
テルの拳を見つめてしまう。
私を殴るためにとっさに小さな鍵を掴んだのだろう。そんな小さな鍵を掴み攻撃力を上げて何になる。せいぜい痛みが増して自分の拳の肉も抉ってしまうだけだろう。
「アカネコ探偵さん、できればその詩の題名は私共の前では口にするのは避けていただきたいのです。」メイが悲しそうにつぶやく。「今は、特に。」
「何を暢気なことを言ってるの、メイお姉ちゃんっ。」テルが血まみれの拳と鍵を震わせながら叫ぶ。「クズよっ、こいつらは平気な顔をしてダイスケお父様の詩の題名を口にしたわっ。」
「いいえ、こちらから先にお願いをすればよかったのです。不手際はこちらにあります。」
「そんなのっ、こいつらだって分かりきってたことじゃないっ。」
「いえ、今でさえ正面から語ってくださっていますもの。」
「なんでっ、なんでそんなに、お姉ちゃんはこのヤクザ風情の肩をっ。」
「静かになさいっ。」
二秒もしないうちに沈黙が訪れる。
すると何故か最初に肩を震わせていたのはカイドウだった。下唇を噛み嗚咽が漏れるのを我慢しながら泣いていた。
それもそうか。
今まで罵り合い、憎しみ合い、つぶし合った相手との関係が終わろうとしているそんな矢先、相手が崖から落ちていくのが遠くから見えるようなものだ。強者と強者の喧嘩だったからこそ殴り合いができたのだ。今になって弱者になるのは卑怯だろう。
それでは、これはただの弱いものいじめになってしまう。
殴り返してこない相手と喧嘩はできないのだ。
メイの手が私に向かって伸びる。そのまま空中で静止しメイの瞳もこちらへと向いた。口を開いて話してくれと言っているように見えた。私がこのまま沈黙を続ければその手も静止し続けただろう。
「アカネコ探偵さん。」
「なんだ、ワガツマ メイ。」
「お喋りを聞かせて。」
そうか。
お喋りをしたい、ではなくて、お喋りを聞きたいのか。
「いいとも。」
少し、せつない。
「一つ目のキーワードは、ワガツマ ダイスケの言いつけをこの四姉妹は必ず守るということ。」私はその言葉をかみしめる。「ワガツマ ダイスケに嘘をつくな、と言われたそうだな。」
「そう教えられました。」
「俺たちに。」
「嘘をついたことはありませんわ。」
「そうか。」
嘘を今までついていないにも関わらず秘密を守り続けている。それはつまり裏を返せば、嘘をつかないようにはぐらかすか明言していないということになる。そしてもっと言うのであれば、はぐらかし、明言を避けている場所に秘密があることは明白になる。
不器用なほど器用な生き方に執着していると言えた。
「私たちの推理は当初、さっき言った二つ目のキーワードの年齢についてが基礎となった。上は三十代から下は三歳に満たない幅広い年齢層の姉妹であるアン様、お前らテルとメイ、そしてヨスミちゃん。」ちゃん付けで喋っていることに今になって苦笑いをする。「そこに三つ目のキーワードを足すことでアン様が鍵のかかった部屋にいるため動けないので、当然、容疑者はテルとメイに絞られた。」
「そうですわね。」メイが話しやすいように静かに、そして丁寧に相槌を打った。「ですが、その私共には四つ目のキーワードの通り、アリバイがあった。」
「キーワードの五つ目、アンの部屋にカメラが入ったことがあるという情報だが、その情報には追加がある。それはカメラを下に向けて入るのではなく入ってきた扉の方、つまり進行方向とは逆に向けて入っていったということだ。理由はおそらく下に向けていると余計なものが映る可能性があったということだ。例えば、六つ目のキーワードの。」
「タトゥー。」カイドウがうつむいた表情でつぶやく「アカネコくん、でも、それだとおかしいよ。」
「七つ目。」私は言葉を遮った。「アン様はとても達筆でその腕を生かして詩を書く。だが知り合いのユズキはこうも言っていた、達筆すぎて読めないとな。」
評論家曰く、神秘的な詩だそうだ。私にはやはり分からなかった。詩の内容ではなく評論家の中身についてだ。
「詩が達筆だから読めない。本当にそうだろうか。」私は首を振って見せる。「本当は達筆すぎて読めないのではなくて、そもそも読めるような詩を書けないんじゃないのか。」
そう、この事件の本質はアンの存在にある。
「八つ目、アン様の部屋から落ちてきた紙に書かれた、おか、あい、ねのは、という三枚の紙切れのことだが。」
「そういえばあったよね、そんなこと。」カイドウが首をかしげる。「でもさ、その言葉の意味がアカネコくんには分かったの。」
おか、あい、ねのは。この三文字はかなり悩まされた。
文字の変換なども行ったものの、そこに共通した特徴を見出すことができなかったのである。
ただし、それ故にこの三枚の意味にはある程度推測があった。
おそらく、これが正解だ。
「分かってなどいないが、むしろ私が考えて分からないものがあるならば、それは意味を悟らせないように書かれているか、もしくは、そもそも最初からそれに、意味などないかのどちらかだ。」私は微笑んだ。「今回は後の方だと考えてみた。二分の一なら悪くはないだろう。」
余裕を持っているように見せかけながら、言葉には細心の注意を払っていた。これもテルとメイを追い詰めるための手段として重要な要素である。
「この紙切れに書かれているのは、おそらくただの。」
私はテルとメイの微妙な動きを観察しながら話し続ける。
「あいうえお順だ。」
カイドウが首をかしげる。
「あいうえお順。」カイドウが困惑する。「最後まで凄い意味ありげだったけど、ただのあいうえお順だったの。」
「あい、は、あ行の、あいうえおの、あい。おか、は、あ行とか行の、あいうえお、かきくけこの二つをつなげて、おか。ねのは、は、な行とは行のなにぬねの はひふへほの二つをつなげて、ねのは。」
「だったら、なんだというのかしら。」テルが呆れかえるような口調で叫ぶ。
当たらずも遠からず、といったところだろう。
「アン様は何故か、この紙切れを私たちに向かって落としてきたのだ。対して意味もない平仮名の羅列を書いた紙を落とすことの意味などたかが知れている。」私は両手を広げた。「上手に書けたから誰かに見てほしかったのだ。」
アン様と呼ばれる、詩の天才は結局何者なのかまだ分かっていないのだ。
「言葉はワガツマ ダイスケにとって何だったと思う。」
「神ですわ。」
「では、詩とは何だと思う。」
返事は直ぐに返って来なかった。それがより誠実さを感じさせて心地よかった。
「言葉を天へと導くことではないかと。」
「何故だ。」
「この世の中には数多くの詩的な言葉がありますわ。けれど、それらが詩的な言葉として常にそこにあり続けることは不可能でしょう。例えば蝉時雨など確かに詩的な言葉ではありますけれど一体どれだけの人間が使い潰し、手垢を付けてきたものなのかは想像に難くありません。それ故に、まだ誰もがこぞって使おうとしなかった時代の蝉時雨に感じられた詩的な響きは最早現代の蝉時雨という言葉にはありません。」メイは少しばかり顔を上げた。「詩というのは、ある単語に対して、既に手垢が付きこれ以降使ったとしても同じような甘美で妖艶な詩的な響きは出すことができないということを周辺に示す行為なのです。つまり、この単語を使ったとしても初雪に最初に足跡を残すような旨味はないと伝えているのです。」
「だから、詩は言葉である神を天へと導くと。」私は呟く。「つまり。」
「神は、詩になることで永い眠りにつくのです。」
ワガツマ ダイスケの言葉の受け売りではなく、メイが自分の意思で語っているように感じた。
「人に使い古されることで疲弊した言葉たちが、これ以上人の手にもてあそばれることのないように天へと導くのですわ。詩というのは言葉の寺と書くではありませんか。言うなれば詩とは神のためのお墓が並ぶ寺であり、詩の内容はその神たちのための経典ではないかと思いますの。」
「では、詩の題名の役割は何であると思う。」私はメイの目をひと際強く見つめた。
「アカネコ探偵さんには何か解釈があるようにお見受けいたしますわ。」花のように広げられた指先が私に伸びる。「ぜひ。」
ここから先は解釈ではない、そう言いたかったが口にはしなかった。かといって詫状業務の延長の憶測でもない。
これは解釈でも、憶測でも、ましてや推理でもない。
「詩の題名とは僧侶だ。」私は自分の言葉で僧侶を頭の中へ思い浮かべる。「詩の中で使われている単語が神の亡骸、詩自体が経典であれば、後はそれを見送る者が必要になる。読むべき物、読まれるべき者、そうなれば必然的にそれを読む者が必要になる。」
「とても不思議な解釈で、面白いと思い。」
「黙れっ。」
テルがまたも叫んだ。
カイドウが身構え、メイも少し目に力を入れてテルのことを睨んだ。
だが、それでもテルの出す歪んだ殺気が収まることはなかった。
「お前にっ、お父様の何が分かるっ、詩の何が分かるっ、このゴミクズヤクザ風情がっ。」
「私に詩のことは分からない。」
「ならば黙れっ。」
「私に言葉のことは分からない。」
「ならば黙れっ。」
「私にワガツマ ダイスケのことなど分からない。」
「ならば黙れっ。」
「しかし神のことならば分かる。」
「貴様に神の何が分かる。」
「お前と同じく言葉の神と共に生きてきた。」
「自惚れるなっ。」
「ワガツマ ダイスケはお前らにとってなんだ。」
「神だ。」
「ならば私はワガツマ ダイスケのことも分かる。」
「父の名を口にするなっ。」
「お前はワガツマ ダイスケの何を知っている。」
「何もかも知っているっ。」
「しかし肝心なことは何一つとして知りもしない。」
「肝心なことしか知らないお前と一緒にするなっ。」
「肝心なことだけで十分だ。」
「神を知るのに肝心だけでいい訳がないっ」
「神であるからこそ十分なのだ。」
「ワガツマ ダイスケを知るのに十分などあり得ないっ。」
「ワガツマ ダイスケは偉大か。」
「偉大などとうに越しているっ。」
「何故越している。」
「神になられたからだっ。」
「何の神だ。」
「詩であり言葉であり私たちの神だっ。」
「偉大な神か。」
「神さえも越しているっ。」
「そんな神を人が理解できるわけがない。」
「私は理解できるっ。」
「理解など不可能だ。」
「不可能などないっ。」
「お前にだけは不可能だ。」
「共に生きたのだから可能に決まっているっ。」
「だからこそ不可能だ。」
「戯言だっ。」
「戯言さえも言葉だ。」
「そんな言葉さえも私はすべて知っているっ。」
「ならば何を知っているっ。」
「ワガツマ ダイスケは厳島千年賞を受賞する偉大な詩人であり、数多くの人間に愛され尊敬されてきた。時の総理に愛され、天皇皇后両陛下に直接詩の指導をされたこともあり、死ぬまで詩の道を探求し続けた求道者であり、天才であり、聖人だ。言葉が神であるとしながらも、その言葉の問題点を挙げその上で詩というものの限界を自らの行動によって補おうとした結果、自らの指を落とす結果にまでなってしまったが、それでも不釣り合いな両手で詩を書き続け、私たちワガツマ四姉妹を愛してくださったのだ。誰よりも愛されず、誰よりも相手にされず、誰よりも蔑まれてきた私たちを本当の娘のように可愛がってくださり、いつまでもいつまでも見守って下さり、詩がどれほど奥深く、興味深く、危険で、美しいものであるかをとうとうと語って下さる。言葉を自在に操り、言葉そのものになられた神であるっ、死してなお詩を紡ぎ続ける神であるっ、私共を見守り続ける神であるっ、いつまでもいつまでも私共と共にいる神であるっ、私共の愛すべきたったお一人の神であるっ。」
「しかしっ、それでも神は死んだのだっ。」
そう。
気が付くとそう叫んでいた。
テルが沈黙しながら微かに震え始めていた。
横を見ると既にカイドウは泣き、歯を鳴らしながら嗚咽を漏らしている。
テルの睨んだままの瞳が揺れているのが分かる。
「神は死んでも、父は死なない。」私は一度だけ目を瞑った「それでは駄目だろうか。」
ワガツマ ダイスケは、暗く輝く鳴く四角、を自分の書いてきた詩の中で唯一家族をテーマにした詩であると言ってきた。
それならば、ワガツマ ダイスケにとってこの詩の中にある言葉は神である自分自身、そして詩の内容は同じく経典、そして詩の題名は僧侶となり、ワガツマ四姉妹のことを指しているのではないだろうか。
暗く輝く鳴く四角、とはワガツマ四姉妹のことである。
ワガツマ ダイスケは四姉妹に自分を弔って欲しいと思っていたのではないか。
詩の解釈も、神も、経典も、僧侶も、正しいかどうかは分からないままだ。詩というものがこの世の中に生まれてから過ぎ去っていった時間のなかで、どれだけ正しい歴史を言い当てられているかなど見当もつかない。それこそワガツマ ダイスケが持ち続けた詩に対する考え方により添えているかなど分かるはずもないのだ。
詩が何なのかも、ワガツマ ダイスケがなんなのかも一切不明。
だが、ここから先のことは、誰よりもよく分かっていた。
「アン様とは何者なんだろうな。」
「お聞かせください。」メイが軽く頭を下げる。
「テルとメイはアリバイがあるため当然除外する。次にアン様とヨスミちゃんであれば、アン様は部屋に閉じ込められているため殺人ができるのはヨスミちゃんだけになる。だが、年齢的にヨスミちゃんに殺人はできない。」私は俯いた。「本当にそうだろうか。」
長女、アン。
次女、三女、テル、メイ。
四女、ヨスミ。
本当に。本当にそうなのだろうか。
カイドウの呼吸音が隣から聞こえた。私以上に緊張しながらも私の言葉に興奮しているのが分かる。心情の揺れや明滅、濃淡に私も同期し始める。
「暗く輝く鳴く四角という題名はお前らのことを指している。」
カイドウが涙を拭きながら不思議そうに私の方を見たが、相も変わらずメイは真っすぐに私を見ていた。
「それぞれ暗く輝く鳴く四角、の漢字を別の読み方にすると、暗は音読みにするとアン、輝は訓読みでテル、鳴はメイと読み、四角はヨスミとなる。その題名にある漢字は四姉妹のうちの一人ずつを表している。」
暗。アン。
輝。テル。
鳴。メイ。
四角。ヨスミ。
そうやって暗く輝く鳴く四角という言葉を頭の中に思い浮かべた。黒い背景に白い文字で印字された姿ははねも、はらいも、とめも、それはそれは綺麗によく見えた。
私は少しだけ自分の目が潤んでいることに気が付いた。
「そして、その暗く輝く鳴く四角を横書きにすると平仮名の、く、が数学の不等号になるため。」
秘密はこうして息を引きとり、答えだけが産声を上げた。
「本当の四姉妹の年齢順が分かるんだよ。」
暗く輝く鳴く四角
「閉じ込められていたアンこそが本当は三歳、そして閉じ込められていなかったヨスミこそが本当は三十代だ。」私は壁にもたれかかると目を瞑った。「当然、四姉妹の内アリバイのなかった者は一人しかいない。」
テルとメイの方から嗚咽が聞こえてくると、視線を向けることができなかった。
暗く輝く鳴く四角。
やはり、詩はよく分からないものだ。それが最後に頭によぎった素直な感想だった。
「犯人はヨスミだ。」
公庄會 中庭
「そういえば。」カイドウは真っすぐ言葉を吐いた。「認知症だったんだよね。あれって。」
その日は雨だった。
台風が近づくそうで、酷く寒い空気と生温い空気が交互にやって来てはどこかに消えてしまった。雨は風にいいように扱われ、空気中に波のような紋様を浮かび上がらせる。振り続ける雨粒は小さく、そして優しく、小雨というよりも少し質量のある霧に近い感じだった。
公庄會の本邸の屋根の下にあるベンチは座れるくらいには乾いていた。
私とカイドウがこのベンチに並んで座るのは何年ぶりだろうか、そんなことを質問しようと思って口を開いた。その矢先、カイドウがワガツマ一族の事件を口にした。
遠い過去の話を聞いたように感じたのは、その詫状業務が印象深かったためだろうか、いや、そんなことはないだろう。この業界にいて詫状業務に従事する限り印象の薄い事件に遭遇する方が少ないはずだ。それでもこうして話題に上がったということは、印象という陳腐なものを越えた価値があったということだろうか。
言葉の連なりに人生を左右され、左右されたがった四姉妹と一人の男の物語を知ってしまったからだろうか。
知識の重さで思考は鈍くなるだろうか。
そんな無駄なことまで考える。
思考を鈍くするのは経験だけだろう。
そんな無駄な結論にまで達してしまう。
「ヨスミさんは。」
「若年性認知症だったそうだな。」私は息を長めに吐いた。「テルとメイはそのヨスミの介護をしていたが、油断したときに屋敷から外に出してしまった。急いで探したことも、心配したことも後で聞いたが、時すでに遅かったわけだな。」
「ヨスミさんは誰かの首筋に噛みつき肉を引きちぎって殺してしまっていた後で、もう何もできなかったんだよね。」カイドウがため息をつく。「それに、あの双子もそれよりも前からヨスミさんが屋敷を抜け出していたことが分かって、その時に対策を打つべきだったと。」
「警察の事情聴取で後悔しながらそう言ったそうだな。」私は顎を少し上げてみせた。「ただ、仮に気づいたとしてどうにもならなかっただろう。」
「でも。」
「でも、だ。」私はカイドウの方を向いた。「打消しの接続語は、すべて文面でしか役に立たないものだ。現実には持ってくることはできない。」
「あのクソ双子どもにしては。」カイドウが首をひねる。「めちゃくちゃ可哀そうすぎないかなぁ。」
少し感情が高ぶるとクソ双子なのは変わらないのか。
いや、ゴミカスクソ双子と言わなかった分だけましだろう。
「ヨスミさんの介護をしながら、殺人を隠して、その後は四姉妹の秘密を空き巣犯に見られて、それで最後は四姉妹の秘密を知っている本物のお母さんが現れて。」
「その上、公庄會の男と女のヤクザにたかられた訳だ。」
「あの双子からすればあたしたちのほうがゴミ野郎だとは思うけど。」カイドウは渋い顔をしてこちらを見やった。「事実、ゴミ野郎だけどさ。」
実際、ゴミ野郎ではあったし、正確には自他ともに認めるゴミ野郎共ではある。だが詫状業務というものを遂行するという条件の元、相手に与えた損害は必要最低限に留めることはできたのではないか。
これ以上ないほどの小さな穴から真相を覗けた自信は少なからずあった。
「なんか、ちょっと罪悪感が。」
「四姉妹の秘密は本来、秘密でもなんでもなかったんだろう。」
「え、そうなの。」
「おそらくだがワガツマ ダイスケは頃合いを見て四姉妹に、素性を世間に公表する様に、とでも言ってたんだろう。だが、残念なことにヨスミが殺人を犯してしまった。そうなったときに、自分たちが公表していた情報とまだ公表していなかった四姉妹の年齢順が、偶然上手く真相を隠すように機能していたことに気づいてしまったんだろう。」私は足先に付いた小さな水滴に気づいて、足をベンチの下へとしまいこんだ。「気づかなければ、秘密なんて抱えなくて済んだというのにな。」
秘密を暴かずに真相にたどり着くのは不可能だ。思考もせずに閃こうとするのと同じことだ。
雨が少しだけ強くなった気がした。
そして、本当に少しだけ強くなった気がしただけだったと分かった。
「真相を言い当てて、詫状を書いてもらったでしょ。あのあと、あたしたちが帰る時になんて言われたか覚えてる。」
その時の光景だけが頭の中に広がった。テルとメイの口が開き、そして閉じるとこまで想像できる。そこに徐々に音が乗り始める。
「ありがとうございました。」
カイドウがそう言葉を口にしたはずだったのに、何故かテルとメイの声で耳の中を反響していく。
「あたしはありがとうございます、よりもごめんなさいが聞きたかったけどね。」
「何故だ。」
「アカネコくんのお父さんをあたしのお父さんが首吊りさせたこと言ってきたじゃん。」
「確かに。」私は鼻で笑った。「ごめんなさいは大切だ。」
「違うよ。」カイドウが目を瞑る。「ごめんなさいは必要だよ。」
本当にカイドウらしい言葉だと思った。
モラルは必要なものではなく、大切なものだ。
携帯電話の振動音に気づくのが遅くなったのは、やはり雨のせいだった。少なからずある雨音に紛れたことと、冷えた体ではそれを感じる神経が鈍くなっていたようである。まずは太ももで、その後は乗せた指先で、静かに取り出して掌で携帯を確認する。触れるか触れないか分からないくらいでスピーカーにして通話を始める。何となく笑ってしまった。
「ユズキ、調子はどうだ。」
「悪くはないですよ。というか調子が悪くて君の頼む仕事ができなかったら、絶対に言うでしょう。」
「何をだ。」
「僕が、知られないようにタトゥーのお店に行ってたことをですよ。」
「誰にだ。」私は声を上げて笑った。
「ウラタさんにっ、僕がタトゥーのお店に行ってたことを言うんでしょっ。」ユズキがため息をつく。「だからこうやって詫状業務を必死で手伝ってあげてるんじゃないですか。頼むからちゃんとやるから秘密にしてくださいよ。」
あの事件は私にとってかなりの利益をもたらしてくれた。貴友会の落ち度やユズキの秘密はこれからも利用できなくなるまで利用させてもらおう。友情も愛情も同情も全ては等しく利用できる。
カイドウもそれを聞きながら笑っていた。
「別に、あたしたちはウラタさんに言ってもいいんですよ。」私の方を少し見る。「そうした方が、ユズキさんも精神的に楽ですもんね。」意地の悪い口調だ。
「僕を利用する気満々のくせによく言いますよ。」ユズキの苦笑が聞こえる。
「タトゥーくらい謝っちゃえばどうにかなりますって。」
「それが難しいんですよ。」
「それはそうですけどぉ。」カイドウが笑う。「でもですよ、ユズキさん。」
「なんでしょうか。」
「ごめんなさいは。」少し偉そうな口調になる。「必要なんです。」
正論だ。
私はカイドウの隣で空を見上げた。
今年四度目の台風はもうすぐ本州に上陸するそうだ。
ワガツマ メイ 面会室 記録
午後三時十分 面会開始。
受刑者と面会者に分かる形で面会開始を伝えてから、記録をとること。
「今年、四度目の台風が本州に間もなく上陸するそうですね。」
「その通りです。」
「塀の外にいらっしゃる貴方や、アカネコさんとカイドウさんにはとても大きな問題でしょう。」
「いえ、それほどではありません。」
「あら、そうかしら。それを見越して今日、イデさんはここにいらっしゃったのかと思っていましたわ。」
「いえ、公庄會の組頭、ココノエ様にとりあえず会って話をしてきてほしいと言われたまでです。」
「見た目通りの冷たい方。」
「アカネコさんとカイドウさんの詫状業務によって真相を暴かれてからもうどれくらい経ったことでしょう。あの後に警察の方がやって来て正式な逮捕ということになりましたが、やはり俗物的ではありますけれど敗北を感じたのはカイドウさんとアカネコさんがいらした時のみでしたの。正面からの戦いの中、控えめに言っても殺し殺される、といったやりとりは真摯さの上にのみ成り立つものであると考えます。あの時間はこれから先の人生の中でも大切な思い出として抱えていきたいと思っております。心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。」
「アカネコとカイドウにはこちらからその旨伝えておきます。」
「そのアカネコさんとカイドウさんの、過去について色々と考えていたのですけれど。イデさんはお二人の過去のことはご存知かしら。」
「ココノエ様から少しは知らされています。」
「では、ここからの話はお二人に是非お伝えしてほしいのですけれど。私は思うのです。お二人が持つ、その棘だらけの過去はお互いの体に食い込んでいるのではないか、と。おそらく骨に絡みつき、血を噴き出させ、痛みを伴うものなのでしょう。ですが、それは片方がどこかの崖から落ちてしまったとき、引っ張り上げられるということではないでしょうか。人一人分の重さで千切れるような軟な過去ではないと思います。」
「なるほど。」
「それに、過去がアカネコさんとカイドウさんを苦しめる時というのは、その過去からお互いが逃れようとしたときでしょう。飼い犬と一緒です。飼い犬が杭に鎖で繋がれている時、その杭から離れようとすれば首が締まります。ですが杭の周りにいる場合は当然、餌も水も喉を通すことができるのです。いえ、鎖につながれた飼い犬と杭という表現は適切ではありませんでしたね。正確には、お二人は鎖で繋がれた野良犬と野良犬なのでしょう。」
「個人的にはかなり適切な表現だとは思います。」
「ありがとう。イデさんは笑った時のお顔が可愛らしいわね。」
「続きを。」
「そう。アカネコさんとカイドウさんのお二人にとってお互いは動く杭であり、体温を持った杭であり、話すことのできる杭であり、励まし合える杭なのでしょう。そのせいで傷つくことも余計に動きが制限されることもあるかもしれません。それこそ本当に相手が杭であったら、と思うこともあるでしょう。ですが、私共、ワガツマ一族はその目に見えず、不自由で、痛みを伴う鎖こそが欲しかったのです。」
「大丈夫ですか、涙が。」
「ワガツマ ダイスケとの血の繋がりもなく、ましてや四姉妹にも血の繋がりもない。だからこそ、ダイスケお父様の言いつけを病的に守ることでそれを鎖に見立てて繋がり合おうとしたのです。事件が起き、全員で四姉妹の年齢順を秘密にしなければならないと共通認識を持った時、恥ずかしい話ですが何となく初めて家族になれた気がしたのです。それがどれだけ棘だらけで冷たい鎖であったとしても、いつかはその棘も折れ、その鎖にも少しずつ体温が移っていくと心から信じることができたのです。」
「はい。」
「分かりますか。ほんの、ほんの少しでもいいのです。何故、私共があのお二人を執拗に攻撃したのか分かりますか。とても、とても単純なことなのです。私たちワガツマ四姉妹はアカネコさんとカイドウさんの関係が。」
「はい。」
「いっとう、うらやましかったのです。」
「もしもよろしかったらあのお二人にもお伝えください、是非面会にいらしてください、と。テルの方は未だに話したがりませんが、切っ掛けさえあれば言いたいこともあるでしょう。その時はカイドウさんが二三、罵倒して下さって結構です。そのようにもお伝えください。あの子もそろそろ大人になる時期でしょうから。」
「承知しました。」
「そろそろお時間のようですわ。最後にもう一言、伝えていただきたいのですけれど。」
「はい。」
「えっと、その。」
「はい。」
「意地悪してごめんなさい、と。」
「承知しました。」
午後三時二十五分 面会終了。
発言者の氏名を記入後、既定の記録書類に書き直し日報と共に提出すること。