136.今はまだ儚き蕾(sideハルメアス)
孤児院……ガルリアス曰く『幸せ屋さん』に入ってから一週間が過ぎた。
ガルリアスは、子供達に剣術を教えてくれる。
しかも元王子のくせして、こいつはかなり強い。
本人が『七歳の時に当時の騎士団長を倒したんだよ!凄いでしょ僕!』と自慢していた。
だから俺は、今日も今日とてガルリアスに、『バリスヒルド式防衛剣術』の稽古を受けている。
「おらぁぁぁ!」
「……うーん。ハルメアス。君はーー」
打ち込む刃が、ガルリアスの木刀に受け流される。
まるで水に打ち込んだような感覚だった。
体勢を崩した所で、握りの緩んだ木刀を弾き飛ばされる。
「ぐ、ふっ……」
「……何度も言うけど、君には、剣の才能は無いよ。」
木刀で肩をトントン叩きながら、ガルリアスは困り顔で言った。
「……分かってるよ。でも、俺は強くなりたいんだ。……力が、欲しいんだ。」
「……何も、『暴力』だけが強さって分けじゃない。君は頭が良いからね。他にも道は沢山あるだろう。」
「っ、そんなのーー」
……そんなの、逃げじゃないか。
知恵を極めし叡者も、万人に慕われる人格者も、『暴力』の前では塵芥に等しい。
この世界は、暴力のぶつけ合いだ。
より強い暴力を押し付けた方が勝ち。そういう物だろう。
「……皆、何を勘違いしてるのか、知らないけどね。」
ガルリアスは、哀しそうな、あるいは悔しそうな口調で、俺に語りかける。
「大前提として、『暴力』は最低の行為だ。他者を傷付ける度、心は歪み、瞳は陰り、魂は壊れていく。……まぁ、要するに、誰かに酷い事をしすぎるとーー」
「……し過ぎると?」
……どうなると言うんだ?
『罰を受ける』なんて答えは有り得ない。
少なくとも俺は、そんな奴を見たことが無い。
「ーー僕みたいに、なっちゃうよ。」
ーーその時だけ、俺にはガルリアスが全くの別人に見えた。
優しかった瞳はガラス玉の様に。
温かかった声は軋むドアの様に。
一瞬だけ、目の前の優男が、心持たぬ怪物に見えた。
「っ……」
「あははは!なーんてねっ!まぁ、剣は程々に、って事さ!」
いつもの様にヘラヘラ笑いながら、ガルリアスは建物内に戻っていく。
……いや、笑ってなんか、いない。
ーーあいつの木刀を握る手から、血が溢れている。
まるで、煮えたぎる怒りを抑え付けるが如く。
強く強く、手を握り締めていた。
……俺に、失望したのだろうか。
誰かを傷付ける事を良しとした俺を、人間として侮蔑したのかもしれない。
そう思うと、何故か叫びだしたくなる程に、胸の奥が痛んだ。
■
「ヘイヘーイ!ご飯だぜぇ!みんなー!」
先程の訓練から数時間後、それまでキッチンに立っていたガルリアスが、部屋の中心にあるテーブルに今日の晩飯を並べる。
他の皆は騒ぎながらそこへ走って行くが、俺はガルリアスにどんな顔を向ければ良いのか分からなかった。
「……ハル君?何かあったの?いつもは真っ先に行くのに……」
アルシアが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
それに「大丈夫だ」と気の無い返事をして、机に着いた。
「それじゃ、皆で手を合わせて、頂きまーす!」
……話は変わってしまうが、ガルリアスの食事作法は少し変わっている。
食い物に対して感謝しろ。と言ったり、食器に関してはフォークやスプーンではなく二本の細長い棒を使う。
本人曰く『初代バリスヒルドに倣ったもの』らしいが、骨の多い魚を棒だけで標本の如く分解する様は、最早変態に近い。
「ハルメアス、食べないのかい?そんなに見詰められてもお魚さん困っちゃうよ。」
「……ああ。」
料理を食べずにボーッとしている俺を見かねたのか、ガルリアスが口元を布で吹きながらそう言ってきた。
俺は、緩慢な動作で『ハシ』を魚を突き刺し、租借する。
いつもは恐ろしく美味い筈の料理の味を、今日の俺は満足に感じる事が出来なかった。
「……ごちそうさま。」
「うん。お粗末様でした。」
ガルリアスに教わった食事終了時の呪文を事務的に紡ぎ、階段を上って自分の部屋へ戻る。
ドアを締めると、やっとアイツの不思議な重圧から解放された気がした。
「……今日は、もう寝るか。」
『食ってすぐ寝ると牛になる』というガルリアスの言葉は、ここの小さい子達にはあたかも事実の様に恐れられているが、今日はもう何もする気になれない。
俺は一週間前までは考えられなかった暖かな寝具に顔を埋め、意識が消えるのを待つ。
疲れが溜まっていたのか、それはすぐに訪れた。
■
「ぅ、ん……」
月光にまぶたを焼かれ、俺は目を覚ました。
……流石に、早寝し過ぎたか。上体を起こし、外を見る。
月の明るさから推察するに、当分夜は明けそうにない。
「剣でも振るか……」
部屋の隅に立て掛けていた
木刀を手に取り、音を立てない様に階段を降りて外へ出た。
冬の香りがする夜風に頬を撫でられ、心地良い。
俺の身長にはまだ少し長い木刀を引き摺りながら、訓練に使っている庭へ歩んでいく。
だが入り口の前に立ち、俺は絶句した。
「やあ、眠れないのかい?ハルメアス。」
ーー既に庭に座っていたガルリアスが、にっこりとした笑顔でこちらを見ていたのだ。
「っ、」
咄嗟に、木刀を隠す。
さっきの負い目からか、こいつに自分が剣を持っている所を見られたくなかった。
「……ははは。やっぱりね。『剣は程々に』って言っただろ?」
……もっとも、その隠蔽は無意味だったが。
ガルリアスは悲しい顔をして、俺の手に握られた木刀を睨んでいた。
「あのね……ハルメアス。君を含めて、ここの子達には……暴力しか生きる手段が無い様な、心の貧しい人間になって欲しくないんだよ。」
日中の明るさとは対称的に、ガルリアスからは触れば壊れてしまいそうな儚さを感じた。
「……頼むから、『暴力』を磨くのなんて辞めてくれ。」
幽鬼の様な足取りで、ガルリアスが歩んでくる。
「さっき、君が『力が欲しい』って言った時、自分への無力感で頭がおかしくなりそうだった。……だって、変だろ?誇大な夢を持つべき子供が、『夢』を抱くより前に『力』を求めるなんてさ……」
泣いてしまいそうな顔で、ゆらゆらと歩んでくる。
俺はそれに、底無しの恐怖を覚えた。
……本来こいつは、そんな事を言って良い人間じゃないのだ。
自分の中にある『ガルリアス・バリスヒルド』の情報と、目の前の弱々しい青年の姿がどうしても剥離してしまう。
「ねぇ、頼むよ……」
ぞわぞわと、背骨が痒くなる。
自分の喉元にまで出掛かっている、『言ってはいけない事』を飲み込むのに、限界だった。
「みんな、僕が護るから……!」
「っ、お前は!」
ーー俺は今、最低な事を言おうとしている。
おぞましき邪悪な悪魔さえ敬遠するような、吐き気を催す言葉を。
……言ってはいけない事、を。
「ーークーデターを起こして、実の父親を殺しただろ!!そんな奴が、どうして『暴力』を否定する権利なんてある!?」
ーーガルリアスの目が、見開かれる。
怒り、哀しみ、如何なる感情もその瞳には宿っていない。
今日に見た『ガラス玉の目』と同じだった。
「……あっはっは」
ガルリアスは静かに嗤う。
静謐な夜に、それだけが響き渡っている。
「知ってたのかい……」
崩れ落ちる様に、ガルリアスは座り込んだ。
「……ごめん。」
「いや、良いんだ。君の言う通りだから。僕は実の父親を殺した。……それも、『とある物』を奪うためにね。」
俺は首を傾げた。
王子が王を殺すとなれば『奪う物』なんて王位以外には無いだろう。
だが結果的に、こいつは王家を追放されている。
「ちょっと見てなよ。」
ガルリアスは深呼吸をし、右手を前に突き出した。
周囲の魔力が渦巻き、大気が震えている。
「龍詠唱ーー」
「っ!?」
衝撃と光が、庭を満たした。
舞い上がる土煙に、俺は目を瞑る。
「魔導防壁!」
ーー土煙の晴れた先にあったのは、『壁』だった。
半透明で、巨大な壁。そうとしか形容できなかった。
「……三百年前。七十二人の勇者がこの世界に召喚された。」
壁の向こう側で、ガルリアスが語り出す。
「それぞれが『固有スキル』と呼ばれる能力を持っていてね。これは、この国の創始者である初代バリスヒルド……『壁の勇者』が持っていた固有スキルだ。」
「……なぜ、それをお前が使えるんだ……?」
俺が当然の疑問を投げ掛けると、ガルリアスは『分からないかい?』と肩を竦める。
「『固有スキル』は継承出きるんだよ。」
「は……?」
「でも継承には条件が必要でね……一つは受け継ぐ側の人間に『異界の血』が混じっている事。そして二つ目はーー」
俺は答えを待った。
魔王を屠りし神話の勇者達。
そんな奴らの力を、どうやって継ぐのか。
「ーー先代の継承者を殺す事さ。」
「……え?」
ーー口が渇き、呼吸が出来ない。
……現在のバリスヒルド国王は、五十二代目。
その全員が、過去に親を殺して、『魔導防壁』を継承している、のか?
「その事実を知った時、僕は『丁度良いな』って思った。……僕の父親、絵に書いた様な圧政者だったろう?この際、サクッと死んだ方がこの国の為になると思ったんだ。父は愛を注いでくれたけど、それが息子対する『慈愛』ではなく自らの血を引く者に対しての『自愛』である事は明白だった。」
そう嘯いたガルリアスの横顔を、青い三日月が照らしている。
その表情は、少し悲しそうに見えた。
……こいつ、何て言った?父親が、死んでも良いだって?
「でも、本来の後継者である第一王子……僕の兄さんは、とても優しかった。僕なんかとは違ってね。だから、クズとは言え実の父親を手に掛けられなかったんだ。」
「……なら、お前は兄の為に父を殺したのか?」
「ーーふっ、まさか。僕も今の君と同じさ。より強い『暴力』が欲しかったんだよ。そんな僕が、大義名分を持って父を殺せるチャンスを逃すわけ無いだろ?」
俺の問いに対し、ちゃんちゃらおかしい。とばかりにガルリアスがケラケラ笑う。
「……でもね、クーデターを起こした次の日、処刑場から僕が鼻歌混じりに逃げてた時。逃亡のために人生で初めて、『スラム街』に入ったんだ。」
ガルリアスの顔から表情が消えた。
「僕はその時、人生で初めて『絶句する』って経験をした。きっと、ああいうのを“地獄”って呼ぶんだろうね。煮えたぎる釜も、閻魔大王も居なかったけど、鬼とか悪魔とか、そう言う類いの人間は掃いて捨てるほど居たよ。」
……この国、バリスヒルドは極めて貧富の差が激しい。
王族とか貴族とかは『貧』側の生活なんて想像する余地さえなかっただろう。
「っ……!人がゴミみたいに死んでさ!なのに誰もそれに見向きしないんだ……供養されなかった死体はまるで復讐するみたいに、腐敗して、ハエになって、疫病を振り撒く!そしてまた人が死ぬ!何千も!何万も!」
熱の籠った口調で、ガルリアスは訴える様にそう言う。
色んな感情がぐちゃぐちゃに混じり合ったその表情に俺は、初めて本当のこいつを見れた気がした。
「……『暴力』をいくら使っても、あの地獄は覆せない。ははは。絶望したよ。だけどさ、僕は最後に。って思って一人の女を助けたんだ。その女は詐欺師でね。端的に言って、最低な奴だった。」
『……でもさ。』って言ってガルリアスは続ける。
「その次の日、その女は、道端に棄てられてた見ず知らずの子供に食べ物をあげていたんだ。……驚いたよ。今日を生きるのに必死な人間が、そんな事出きるなんてさ。そして思わず『どうして食い物なんて恵んだんだ?』って聞いたら……」
まるで尊い聖句を読み上げる様に、ガルリアスは続く言葉を丁寧に一音ずつ紡いでいく。
「ーー『昨日、あなたに助けて貰ったから。今までずっと、“善意”なんて迷信だと思ってた。』……ってさ。言ってくれたんだよ。」
「……善、意。」
「人は、誰かから優しくされると、他の誰かにも優しくできる様になるんだ。……だから、この孤児院、『幸せ屋さん』を作った。優しさに満たされた時間を送れば、きっとここの子達は優しさに満たされた人間に成れるはず。そして将来大人へと成長し、皆に幸せを振り撒く……小さな小さな優しさのつぼみは連鎖し、いずれ大輪の花となるんだ。」
……こいつが俺達の前でずっと笑ってたのは、そういう事か。
優しさの、連鎖。
確かにそれが実現すれば、きっと世界は今よりもずっと良くなるんだろうな。
……でも。
「なあ、ガルリアス。」
「……なんだい?」
ーーその『優しさの連鎖』とやらに、お前は入れているのか?
「……やっぱり、なんでもない。」
ーー最初のお前は、誰にも救われてないじゃないか。
「……ハルメアス。」
「なんだよ?」
「神様は、信じるかい?」
「……いいや。でもーー」
俺はガルリアスの目をしっかりと見た。
潤んだ黒の瞳に、赤毛の生意気そうな餓鬼が写っている。
「ーー”善意“はちょっとだけ、信じかけてるよ。」
「……ははは!そいつは良かった!」
それを聞いてガルリアスは一瞬唖然としたが、すぐに笑みを浮かべる。
それは、日中に見た物より少しだけ穏やかだった。
「……白んできたね。」
空を見上げると、夜が明けたのか遠くの空が白くなってきている。
その時俺は人生で初めて、この世界を綺麗だ。と思った。




