62.防壁騎士の衛兵生活3(sideハルメアス)
「く、空気が変わりましたね……。」
私とグリスは貧民街へと足を踏み入れた。
建物が乱立していて、ごちゃっとした印象を受ける。
「貧民街は初めてか?」
「は、はい。ガキの時から近づくなって言いつけられてましたから。隊長は初めてじゃないんすか?」
グリスが辺りを警戒しながら言った。
「いや、この国のは初めてだ。」
「この国のは?……ああ、そういや隊長の出身ってバリスヒルドでしたっけ。あそこって資源沢山持ってるし豊かなイメージあるんですけど貧民街とかあるんですか?」
……あそこで豊かなのは、人間だけだ。
『人と獣人の国』などと謡ってはいるが、その実情は人から獣人への一方的な搾取と支配。
本当に腐っている。
「……酷い物だぞ。この世にあそこ以上の地獄は無いと断言できる。」
「そんなにですか……あ、でも結構前にあの国の第二王子が起こした反乱で先代の王が死んで政治体制もかなり変わったらしいっすよ。その王子は処刑されたらしいですけど、その反乱もそのせいなんすかねぇ。」
……かなり変わった、か。
私に確かめる権利も方法も無いが、それが良い方向だと言うことを願う。
「おい、止まりな。」
私とグリスが歩いていると、物陰から1人の老人が10人程の武器を持った男を連れて路地から這い出てきた。
老人は白髪頭で、年の頃は60過ぎに見える。
長身の割りにずんぐりして見えるのは、脂肪とも筋肉ともつかぬ肉が必要以上にまとわりついているためだろう。
「俺達は俺達なりにここでやってるんだ。部外者が土足で踏み込んで来てんじゃねえ、金と鎧を置いて出ていきな。」
「きっ、貴様らぁ!自分達の立場が分かっているのか!そっちこそ立ち去れよ!」
老人の言葉に、グリスが剣を抜いて構えた。
練度の低い戦士なら二人掛かりで鎮圧できると踏んだのだろう。
確かに可能だが、大した大義も無く弱者を力で捩じ伏せてこちらの思い通りにするなど畜生のする事だ。
グリスには、そうなってほしくない。
向こうからすれば私達は自分達の生活を脅かす紛れもない『悪』なのだ。
常に弱者の目線に立ち、弱者に背中を向け悪に立ち向かうのが騎士道なのだから。
自分達が誰かの悪になってしまっては本末転倒だ。
「すまないご老人。私達はあなた方の居場所を壊す真似は絶対にしないと誓おう。これだけで勘弁してはくれないか。鎧は商売道具でな。」
私は膝を着き頭を下げ、老人の足元に金貨が9枚入った皮袋を置いた。
グリスが信じられない、という目で私を見ている。
「た、隊長!?どうしてこんな奴等に頭なんか下げてるんですか!」
老人は一瞬グリスを睨んだ後皮袋の中身を確認して驚いた顔をした。
枚数を数えるとそれを懐にし舞い込んで、言った。
「……余計な事はすんじゃねぇぞ。あと、居て良い時間は1時間だ。それまでに出ていかなかったら痛い目に合わせる」
「ご協力、感謝する。」
老人は男達を引き連れて去っていった。
グリスは剣を持った態勢のまま、小刻みに震えている。
「……どうして。」
「良いかグリス、騎士道と言うのはーー」
「チンピラに屈して頭まで下げて金差し出すのが騎士道だって言うんですか!?隊長のやったのは騎士道なんかじゃない!只の逃げだ!」
グリスは唾を飛ばしながら訴えてくる。
言葉では怒っていたが、顔を見てみると泣きそうな顔をしている事に気づいた。
泣きながら、怒っている。
「隊長にこんな事言いたか無いですけどね!正直失望しましたよ!あんた騎士なんだろ!?どうして剣を取って戦わないんですか!壁騎士だかなんだか知らないけどな、あんたが誰かの為に戦ってるのをこの1ヶ月で1度も見たことねぇんだよ!」
「……すまない。」
「っ……!……もういいです。怪しい奴は俺が捕まえときますから。隊長は街に帰って荷物でも運んどいてください。」
グリスはそう言いながらズカズカと奥へ踏みいって行った。
……私は、間違っていない。
グリスも、間違ってはいない。
只、互いの騎士道が今は合間見えないだけだ。
私は前を見る。
そこにはもうグリスの姿は無かった。
……追わなければ。
ここはグリス一人で歩かせるには危険すぎる。
貧民街の調査が終わったら、酒でも飲みながらゆっくりと話を聞いて、そしてゆっくりと私の考えを説明しよう。
人間、話し合えば分かり会える物だ。
それに今グリスは自分の理想の騎士と現在の自分との剥離に苦しんで精神が不安定になっているだけだ。
元々そこまで気性が荒い人間じゃない。
「……行くか」
よし、と自分に気合いを入れ歩き出す。
余り時間が無いのだ。
迷う意味も、つもりもない。
夕日が鎧に反射してまぶしく感じる道を、私は歩き出した。