はるの詩
はるの詩
時は平安。
京の都は栄えその中でも藤原氏が栄華を誇った時代の小さな儚い愛の物語。
その日、藤原ノ中将道成は京の都を往来する人々を眺めながら愛馬に股がって都を散策していた。
するとそこへ一人の小さな子供が現れ道成の馬の前を横切り走り去っていった。
「待て!おめえは何度言ったらわかるんだ!川であさりを取っちゃいけねえ!と言ってるだろうが!今日こそは容赦しねえぞ!叩き殺してやる!」
子供を捕まえると身なりの悪い男は棒で何度も叩いた。
「こら!おぬし!あまり酷い事をするでない!この子が何をしたというのだ?」
見かねた道成は男をいさめた。
「へい!このガキはあたしらの漁場であさりを取っては売っているんでさあ!」
「そのあさりは幾らするのだ?私が買い取ってやろう!」
「へい!旦那様!一文でさあ!」
「これ義兼払ってやるがよい!」
「はっ!」
道成の部下である義兼は銭袋から一文を出すと男に渡した。
「へへっ!こいつは有り難い!このガキ!今度同じ真似しやがったら本当に殺すぞ!」
男は子供を睨み付けると去っていった。
「娘、そなたの名は何と言う?」
道成は馬から降りると小さな子供に尋ねた。
「はると申します!」
はるは道成を見てニコニコと笑うとそう言った。
「はる、か……。良き名じゃ。はる、そなたは何故にあさりを取って売っているのだ?」
「はい!わたしには親がおりません。あさりを取って売らないと生きていけないのです!」
「それは何とも痛わしい事よな。はるよ、私と共に藤原の家へこぬか?」
「旦那様のお屋敷にですか?私のような者が行っても良いのですか?」
「そなたは幾つになるのだ?」
「十二歳にございます!」
「ふむ、女官としてはちと若すぎるが致し方ないの。では、はるよ。私の馬に乗るがよい。今からはるは私の女官だ。共に屋敷で暮らそうぞ!」
道成ははるをひょいと馬に乗せると自らが手綱を取り馬を走らせた。
「道成様!お待ちください!」
部下達を置いて走り去っていく道成を義兼は追っていった。
「速い!凄い!凄い!旦那様の馬は速くて凄い!こんなの初めて!」
はるは疾走する馬を怖れる事もなく道成の衣を両手で握りしめて笑った。
「道成でよいぞ!私の名は道成じゃ!アハハハ!」
「はい!道成様!」
道成は笑うはるの顔を見ると自らも楽しそうに笑った。
そして、やがて馬は京の都を駆け抜けると大きな屋敷が建ち並ぶ通りへと出て止まった。
そこは、はるが見たこともない大きな大きな屋敷だった。
「ここが私の屋敷じゃ。はる、ついて参れ!」
馬からはるを降ろすと道成ははるを抱き抱えたまま屋敷内へ入った。
屋敷には大勢の女官達がいて、はるを興味深く見つめては何やら囁いている。
「誰ぞ!この娘を湯殿へと連れていき身を清め新しき着物を与えて私のところへ連れて参れ!」
「畏まりました!」
女官達ははるを湯殿へと連れていき身を清めさせると新しい着物を身に着けさせ再び道成のところへ連れていった。
身を清め新たな着物を身に着けたはるは十二歳とは思えぬ程に美しい娘となった。
「アハハハ!これはよく化けたものじゃ!」
「おかしいですか?」
はるが尋ねると道成は微笑みながら持っていた扇子を閉じてくるりと回して見せた。
「回ってみよ……」
「こうですか?」
ぎくしゃくしながらはるが一回転して見せると道成はたいそう満足そうな笑顔になった。
「美しいぞ!はる!」
道成の言葉にはるは顔を真っ赤に染めて微笑んだ。
こうして、はるは道成付きの女官として藤原家で暮らす事になった。
道成と共に暮らすようになったはるは、その持ち前の明るさで道成の心を癒し惹き付けた。
そして、はるもまた道成の底知れぬ優しさに惹かれるようになった。
なかでもはるが好きなのは弓の練習をする時の道成の姿だった。
露になった道成の上半身は滑らかでしなやかな筋肉に覆われ弓を引く時の普段は見せぬ鋭い眼光が的を捉える姿にはるの胸は高鳴った。
「凄いです!道成様!」
「どうじゃ、はる。凄いか!アハハハ!」
「はい!」
的を射ては笑い合う二人の姿は微笑ましく部下達や女官達も暖かな瞳でその様子を眺めていた。
ところがそこへ慌ただしく部下の一人が現れ道成に出陣の命令が出た事を告げた。
倒す相手は源ノ平継と言い帝の命令に従わずに謀反を企てたのだった。
「出陣は明日の未明にございますれば!」
「あいわかった!」
「戦にございますか?」
「はるよ、暫くは会えぬが必ず勝って戻ってくるからな!」
その晩はるは眠る事もせずに道成の側から離れなかった。
月が見守るようにー!
道成様を見守るようにー!
瞬馬が駆ける戦場でー!
道成様が勝ちますようにー!
「はる、その詩は誰が作った詩なのだ?」
まだ鎧をつけぬ格好で道成は縁側の傍らに座って月を眺めているはるに尋ねた。
「はい!これは私が作りました!道成様がご無事に戻られるように私が作りました!」
月が見守るようにー!
道成様を見守るようにー!
瞬馬が駆ける戦場でー!
道成様が勝ちますようにー!
はるは唄った。
唄いながらはるは泣いていた。
「はる……。泣くでない……」
「道成様!どうかご無事で!」
「わかっておる。さあ、一緒に唄うか?」
「はい!」
月が見守るようにー!
道成様を見守るようにー!
瞬馬が駆ける戦場でー!
道成様が勝ちますようにー!
「縁起のよいいい詩じゃ。はる、私は必ず勝って戻ってくるからな!」
「道成様!」
二人は満月の元で寄り添い朝まで唄い続けた。
こうして、道成は源ノ平継を討伐しに出立をした。
戦場での道成の活躍は素晴らしく平継の軍を蹴散らし見事に平継の首を勝ち取った。
こうして戦は帝の軍が圧勝をし道成達は帰路へとついた。
ところが、屋敷に戻ってみると真っ先に出迎えてくれるはるの姿がない。
「はるはどうしたのだ?」
「それが……」
女官に尋ねると女官は言葉を濁した。
「はるがどうかしたのか!はる!はる!」
呼んでみるがはるが現れる様子もなくやがて薬師がはるの部屋から出てきたところを道成が見つけると道成は薬師にその容態を問いただした。
「どうやら、流行り病からくる高熱で……」
「熱が下がらんのか!」
「はい……、道成様が出立なされてすぐに病にかかったようでして……。はるは決して道成様には知らせるな!ときかぬもので……」
「はる!はる!」
道成がはるの部屋へ入るとそこには窶れきったはるが床について苦しんでいた。
「はる!はる!私だ!私がわかるか!はる!」
道成がはるの名を呼ぶとはるはうっすらと瞼を開いて道成を見つめて微笑んだ。
「道……、成……、様……」
「はる!しっかりと気を持つのだ!これくらいの熱に負けてどうする!」
「ご無事に……、戻られたのですね……」
道成が掴んだはるの手がそっと握り返されるとはるは安心したように笑った。
「はる!はる!そうだ!この通り!私は無事に戻ってきたぞ!これからはずっとお前の側を離れぬからな!」
「は……、い……、道……成……、様……。はるは嬉しゅうございます……」
はるは嬉しそうに微笑むと再び瞼を閉じてしまった。
「はる!はる!目を開けてくれ!はる!」
だがそれ以後はるが目覚める事はなく、はるは意識の戻らぬままにこの世を去っていった。
「はる!はる!はるよぉおおおー!」
道成は冷たくなりかけているはるを抱き締めると夜着のままにその晩を過ごした。
月が見守るようにー!
道成様を見守るようにー!
瞬馬が駆ける戦場でー!
道成様が勝ちますようにー!
道成ははるを抱き抱えたまま一晩中はるの詩を唄った。
涙で枯れる声で道成は唄った。
満月だけがそんな二人を見守っているようだった。
はるが死んでしまってからの道成は暗い日々を送りやがては道成自らもはると同じ病に犯されて床についてしまった。
月が見守るようにー!
道成様を見守るようにー!
瞬馬が駆ける戦場でー!
道成様が勝ちますようにー!
道成は息を引き取る直前まではるの詩を口づさんでいた。
やがて、道成は霧に覆われた暗闇の中からはるの詩が聞こえてくる事に気づいた。
「はる!はる!」
「道成様!はるにございます!」
「おお!やっと逢えたな!はる!」
道成ははるを強く強く抱き締めた。
「ずっと側に居てくれるか?はる!」
「はい!はるは道成様のお側にずっとずっといます!」
そうして、やがて霧が晴れるとかつての戦で命を落とした部下達がこちらに向かって笑いながら手を振っているのが見えた。
道成ははるを抱き上げると部下達の方へ歩き出した。
「はる!もう決してそなたを離さぬぞ!」
「はい!道成様!」
こうして二人は黄泉の国へと旅だっていった。
「完」