32.罠
「ふぅ」
俺はすっかり元の毛並みを取り戻したブラウの前に座り、ため息をついた。
綺麗にし終わったのはいいが……空を見上げてみた。
少し傾きかかってはいるが、まだ充分昼と言っても良い太陽がそこにはあった。
ちょっと早く終わり過ぎちまったな。
今日1日丸々使うつもりだったんだが一時間で終わっちまった。
村に行くのは明日だから結構時間あるし、それまでにまた汚させねぇ様にしねぇと。
「ブラウ!お前は明日まで自宅謹慎だ!」
特にブラウが謹慎するような悪いことをした分けでもないが、気分で言ってみた。
まぁ自宅待機でも良かったんだけど、結果的に変わらないから良いだろう。
「キンシン?初めて聞きましたね……私が森にいる内に色々と変わったんでしょうか……」
ブラウがなにやらブツブツ言っている。
恐らくこの世界には『謹慎』という言葉、もしくは概念自体が無いのだろう。
俺はまだブラウに自分が異世界人であることを言ってはいない。
いつかは言わなければと思うが、俺はまだブラウに姿を見せてさえいないのだ。
そこらへん関係俺にとってデリケートだからな。
丁寧に進めていきたい。
「今日は家で寝てろって事だ。せっかく洗ったのに汚されたら困る」
一応説明してやる。
もし茂みの中で昼寝でもされたらまた土とぱっぱまみれになるからな。
もしくは魔物に遭遇したら返り血を受ける可能性もある。
もう一回あの重たいバケツを持って村と森を往復させられるのは御免だ。
「でもお腹空きましたし……」
それもそうだ、俺も空いている。
しかし今日はご馳走があるからな。
「部屋のすみに村で貰ってきた食い物があるから食っていいぞ」
「え!?あ、ホントだ!食べていいんですか!?」
ブラウは料理を見てとてもテンションが上がっている様だ。
冷めてしまってるとはいえ、まだ食欲をそそらせるにおいがする。
実はここに来るまでもおれも内心結構テンションがあがっていた。
だって俺にとって事実上約一週間ぶりの料理だからな。
楽しみじゃないわけがない。
「ああ良いぞ。そのために貰って来たんだからな。だからまず二人で等分して……」
「じゃあいただきますね!」
俺が言い終える前にブラウが鬼の様な勢いで口に料理を放り込んでいく。
ガツガツ、ムシャムシャ。
そんな擬音語が似合いそうな程だ。
どんどん籠の中の料理が減っていく。
良い食いっぷりだなー、ってオイ!
俺の分は!?
「オイブラウ!止まれ!」
俺は必死の形相で、(ブラウには見えていないが)ブラウの食を止めに入る。
「あんへすか?(なんですか?)」
反応はしてくるが、『食事をやめろ』という意味なのが分からないらしく、食べるのを止める気配は無い。
そんなことをしてる内に籠の中の料理はもうほとんどブラウの腹の中に入っていしまっている。
まずい!まずいぞ!ここ1週間で一番の危機かもしれない!
俺はブラウの肩っぽい場所を掴み揺すろうとするがまるで岩の様にビクともしない。
クソ!これがステータスの暴力ってやつか!異世界に来てからここまで自分の無力さを呪ったのは初めてだぜ!
使いたくはなかったが『アレ』を使うしかないか……
グルットの口ぶりからして『グレーターベア』には効かなかったっぽいし、ブラウにも効かないだろ。
しかし今は食べ物から意識を逸らさせるだけで良い。
え?俺が一体何を使おうとしてるかだって?
おいおい冗談キツいぜ?あれしかないだろ!
鎧をも貫く刺突武器の最高峰、『クロスボウ』だ!
俺は食い物に夢中になっているブラウの背面に立ち、クロスボウを向けた。
命の恩人に武器を向けるのは忍びないが、俺の楽しい食事のためだ!恨んでくれるなよ!
俺はクロスボウの引き金を引いた。
その瞬間手に反動を感じ、ブラウに向かってまっすぐボルトが飛んでいく。
しかし肝心のブラウに当たった瞬間ボルトはビチュン!とかいってどっかへ飛んでいった。
そしてブラウは当たった事にさえ気づかずに食べ進めている。
え、何?『ビチュン!』って。
どう考えても金属から鳴って良い音じゃなかったんですけど!つか俺の料理が!
さすがに『バイルバンカー』は使えないし万策尽きた。
俺の、俺の肉!俺のパン!俺のジャガイモォォォォ!!!
「ブラウゥゥゥ!止まれぇぇぇぇぇ!!!」
「ふぁい?」
俺の魂の咆哮が森に響き渡る。
しかしそれでもこの悪魔は食べるのを止めない。
チクショォォォォ!!!
◇◆◇
「本当に!本当にすいませんでした!」
「…………」
2分後、やっと俺の声に気づいたブラウが俺の分も食ってしまっていたことに気づき、謝ってきたj。
しかし俺は立ち直れない。
もう、もうアイツらは帰ってこないんだよ!
「あ、あの~これ、いりますか……?」
「……?」
ふてくされた俺を見て、ブラウが何かを差し出してきた。
なんだよ?いまさら何を出してきたって俺の心の傷は……
「……なんだこれ?」
「食べかけのジガウモです」
俺はそれに目を向けた。
元は丸いハゲ頭を連想させたそれだが、もはや頭蓋は噛み砕かれ、無惨な姿になってしまっていた。
「クリリンの事かぁぁぁ!!!」
「ひっ!?ど、どうしたんですか?」
「……いや、何でもない。どうせ俺は地面に這いつくばってリンボの汁でも啜ってるのがお似合いだ……そのジガウモは俺には眩しすぎたぜ……!」
「い、いやちょっと何言ってるか分かりませんけど……」
俺は意味不明な言葉を連発することで、料理にありつけなかった悲しみを吹き飛ばそうとしている。
「ふっ、アディオス!ブラウよ!俺は果物を調達してくるとしよう!」
頬を伝う涙をごまかすために、明るい声で家を出ていった。
「あ、あでぃおすー!」
俺は森の中へ入って行く。
この心の傷を埋められる様な果物を探すために……。
◆◇◆
俺は今、森の中にいる。
はぁ……肉食いたかったな……
しかしもう気にしても仕方がない。
肉より美味い果物を探そう。
いよいよ腹が減ってきた。
あ!向こうに熟したリンゴがたくさんある。
不自然な程密集していて、まるで俺の心の傷を癒すために神様が置いてくれたみたいだ。
いや、実際そうなのだろう。
ありがとう神よ!
お供えものはできませんけど感謝はします!
俺はそのリンゴに近づいて行き、手を伸ばす。
あともう少しで届くというところで右足を踏み出した瞬間、足元の感覚が『消えた』
「うわ!」
俺を衝撃が襲う。
ど、どうしたんだ?
俺は回りを見渡す。
なんか臭いし辺りは完全に真っ暗で……
いや、そうじゃない。
前に手を突きだしてみる。
やっぱりな、さわった。感触がある。
俺は今、四方を壁に囲まれている。
この状況証拠的に考えると、にわかには信じがたいが……
『落とし穴』
この説が一番濃厚だろう。
しかし一体誰が?
ここは村からも結構遠いし、設置するには不便な気がする。
しかも……俺は地面をさわった。
ぐちょぐちょしている。
恐らく罠にかかった魔物達の死骸が積み重なっているのだろう。
死骸の下を見てみると、針がビッシリとあった。
背筋に薄ら寒い物走る。
もし死骸のクッションが無ければ俺もこうなっていたかもしれない。
不幸中の幸いってやつだな。
さて、問題はどうやって登るかだが……
この穴の深さは6メートル位ある。
魔物のクッションのお陰で衝撃は少なかったが、かなり深い。
どうしたもんかな……
腹へったし寒いし……。
心細いな。