138.『ピヴントスベル』(sideハルメアス)
ーー走る。大事な物を、取り零さないために。
「はぁ、はあっ……!」
ーー走る。幸せだったあの日々の残骸を、取り戻すために。
「みんな……俺が、必ず……!」
ーー走って、走って。辿り着いた先は……
「ぁ、あぁぁぁ……!」
ーー黒煙を巻き上げながら、燃えていた。
「熱い!アぁ!っ“い“!」「たずげでぇっ!」「喉がぁ……、やげる!」「おかあさん!早く起きてよ……逃げなきゃ……」
ーーそれはまるで、死の見本市の様な光景だった。
火に巻かれ、焼死した者。
建物の柱に潰され、口から得体の知れない臓器を吐き出す者。
煙に喉を焼かれ、窒息した者。
鉄の玉に頭を撃ち抜かれ、倒れ伏す者。
逃げ惑う人々に踏み潰され、圧死した者。
様々な『死』のカタチが、そこには溢れ帰っていた。
「帝国が、火を放ったのか……!?」
……資源の略奪が、目的ではないのか?
ならば、なぜ侵略などしたのだ。
植民地にするにしても、略奪するにしても。国ごと焼き払うなんて、あちらにも旨みが無いだろう。
……それとも。単純な破壊と殺戮が目的か?
「ハルくんっ!こっち!」
俺が唖然としていると、路地裏の方から聞き覚えのある声が聞こえた。アルシアだ。
皆を連れて逃げれたのか。
「大丈夫か!?」
走って路地裏へ滑り込み、アルシアへ目線を移す。
「っ!?」
血に濡れたアルシアの周囲には幾人かの子供が横たわっていた。
皆、既に事切れているだろう。
「あはは。大丈夫だよ……?みんな、まだ生きてるんだから、ね……」
うわ言のように、ぼそぼそとアルシアが言った。
俺も、思わず手に握った護国剣を落としてしまう。
……だってーー
ーーガルリアスが命を賭して守った『優しさの種』は、芽吹く事の無いまま摘まれてしまったのだ。
その苗床である、『幸せ屋さん』と共に。
「そうよ……きっと帝国の奴らなんて、ガルリアスが全員倒してくれるんだから……あれ、ハルくん?ガルリアスは?」
ーーそんなアルシアに、俺は何も言えなかった。
……だって、俺が殺したんだから。
こいつの親であり、家族であり、そして思い人であったガルリアスを、俺が殺したんだから。
「……あはははあっ!やっぱり死んじゃったんだぁ!」
黙った俺を見てガルリアスの死を悟ったのか、アルシアが狂笑を始める。
「っ、アルシア、ガルリアスは、俺が……っ!」
「ーーわたしもう、疲れちゃった。」
ーーざくり、ぐち、ぶちり、と。
その音は、アルシアの首筋から発生していた。
どこで拾ったのか、鋭利なガラスの破片を、その細い首に深く突き立てていたのだ。
「おい……アルシア……!?」
「ガル……今から、そっちに行くね……」
そう言い残して、アルシアの体は力を失う。
駆け寄っても、既に脈は無かった。
……こいつは、死んだらガルリアスに会えると思って、自害したのか。
なら、それは無意味な事になってしまう。
ーーだって、勇者の血筋を持つガルリアスの魂は、『護国剣バリスヒルド』の中に吸収されてしまったのだから。
たとえ冥府へ堕ちても、そこにガルリアスは居ない。
「……あぁ。」
……俺は、俺だけは生き残らなければ。
だって、あいつに『生きろ』って言われたのだから。
俺も死ねればどれだけ楽か。
でも駄目だ。俺は、ガルリアスの意思を。
『幸せの種』とやらを芽吹かせるまで絶対に死ねないーー
……死ねない、んだ。
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ーー
ー
■
「そうだ、死ねない……!」
幸いにも、まだ『私』の体は生きていた。
無数の刃に刻まれ、多量の血を流してもまだ死を迎えては居なかった。
「ぐ、ぅ……」
足は動く、腕も健在……目は、片方潰れたか。
自然と自分の口が弧を描く。私はなんと幸運なのだろうか。
だってまだーー戦えるのだから。
「力を貸せ、ガルリアス……!」
ディメンションから、護国剣を引き抜く。
それは、この時を待っていたと言わんばかりに蒼光を放っていた。
「今、護国の時だ……」
剣から蒼い光の筋が腕へと侵食してくる。
不快感は無い。まるで父親に抱き締められるかの様な安心感があった。
ーーいこうか、ハルメアス。
「ああ……!」
あの日以来、一度も握っていなかった剣をどう振れば良いのか、完全に分かる。
型も、技も、奥義さえ。ガルリアスの修めた剣術がこの剣から伝わってくる。
『ギジィィィ!』
「尖兵に用は無い。貴様らの王を狩らせてもらうぞ。」
ーーバリスヒルド式、『砕鎧』
ゆっくりと振りかぶった剣が、蝿の頑丈な外骨格を軽軽と砕いた。
その後辺りを見渡すと、以前より遥かに蝿の数が増えている。
……急ぐ必要があるな。
「ふっ……!」
『魔導防壁』で足場を作り、この蝿達の元凶……ベルゼビュートの待つであろう天へ走っていく。
伝承によれば、ヤツは多くの勇者を滅ぼした。
魂を喰らい、その力を糧とする異形の半神。
魔王の血を分かつ、七大罪の一角だ。
どんな姿をーー
「ーー私達の空に、何の用ですか。」
ーー蝿の群れを抜けた先には、天使と見紛う様な少女がいた。
色素の薄い金色の髪は美しく、背から伸びる三対の羽根は日を浴びて煌めいている。
冷めた蒼い瞳は全てを見通しながらも、目の前の私を含め何も見えていないと感じた。
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【ベルゼビュート・ピヴントスベル】ランクAA
【蝿皇を御そうとした、愚かな少女の成れの果て。】
【百を越える人格を取り込み、既にその魂は壊れている。】
【尚も動き続けるのは、この少女だった『誰かさん』の願いゆえだろうか。】
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「……私は、君を殺さなければならない。」
「殺す?あなたが、私を?無理だよ……わたしとベルゼビュート様は、最強なんですからァ……」
少女の手へ、散らばっていた蝿達が結集する。
黒き太陽を思わせる球状のソレは、凄まじい早さで膨張していく。
「……どうして、こんな事をするんだ?」
「……分かんない。」
「何人死んだと思ってる……!?」
「ーー分かんないよ。」
ピクリとも表情を変えずに、少女が言い放つ。
と、同時に、蝿の塊が緩慢な速度で私へ打ち出された。。
ーーあれは、マズイ。
無数の蝿によって紡がれる、無数の刃。
あれはその無限の斬撃を圧縮し、打ち出されたモノ。
触れた部位は、たちまち塵と化すだろう。
「ーーふっ」
それが、どうした。
生憎、今の私は誰にも負ける気がしない。
「龍詠唱ーー」
右手を突きだし、呪文を紡ぐ。
そしてイメージするのだ。何にも揺らがぬ、究極の守りをーー
「死んで。」
「ーー絶対防壁!!」
無限の刃と、不沈の防壁がぶつかり合う。
大気が震え、壁の向こう側の景色が蠢く黒に染まった。
ピシ、
「ぐっ……」
凄まじい勢いで、防壁が削がれていく。
……いくら絶対の護りと言えど、無限の刃には分が悪いか。
「はっはっは……!」
ーーなれど、負けるわけにはいかない。
「命を、賭けよう……!」
壁の勇者、初代バリスヒルドが打ち立てた護国の神話。
死を目前にした魔族と、優しき男の物語。
その魔族の魔石が、この剣には埋まっているのだ。
おあつらえ向きだろう。
『護国剣バリスヒルド』の柄に埋め込まれた魔石を取り出した。
暖かく、そして冷たい。燻った灰の様な感触だった。
「アイギス。あと少し、もってくれ……」
散りゆく防壁を尻目に、魔石を胸にかざす。
すると、まるで浸透する様に体へ入ってきた。
「ぐ、がぁぁぁッ!?」
ーー心臓が、燃焼する感覚。
……人と魔族が交わるのは、かねてよりの禁忌。
たとえ、魔石だけになろうとそれは変わらないか。
だがーー得た物も大きい。
「ぅ、え、なんで、っ……!?」
みなぎる力に任せてアイギスを膨張させ、蝿の群れを押し返す。
そしてそのままの勢いで、少女に斬りかかった。
「いた、い……」
「……手心を加えたつもりは、無いんだがな。」
少女の白い頬に、一筋の赤い線が走った。
そこからポタポタと、血が溢れる。
……恐ろしい硬度だ。一見すると少女の柔肌なのに、少し食い込んだだけで刃が弾かれた。
一筋縄ではいかないか。それにーー
「……指先が、灰化している。」
禁忌の代償、過ぎた力の対価。
それは、担い手の死に他ならない。
初代バリスヒルドも、そうして果てたのだ。
ーー私にはもう、あまり時間が無いらしい。




